最後の一人
再び、何が起こっているのか理解できなくて固まってしまう大人たち。
叩かれたフィールリドルは叩かれた方の頬を両手で押さえ、顔を真っ赤にしてプルプルと震えている。隣に座るファルーティアは何が起こったのか理解できずに、目をぱちくりと瞬いて震える姉とディアーナ、ジャンルーカを順番に視線でめぐる。
とっさの事で動けなかったジャンルーカも、ディアーナにかけようとしてあげていた手を下ろせずに固まっていた。
エリゼは一瞬ビンタでよかったとホッとしたが、ビンタでも大問題だと思いなおし、両手で顔を覆ってしまった。
「《お兄様を侮辱したら許しませんわ!》」
ディアーナが、サイリユウム語でそういった。
その言葉にフィールリドルは我に返ると、眉尻を吊り上げて怒り出した。
「《あなた、この国の言葉ができるんじゃない! わからないふりをして馬鹿にしてたのね!》」
「《言葉が通じないだろうからって、悪口を言う方がよっぽど馬鹿にしているのではなくって!?》」
「《お姉さまは悪口なんて言ってないわ! 私たちが言葉がわからないのがカインの教え方が悪かったせいなのは本当の事だもん!》」
妹のファルーティアも参戦してくる。そして、もう一度言われたカインの悪口に、ディアーナはいよいよ腹を立てた。
「《お兄様を侮辱したら許さないって言いましたわよ! ジャンルーカ王子殿下はこれだけリムートブレイク語が話せているのですもの、お兄様の教え方が悪いはずありませんわ! 訂正なさいませ!》」
「ぐぬぬ」
ディアーナが言う通り、ジャンルーカはきちんとリムートブレイク語の会話に参加できていたのだ。カインの教え方が悪いはずがないというディアーナの正論に、二人の王女は反論できない。下唇をかんで悔しそうな顔をしている。
ディアーナは、さらに追い打ちをかける。兄を侮辱された怒りはまだ収まっていないのだ。
「《悪いのは、あなたたちの頭の方ではなくって!?》」
「《なんですって! 不敬よ!》」
ついに、フィールリドルも椅子から降りて立ち上がった。おでこが付きそうなほど近い距離に立つと、ディアーナとフィールリドルはお互い嚙みつきそうな勢いでにらみ合った。
二人の間に火花が散っている幻がみえそうで、ジャンルーカは寒気を覚えて一歩下がって距離を取った。
大人三人は、それぞれ眉間を押さえたりこめかみを揉んだり、それぞれの我が子(王女二人は第一側妃の子ではあるが、ここでは第二側妃と第三妃が保護者である)のやらかしに頭を抱えていた。
「《私はこの国の王女なのよ! 》」
「《知っておりますわ》」
「《この国で一番偉い女の子なのよ! だからあなたより偉いの! その私を叩くなんて無礼だわ!》」
ふんっと鼻息を荒く吐いたフィールリドルが、胸を張ってディアーナに小さく体当たりをした。
それを受けて、やはりふんっと鼻で笑ったディアーナは胸を張り返してフィールリドルを押し返す。
「《王女殿下と公爵令嬢。たしかに、身分ではあなたの方が上かもしれませんわね。でも、私はこのお茶会に王妃殿下から正式に客人として招待されておりますのよ。この場での立場としては私の方が上ですわ!》」
ディアーナのその言葉に、フィールリドルは言葉が出ない。口を真一文字に引き結んで、悔しそうにディアーナの目をにらみつけた。
ディアーナの言う事が正しいからだ。身分は公爵令嬢より王女の方が上だが、ディアーナは王女よりも身分が高い王妃の客としてここにいるのだ。このお茶会に於いては立場は誰よりも高いという事になる。もてなす為に呼んだというのに、姉弟ケンカで場を乱し、客人の身内を侮辱したとなれば王妃の顔に泥を塗ることになる。
「《そこまでにしておかないか、フィールリドル。あなたが悪い》」
第二側妃のシグニィシスが二人の口論が止まった隙をついて口をはさんだ。
「《こうなると思ったから、あなたたちをお茶会のメンバーに入れていなかったのだ》」
「《フィールリドル、ファルーティア。きちんといい子にできるってお約束でしたでしょう?》」
シグニィシスに続いて、第三側妃のファニファールも頬を指先で支えつつ困った顔でやさしく二人を注意する。
二人の王女は、わがままを言っても首根っこつかんで無理やり追い出すだろう第二側妃が客人を迎えに行っている隙に、おっとりしていて二人を無理やり追い出すことができない第三側妃に無理やり承諾させたのだ。もちろん、少しだけ仲が良くなってきつつあった程度のジャンルーカでは二人を追い出すことなどできなかったわけだが。
大人二人から苦言を呈されて、フィールリドルはますます引っ込みがつかなくなる。
「《私は可愛いからいいの! お母様も王妃様もいっつもしかたないわねって許してくださるもの! かわいいわがままねって許してくださるもの! 私は可愛いから許されるの!》」
引っ込みがつかなくなり、無茶苦茶なことを言い出した。二人の側妃に怒られると思って、とっさに過去いたずらを許されたシーンを思い出して出てきたのがこの言葉だったのだろう。
可愛いから許される。フィールリドルから出てきたその言葉に、二人の側妃は呆れて言葉が出なかった。
しかし、可愛いと言われることに関しては誰よりも耐性があると自負する少女がここにいる。とにかくかわいがられ、何をしてもかわいいとほめられて育った可愛いのプロフェッショナル、ディアーナだ。
「《可愛いから何をしても許されるのでしたら、私もかわいいからあなたを叩いても許されますわね》」
自信満々の顔で、ディアーナがそういうと、
「《私の方がかわいいわ! お父様もお母様も私の事をかわいいと言ってくださるもの!》」
「《私だって、お父様とお母様から可愛いって言ってもらっておりますわ。お兄様もたくさん可愛いって言ってくださるわ》」
「《私だってお兄様もかわいいって言ってくれてるわ! お、王妃様もかわいいって言ってくださるわ!》」
「《私も、王妃様から可愛いって言っていただいたことありますわよ。 イルヴァレーノもサッシャもかわいいって褒めてくれるわ》」
突然名前が出てきて、生け垣の前に控えていたイルヴァレーノとサッシャがびくりと肩を揺らした。巻き込まないでほしいという表情がわずかに浮かぶ。無口であまり褒めたりしないイルヴァレーノが、いつの間にディアーナの事を褒めていたのかとサッシャがちらりとイルヴァレーノに視線を投げると、イルヴァレーノは無表情のまま少女のケンカを見つめていたが、耳が赤くなっていた。
いつの間にか、どちらがより多くの人に可愛いと言われているかを自慢する口げんかに代わってしまっている。
「《イルヴァレーノとサッシャって誰よ!》」
「《侍従と侍女よ》」
「《ずるいわ! 使用人は主人の事を褒めるのも仕事なのよ!数にはいらないわ!》」
「《じゃあ、入れなくても良いわ。それでも、褒めてくれる人の数は負けていないもの》」
今のところ、両親と王妃、兄という褒めてくれるメンバーはディアーナとフィールリドルで互角である。
ディアーナとしては、夏休みに行った領地で叔父と叔母にも褒めてもらってるのでそれを言っても良かったのだが、あえて言わなかった。
フィールリドルはまだ顔を真っ赤にしてカッカしているようだが、可愛い合戦が始まって『お兄様』という単語を口にしたあたりから冷静になってきていたのだ。
ディアーナは、正面にフィールリドルをとらえつつ視線だけで周りの様子をうかがった。母のエリゼは両手で顔を覆ってしまっており、二人の側妃は困った顔でこちらを見ている。サッシャは表情を取り繕っているがおろおろとしている雰囲気がでていた。
最後に、イルヴァレーノに視線を移すと目が合った。カインを侮辱されて激怒していたディアーナが、冷静になりつつあることに気が付いたイルヴァレーノは、小さく頷いてみせるとディアーナから視線を外し、ちらりとジャンルーカの方を見た。
それで、ディアーナは自分の考えに自信を持つことができた。改めて正面に立つフィールリドルに視線を戻す。
「《もう、可愛いと言ってくれる人は他にいないのかしら? あなたが言ったのだから、使用人はなしですわよ?》」
ディアーナがそう言いながらジャンルーカをチラ見した。フィールリドルがそれにつられて視線を移し、ジャンルーカの存在を思い出した。
「《褒めてくれる方の人数が同じなら、やはり王妃殿下に呼んでいただいている私の方がこの場では上ですわよ。叩いたことは許していただけますわね?》」
「《いるわ! まだ私の事をかわいいと言ってくれる人はいるわ!》」
「《それはどなた?》」
「《それは……》」
フィールリドルは言いよどむ。あまり言いたくないのだろう。フィールリドルを褒めてくれるもう一人の人物。それは、先ほど自分が八つ当たりをして悪口を言い、叩いてしまった人物だからだ。自分より下にみて、バカにした相手を頼る事に抵抗があるのだろう。
「《それは……》」
「《それは?》」
ディアーナは、お互いの語学学習の一環としてジャンルーカと文通をしている。その中でジャンルーカがカインと一緒になって『褒め殺し大作戦』というお互いが仲良くなる作戦を実行している事を書いていた。徐々に仲良くなってきている事も書いてあった。
フィールリドルを褒めているもう一人の人物。それはジャンルーカである。
指摘をいただきまして、ずっと前に二人の王女のお母さんは第一側妃 という記載がありまして。
なので、シグニィシスは第二側妃に記載を修正しています。
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