タヌキ寝入り
魔法学園からの帰り道。馬車の中でディアーナはうとうとと船をこぎ始めていた。水魔法を温度指定で使う事で氷が出せないかの実験で大分魔力を消費して疲れたのだろう。
自分の肩に頭を預けて半分目が閉じているディアーナを、愛おしげに見つめていたカインは、今度過冷却水について教えて上げようかな、とぼんやり考えていた。
水の状態で出現して、カップに落ちる衝撃で氷になる。理屈の上ではコレで「水魔法で氷を出す」が実現出来るはずだ。カインは、見せる前に実験してみないといけないな、と帰宅してからのやることリストに心の中で書き足した。
「不思議だったんだよね」
誰にいうという訳でもなく、カインが話し始める。馬車の中にはディアーナの他にサッシャもいるが、静かに本を読んでいる。イルヴァレーノは御者席にいるので外だ。
「聖騎士って言葉、いつ出てくるんだろうってずっと思っていたんだ」
「言葉自体はどこかでお聞きになったことがあったんですか?」
サッシャが相づちを打ってくれた。
「うん」
カインが素直に首を縦に振る。
前世でプレイしたゲームで、クリスが「聖騎士になる」といって魔王を倒しに魔の森に行くから知っていた。聖騎士ルートと呼ばれる攻略ルートがあったから知っていたのだが、それは言わない。
「七歳の頃から近衛騎士団の訓練に参加させてもらう様になって……。そこで、騎士団の組織がどうなってるのかって言うのがなんとなくわかってくると、聖騎士って役職がどこにも見当たらない事に気がついたんだ」
カインの肩に頭を置いて、すっかり居眠りをしているディアーナの頭を優しくなでる。
カインがいつも「魔法使いも最後にものを言うのは体力」と言っているように、魔力を消耗すると眠くなる。
今日のディアーナは派手に動いたり派手な魔法を使ったりはしていないが、カップ一杯の水を何度も魔法で出すと言うことを繰り返していた。
「クリスは、ああいうヤツだから演劇とか読書とかをするタイプじゃないからさ」
だから、ゲームでは何故「聖騎士ルート」だったのか、転生してからずっと不思議だったのだ。
ゲームをプレイするだけだったら、この国の騎士の組織図なんてわからないから「聖騎士」という役職があるんだろうなぁ~ぐらいの気持ちで流していられたのだけれども。
「ジャンルーカが話の出所だったんだな」
カインの言葉に、そうですねとサッシャがまた相づちを打ってくれた。クリスは、父親が騎士爵で、その前も代々騎士の家なので家名がある。しかし騎士爵というのは一代貴族なので、クリスは成人後に自分も騎士にならなければ平民となってしまう。元々名のある貴族出身の騎士と比べれば、近衛騎士までの道のりは長くなるだろう。
「きっと、早く出世してアル殿下の護衛騎士としておそばにいたいのだろうな」
クリスが聖騎士の話題に食いついていたのは、それが理由だろうとカインは思う。
「クリス君と王太子殿下は仲がよろしいですものね」
魔法勉強会の様子を思い出したのか、ふふっとサッシャが柔らかく笑った。
「頑張るつもりだけど、今の僕の力ではディアーナを女性騎士にしてあげるには大分時間がかかってしまうだろうね……」
クリスが近衛騎士になり、さらに王族護衛騎士になるのだって多少時間は掛かるだろうが、すでにある道筋である。ディアーナを女性騎士にするには、法律や常識から変える必要がある。カインが卒業して、王城勤務の文官になり、法務省に配属され……法律を変えるには何年かかるだろうか。
「サッシャは、このままディアーナの侍女でいいの? 結婚とか……」
とりあえず、年上の女性の意見を聞いてみることにしたカイン。サッシャはエルグランダーク家に来る前は嫁ぎ先探しを兼ねて騎士団に務めていたのだから、結婚願望が無いわけではないのだろう。
「今は、ディアーナお嬢様のお世話をするのが楽しいので、このままで良いかしら? と思っております。まぁ、奥様の侍女には既婚者の方もおられますし、もし結婚したとしても引き続きお仕えさせていただきたいとは思っております」
「誰か良い人いる? エルグランダーク家の高級使用人の未婚男性とか……あ、学園の高学年に良い感じの男子生徒がいればチェック入れておいても良いのかも?」
「先ほども言った通り、今はお嬢様と一緒にいるのが楽しいので結婚は考えておりません。まぁ、この人ならば……という人との出会いがあれば別ですが、結婚するぞと気合いを入れて相手を探すようなことは、今のところ考えておりませんよ」
それと、とサッシャは一旦言葉を区切る。
「好みとしては年上の包容力ある穏やかな方が望ましいと思っておりますので、年下の学生はちょっと……」
頬に手を添えて、困っていますと言う顔をサッシャが作った。遠回しだが、カインも対象外だと言っているのだろう。カインも苦笑いをして答えた。
「サッシャみたいに、『貴族女性だけど仕事に生きがいを感じて居てもおかしくない職業』って高位貴族家の侍女の他に何かあるかな」
「そうですわね。ドレスや装飾品のデザイナーですとか、ドレスショップのオーナーですとか。あとは魔導士団の団員ですわね。あくまでも、デザイナーやオーナーであって職人では無いのがポイントですわ」
なるほど、女性向け商品を販売する組織を運営する側というのは、女性が仕事を生きがいにしていてもおかしくないという事かと、カインも納得した。
確かに、ディアーナやエリゼのドレスを作るのに職人を屋敷に呼ぶと一緒にやってくるデザイナーは貴族女性っぽかった気がした。
「残念ながら、騎士はそういった分類には入ってきません」
いつもは令嬢らしさに厳しいサッシャも、少し残念そうな顔をしてこぼす。
「僕が公爵になれば、大分話は進められるんだろうけど。それで失敗ってなったらその頃にはディアーナはすっかり行き遅れだ……」
カインは、ディアーナの頭を優しく撫でる。自分の肩に乗っているディアーナの小さめの頭に顔を寄せて頬ずりし、そっと鼻を近づけて頭のてっぺんの匂いを嗅いだが。
もう、お日様のような子どもらしい匂いはせず、花の様な甘い香りがした。
前世知識を振りかざし、強行突破で女性の主権! 独立! 職業選択の自由! とカインが叫んでその有り様を偉い人達に認めさせたとして、浸透していない文化の矢面に立つのはディアーナ自身である。
「ディアーナを絶対に幸せにしてくれる人との結婚っていうのが、結局ディアーナの一番の幸せなのかなぁ」
そんなヤツなかなかいないけどな。とカインは自嘲気味に笑った。
エルグランダーク家の馬車は、屋敷の敷地内へと入っていく。もうすぐ家に着く。
カインの肩に頭を乗せて、うつむき気味に寝ていたディアーナの目がうっすらと開いていたことは、前髪に隠されてカインにもサッシャにも気づかれることは無かった。
 




