カインズブートキャンプ
「起きろぉ!」
ドガッとドアを蹴り開けて、大声で起床を命じながら部屋へと押し入る。
早朝の、貴族用の収監部屋である。爽やかな白いシャツに、柔らかい素材の七分ズボンを履いたカインが入り口入ってすぐのところに仁王立ちしている。
後ろでは、苦笑いをした領の騎士が覗き込んでいた。見張りの騎士が鍵を開けてドアノブを回しているので、別にカインがドアを蹴り開ける必要はまったくなかったのだが、そこはノリである。こういうのは勢いが大事なのだ。
「な、何だ。なんだ?」
「体力づくりのランニングの時間だー!!」
いきなりの襲撃に、ガバっと布団から起き上がったマクシミリアンはパタパタと枕元を手で叩きながらメガネを探している。
布団と壁の隙間にハマっていたメガネをようやく掴んで顔にかけると、迷惑そうな顔をカインに向けた。
「公爵令息のいち日体験とやらは、昨日だけのはずだろう? 私はもう足も腕もギシギシ言っていてまともに動けないんだぞ!」
「いいね! 筋肉が悲鳴を上げている今が成長のチャンスだ! グズグズしている時間はない! 早く着替えて! 着替えさせて! イルヴァレーノ!」
昨日の早朝ランニングと騎士団との剣術訓練のせいで、マクシミリアンは全身筋肉痛になっているらしかった。カインに言われてイルヴァレーノがマクシミリアンの布団を剥ぎ取り、背中に手を入れて無理やり体を起こした。
「いたたたた! 痛い!」
「いいね! 筋肉が成長してる証拠だ!」
いやにハイテンションなカインがグッと親指を立ててウィンクして見せるのを、半泣き状態でマクシミリアンは見上げている。その間にも、筋肉痛で悲鳴を上げているマクシミリアンの腕や足を無理やり伸ばしたり曲げたりしながらイルヴァレーノが寝間着を脱がせてかんたんな運動着を着せて行く。
「さ、僕がお父様から頂いた時間は三日しかないんだ。さっさと立って、さっさと走るよ、マクシミリアン!」
「意味がわからない! なんだっていうんだ!」
「走りながら説明するし、あなたの為だ! ほら、ダーッシュ!!」
適当に着せたシャツは裾が半分しかズボンに入っていないし、ズボンも片方だけめくれて見た目は全然整っていないが、カインが右手を、イルヴァレーノが左手を掴んで無理やり立たせるとそのまま引っ張って収監塔の階段を駆け下りていく。
「あぶっ! あぶない! 階段は危ないからやめないか! 君たち!」
「転んだら治します」
「転ぶ前に風魔法で浮かします」
「そういうことでは! わわっ!」
カインとイルヴァレーノに引っ張られて無理やり収監塔から連れ出されたマクシミリアンは、そのまま両脇を挟まれたまま、ネルグランディ城の周りをぐるりと走らされた。
昨日の今日で急に体力が付くわけもなく、そのうえ昨日の筋肉痛がひどく痛む体ではやはり一周まわるので精一杯だった。カインに走りながらすると言われていた説明もまだされていない。されていたとしても、とてもじゃないが聞いていられる状態ではなかった。
走れなくなったマクシミリアンは城の玄関先に放り投げられて、カインとイルヴァレーノは別に集合して走っていたキールズやディアーナと合流してその後十キロほど走って戻ってきた。
ようやく息が整って来たマクシミリアンは、昨日を思い出しこの後は剣術をやらされるのかと青くなっている。
サッシャが用意してくれていた、爽やかなハーブの香る冷たい水を飲みながら子どもたちはクールダウンのストレッチを各々でこなしていた。
「魔法を限界まで使うと、眠くなってしまうのは知っていますよね」
水を飲みきったコップをサッシャの用意したティーワゴンの上にもどし、マクシミリアンの前にたったカインが声をかけた。
立ち上がる気力もないマクシミリアンは首だけを上にむけて、目を眇めて鼻をならした。
「もちろん、知っているとも。強大な魔法を一気に使うなどしてしまうと、気を失ってしまう事もある」
曲がりなりにも王宮の魔導士団へ入団をしようとしていたのだ。魔導士の弱点とも言える魔力切れ時の昏睡について知らないはずがない。そんな事をわざわざ聞いてくるカインに、マクシミリアンは馬鹿にされたように感じたようで、眉間にシワを寄せて睨みつけている。
「そうです。追い詰められた時などに、一気に魔力を放出してしまうと急激な眠気に意識を失ってしまう事があります。その時、倒れ方が悪かったり、場所が悪かったりすれば当たりどころが悪くて死んでしまうことだってありえます」
「そうだ。だから、魔力残量を気にしなければならないし、信頼できる仲間と行動する事が望ましいのだ」
教科書的な回答である。今は平和な時代なので、そこまで切羽詰まった魔法の使い方をするようなことはめったに無い。
サイリユウムの遷都予定地でカインが倒れたのは、ただ調子にのっただけである。それでも、ジュリアンやセンシュールといった信頼出来る人が周りに居て、魔法陣の中は魔獣は入ってこない安全地帯であるという状況だったからこそ出来た話だ。
「その万が一の時に、です。体力があれば、ほんの一瞬だけ意識を失う時間を伸ばすことが出来る可能性ができます。もしくは、意識を失って倒れる瞬間に、グッと足に力を込めて腰を落とすことができれば、頭から倒れずに済むかもしれません」
「それは……」
サイリユウムで、カインがジャンルーカにも言った話である。そして、元々はティルノーアがカインにしていた話であった。
「魔力の豊富さと、使える魔法の多さは魔法使いにとっては重要なのは間違いありません。だから、日々魔力を練ったり魔術書を読んで新しい魔法を研究したりするわけですから。……でも、最後に物をいうのは体力です」
「極論すぎないか」
「自分の魔法で起きた爆風に、ふっとばされないように踏ん張る強い足腰も必要です」
「そんな強力な爆風を起こすような状況が思いつかないんだが」
「僕は、ふっとばされました。まだまだ鍛え方が足りません」
サイリユウムで魔獣の巣をつついてしまった時に、一気に片付けようと魔力最大で魔法を打ち込み、その爆風でカインはふっとばされて転がって行った。高笑いしながら。後に、ジュリアンから「頭おかしくなったのかと思った」と言われている。
ちなみに、『魔法使って良い追いかけっこ』というのをティルノーア先生の授業でやることがあったが、カインは留学の直前まで勝てた事はない。
ちなみに、カイン、ディアーナ、イルヴァレーノ対ティルノーアという三対一の勝負である。
「マクシミリアン。あなたには魔導士団の入団試験に受かってもらいます。三日で! 受験対策をします!」
カインの言葉にマクシミリアンは目をみひらき、ずれてもいないメガネの位置を無意識に直そうとして逆にメガネをずらしてしまい、慌てて両手でつるを握って更に位置をなおしている。
前世でメガネ男子だったカインは、その様子に思わず「ふふっ」と笑ってしまいマクシミリアンに睨まれてしまった。
「幸いなことに、魔導士団に所属しているティルノーア先生も城に滞在中だし。僕はティルノーア先生から『卒業後は魔導士団に入ろ? ね?』って誘われているぐらいには魔法が使えているし。あなたは自称『試験官が悪い』と豪語できるレベルで魔法に自信があるようですし」
「含みのある言い方だね。三日がどうとか。魔導士団に入団させるとか。とにかく、説明をしてくれないか!」
カインがぐるりと回りをみれば、子どもたちのクールダウンも終わっている。サッシャも皆が飲んでいた水のカップをワゴンに片付けていつでも戻れる状態になっていた。
「朝食で説明します。今日は僕らは小食堂の方に用意してもらっているから行きましょう。……アル殿下もご一緒しますけど、何かしようとしたら速攻牢屋戻りですからね」
「……そんなことしない。私は、王家に対して何ら含みはないしちゃんと忠誠を誓っている」
じゃあ、移動しようかと歩き出したところで、マクシミリアンが付いてこない事に気がついた。
「どうしました?」
振り向いて声をかければ、マクシミリアンが真っ赤な顔をしながら大きな声で答えた。
「足がガクガクしてもう立てないんだ!」
マクシミリアンは、食堂まで騎士におぶられて移動した。
ディアーナに道中「そんなになるまで頑張って走って偉かったですわよ!」と励まされ続けて、マクシミリアンは騎士の肩に顔を押し付けて「勘弁してください」と泣き言を言っていた。




