お兄様ゆるしてさしあげますわ
フィールリドルがジャンルーカに謝り、ジャンルーカがそれに「いいよ」と答えたことで、本当にほっとした空気が温室庭園に広がった。
カインへの謝罪はまだではあるが、この場にいない人への謝罪をここで強要してもしかたがない。カインがいる時に謝ってもらおうとディアーナは考えている。けして許してはいない。
自席に戻るためにディアーナがくるりと体を返すと、目の前にカインが駆け込んでくるところだった。
「お兄様!?」
ディアーナが驚いて声を上げると、カインはディアーナの前に跪いてディアーナの手を取った。下から見上げる様にしてディアーナの顔を覗き込むと、嬉しそうに破顔した。
「ああ、ディアーナ。とってもかっこよかったよ! ジャンルーカ殿下の為に毅然と立ち向かう姿はとても凛々しかった! かわいくて愛らしくて可憐でかわいいディアーナがこんなにカッコイイなんて! こんなにカッコイイディアーナ見たことなくてびっくりしたよ。会えなかった半年のうちに成長したのだね? ああ!? その成長を見逃したという事! この僕が! 何という事だろう。やはり悠長に六年もこちらで学校に通っている場合ではないね。待っていてね、ディアーナ!飛び級して三年で卒業して見せるからね。そうしたら残りの三年は一緒の学校に通おうね」
やってきたと思ったら一気にまくしたてる様にしゃべるカインに、その場にいた皆が啞然としてしまっている。
実は少し前から温室庭園には到着していて、イルヴァレーノの隣で息を整えていたのだ。すぐに飛び込んでディアーナを守りたいという気持ちもあったが、ディアーナが場を解決しようとしている事が見て分かったので見守っていたのだ。
ディアーナはディアーナで、飛び込んできたカインの言葉を反芻していた。「こんなにカッコイイディアーナ見たことなくてびっくりした」とカインは言ったのだ。
同じ歳の友人たちに囲まれて、ディアーナの見たことの無い顔で笑ったり困ったりという年相応の顔をみせていたカインにディアーナは嫉妬して、拗ねていた。カインを「ぎゃふん」と言わせてやるというのも、もとはと言えば「カインにもディアーナの見たことない姿を見せて嫉妬させてやる」という思いが出発点だ。
そのカインが、「こんなディアーナ見たことない」と言ったのだ。奇しくも、目標が達成されてしまった事に気が付いたディアーナは、うれしくなって極上の笑顔を浮かべると、
「しかたがないから、ゆるしてさしあげますわ。お兄様」
というのだった。
カインはその言葉に、砂糖をはちみつで煮詰めたシロップに浸されたドーナツの様に甘くでろでろな顔でディアーナに抱き着いたのだった。
カインがやってきたと言う事は、学校の授業が終わるような時間という事である。
見上げれば、温室のガラス天井の向こうは赤い夕焼け空となっていた。お茶会の会場が温室庭園だったこともあり、日が落ちてきても気温が下がらず寒くはなかったし、できる使用人たちがいつの間にか明かりをともしていたので暗さも感じてはいなかったが、今日の所はお開きということになった。
お茶会後、見送りの場でジャンルーカがディアーナに向き合って嬉しそうに声をかけた。
「ディアーナ嬢。怒ってくれてありがとう。うれしかったです」
「お手紙でやり取りしていたから、お会いしたのは今日が初めてですけれどずっと前から知っているような気持ちでした。そんなジャンルーカ殿下が理不尽に叩かれたのが許せなかったのです。はしたない姿をお見せしてしまってごめんなさい」
そんなジャンルーカに、ディアーナは少し申し訳なさそうに答えた。ジャンルーカは首を横に振りながら「はしたないなんてとんでもない」と言い、「僕の方こそかっこ悪い所をみせてしまいました」と苦笑いをしてみせた。
そうやって、初対面のはずの二人はお互いを気遣いつつにこやかに会話を楽しんでいた。
その様子を見て、カインは目を細める。
「ディアーナ楽しそうだね。考えてみれば、刺繍の会のお友だち以外で同じ年頃の子と仲良くなるのって初めてじゃないか?」
「孤児院の子らは、どんどん卒院していってしまって年下の子ばかりになりますからね」
「うまい事丸め込んだっぽいし、二人の王女殿下とも仲良くなれるといいんだけど」
「それはどうでしょうね……」
ただの闖入者であり、お茶会参加者ではないカインは馬車の前でイルヴァレーノと並んで立ち、別れを惜しんで挨拶をしている一団を眺めていた。カインが来るまでのお茶会の様子をイルヴァレーノから聞きつつ、淑女の姿を維持しつつも年相応に笑いながらジャンルーカや二人の王女と話すディアーナをまぶしそうに見ている。
カインの願いはディアーナの幸せな未来だ。悪役令嬢としての不幸なエンディングを回避し、幸せな大人になってほしいと思っている。
ジャンルーカが攻略対象者となっている隣国の第二王子ルートは、国同士の友好の為にジャンルーカとディアーナの婚約話が持ち上がるが、ヒロインとの恋を成就するために兄であるジュリアンの側妃に推薦するというシナリオである。
それが当たり前の国で育ったのであればまだしも、一夫一婦制のリムートブレイクで育ったディアーナには複数いる妻の中の一人という立場はつらい。しかも、ゲームでは押し付けられる相手であるジュリアンは女好きのスケベという事になっている。いや、本物のジュリアンも女性好きでスケベではあるが、シルリィレーアに対する照れ隠しの部分もありそうだと最近わかってきたところだが。
学園入学前から、ジャンルーカや二人の王女と交流があり、仲が良い友人の立場を築くことができれば、その未来は変えられるかもしれない。
いよいよ、名残惜しいと立ち話をしていた別れの挨拶もおわりそうな気配を感じたカインは、最後に自分からも「ディアーナを今後ともよろしくね」とあいさつするために一団の方へと足を向けた。
後ろからイルヴァレーノもついてくる。
ディアーナのすぐ後ろまで来たところで、子どもたちの会話が聞こえてきた。
「ディアーナ嬢は素敵な女性ですね。勇気があって、凛々しいのにとても可愛らしいですし、お話しているととっても楽しいです」
「うふふ。ありがとうございます、ジャンルーカ殿下」
「ねぇ、ディアーナ嬢」
朗らかな会話を、カインはニコニコしながら見守っている。会話が途切れた所でディアーナをよろしくねと声を掛けようと思ってジャンルーカの言葉を待っていた。
「兄上の、婚約者になりませんか?」
ジャンルーカの言葉に、カインはザァっと血の気が引いていくのを感じたのだった。
「何でですか!? なんでそこで『僕の』じゃないんですか? いや、許しませんが。ジュリアン様でもジャンルーカ様でもどちらにしても婚約者は許しませんが。ディアーナが欲しかったらまずは私を倒してからですが。じゃなくて! なんで『僕と友達になりましょう』じゃなくて、『ジュリアン様の婚約者になりませんか』になるんですか!?」
真っ青な顔で、カインが叫ぶ。
ここまでいい雰囲気で、まだヒロインも登場していない。なのに、なぜジャンルーカはド魔学のエンディングと同じ発言をするのか。
不本意な留学をさせられながらも、それならば隣国ルートをつぶしてやると奔走してきたカインだ。
ジュリアンの巨乳幻想を打ち砕き、シルリィレーアとの仲をちょっとだけ進展させ、ジャンルーカをはげまし、褒め殺し大作戦で二人の王女との仲も良くなってきている事で自信もついてきているはずだった。
「なぜ!?」
とカインは真っ青な顔のままもう一度問う。
焦っているカインを不思議そうに見上げつつも、ジャンルーカは当たり前のような顔をして答えた。
「素敵なもの、有用なものはみんな兄上のものだからですよ。良いもの、良い人は兄上が得た方が国の為にもなりますし」
なんてことない様にそういうジャンルーカを、第二側妃のシグニィシスと第三側妃のファニファールが痛ましいモノを見る目で見ていた。そこから、カインはジャンルーカの譲り癖は根が深い事を知る。
「とにかく、ジャンルーカ様にしてもジュリアン様にしても、ディアーナと仲良くなりたかったら僕を倒してからにしてください」
カインはひとまず問題を先延ばしにした。
普通に友達になってほしかったのに、兄に譲ろうとするのでは話にならない。とりあえず、友達でも婚約者でも、名前の付いた関係になるためにはカインを倒す必要がある事にしてジュリアンに譲ろうとするのを阻止する作戦だ。
そもそも、友達というのはいつの間にかなっている物であって、宣言しなければなれないというものではない。
カインは、ディアーナ在国中に会ったり遊んだりすることを禁止するつもりもないし、そうやって少しずつ友情を深めていって友達になってくれればいいと思っている。いわば「俺の屍を超えていけ」というのは、ジュリアンの側妃化を阻止するための方便でしかない。
もちろん、恋人になりたいなどと言い出すのであれば、本気で相手をする所存である。