幸運は忘れた頃にやってくる
「てれてれってれーん! 第一回マクシミリアン対策会議ー!」
わーパチパチパチ、と口でいいながらカインが一人で拍手をしている。イルヴァレーノが呆れた顔でそれをみていた。
「何を言い出すかと思えば。今度はなんだ」
「マクシミリアンからディアーナを守る会だよ」
「そんな会は初めて聞いたぞ」
「僕も今初めて言ったよ」
マクシミリアンにカインと同じ一日を体験させる、という謎の一日が終わったその夜である。
夕飯も終わり、寝支度も整えてあとは寝るだけという時間。カインの部屋に、カインとイルヴァレーノの二人で椅子に向い合せで座っていた。
「というか、別にアイツはディアーナ様を狙ってないだろう? 奴の狙いはリベルティ姉ちゃんとティアニア様だったんだから」
「わからないよ。エルグランダークの領地で騒ぎ起こしたんだから、巡り巡ってディアーナの害になるかもしれないじゃないか」
ド魔学の教師ルートで「カンニングを告発されて公爵家から勘当される可能性がある」などとは流石に言えないカインである。
「貴族社会のしがらみが色々あって、サージェスタ家の御家断絶って事には出来ないらしいんだよね」
「いいんじゃないか? 変に逆恨みされて復讐されても困るんだし、それならそれで」
イルヴァレーノは幼い頃の自分を振り返る。誰も怪我をしていなくても、物理的な損害を何も被っていなかったとしても、矜持を傷つけられたというだけで相手を排除しようとする、報復しようとする。貴族にはそういった者が多いのをイルヴァレーノは身を以て知っている。
サージェスタ侯爵家に対して表向きでは何も無いという事であれば、矜持を傷つけられたという理由での報復を気にすることはないんじゃないか、とイルヴァレーノは言っている。
「サージェスタ家として何事もなかったとしても、マクシミリアン本人に全くお咎めなしってわけにはいかないだろうからなー」
「あぁ、個人的に復讐してくる可能性があるのか」
室内に二人だけになっているからか、イルヴァレーノの口調が砕けたものになっている。
夏休みになって領地に滞在し、孤児院時代の知り合いであるリベルティと接する時間も出来たせいか、だいぶゆるくなっているようだ。
ディアーナものびのびと遊ぶ事が多くて、ディスマイヤが居る場所でも時々仮の姿が剥がれて開放的に過ごしている事がある。
カインは、領地に来てからイルヴァレーノがエルグランダーク家に来た頃を思い出して懐かしい気分になっていた。
「復讐出来ないぐらいに徹底的に潰そうって話か?」
「物騒だなぁ」
イルヴァレーノが右手の親指を立てて、自分の首を切るようなジェスチャーをしてみせた。カインは苦笑しながら手を振ってその提案を否定してみせる。
カインが前世、ゲームから読み取れたのは子爵家の三男として育ってきたマクシミリアンは、平民になることを非常に恐れていたということだ。
騎士になって功績を上げれば騎士爵という準貴族といえる地位を得ることができる。
同じように、魔導士団に入団して功績をあげれば魔導爵という地位を与えられることがある。
騎士爵や魔導爵を得られていなくても、どちらも王宮直属の部署なので平民からは一目置かれるようになるし、貴族たちから侮られることもない立場になれる。
ゲームのマクシミリアンはそれを知っていたから、魔導士団に入団しようとしていたのだし、試験に落ちて入団できなかったことで卑屈になり貴族ばかりが通う学校の教師をしつつも『貴族である生徒たち』に暗い気持ちを持って接するようになるわけだ。
「結局のところ、マクシミリアンがやりたかったことはなんだと思う?」
「兄貴の愛人とその子を連れ帰って、兄貴を失脚させて自分が次期当主になりたかったって事じゃないのか?」
「マクシミリアンは三男なんだぞ。兄を一人失脚させたところで当主にはなれないだろ」
「でも、上の兄貴がアイスティアの土地と伯爵の位を貰えるって話なんだろ? だったらもうひとりの兄貴を失脚させれば当主の座が転がってくるじゃないか」
「そうなんだけどさ。マクシミリアンはそれを知らなかったって話だから、実行に移した時点で当主になれると考えるわけないんだよなぁ」
カインが腕を組んでうーんと言いながら自分の足先を見ている。寝支度が整っているので、靴ではなく柔らかい室内履きを履いている。白くてもこもこしている割には編み目が荒いので通気性があって意外と涼しい。
「……今日一日のアイツを見ていて思ったんだけど」
「うん?」
ぼそり、とイルヴァレーノがつぶやいた。
早朝のランニングについてこれずに倒れ、騎士団に混ざっての剣術訓練では早々にギブアップし、午後の勉強は生き生きとしていたが、お茶の時間の後の魔法の授業ではカインの無詠唱魔法やオリジナルのお茶入れ魔法などを見て挫折していた。
「俺は、お前に拾われたときに思った事があるんだ。『貴族の子どもなんて甘やかされてお菓子食べて遊んで昼寝してると思ってた』ってな」
「え、そうなの? じゃあ、意外と頑張ってたでしょ、俺」
「ああ、意外だなって思ったんだ」
マクシミリアンはなぜか勉強と魔法に自信があり、魔導士団に入団出来なかったのは試験官が悪いぐらい思っていそうだった。
「アイツは『甘やかされてお菓子食べて遊んで昼寝してる貴族の子』だったんじゃないのか? 三男で家を継がせる必要がないからこそ、親も厳しく学ばせる必要がないと思ったとかさ。甘やかされてなんでもかんでも褒められて来たんじゃないか?」
イルヴァレーノの言葉に、カインが目を丸くした。
「褒められれば、やる気でて更にいろんな事に打ち込むものでは?」
「そうでもないだろ。実際ディアーナ様は、最初お前が褒めるせいでまともに本の内容を理解していなかったじゃないか」
「うぐぅ」
ディアーナが幼い頃、カインが本を読んでやると動物の名前に反応して絵本の絵を指差す事があった。読み聞かせにうさぎが出てくればうさぎの絵を指差し、馬が出てくれば馬の絵を指差す。それを「正解! 偉いね! すごいね! 賢いね!」と褒めちぎったのはカインだ。
動物の名前当てに夢中になっていたディアーナは絵本の内容を理解しておらず、「絵本には物語がある」ということを理解していなかったのだ。
そのせいで教訓の含まれた絵本を読んでいてもディアーナの理解は進まず、文字を覚えるのもあまり進んでいなかった。
しかし、イルヴァレーノがディアーナの「褒め待ちの指差し」を無視して絵本の読み聞かせをし、読後になぞなぞを出すというやり方にしてから、ディアーナの本に対する理解度がぐんと上がったという事があったのだ。
「褒めて伸ばす方針も、良いことばかりではないということか……」
「他の部分ではうまいこと誘導していたから、いいんじゃないか。今のディアーナ様は……まぁ、賢く育っているんだからいいだろ」
ディアーナを褒めることに抵抗があるのか、イルヴァレーノのほっぺたが少し赤くなっている。カインがニヤニヤして「ディアーナは賢いよねぇ。イルヴァレーノもそう思うんだねぇ」と室内履きのつま先でイルヴァレーノのスネを蹴ろうとして、避けられた。
「ディアーナ様については置いといて。アイツの話だろ。本当に兄貴のために仲を引き裂かれた恋人を取り戻そうとしただけかもしれないし、兄貴を失脚させて親に褒められたかっただけかもしれない。なぜか城の中まで侵入出来ていたけど、ゆりかごの部屋での襲撃内容はお粗末だったり、訳のわかんない女の情報信じてこんな辺境まで来てたり、王妃殿下と王太子殿下がいることに気づかなかったり。どうにもこうにもおそまつすぎるんだよ。ようは、アイツはお前と違って大した努力もしてないのになぜか出来ると思い込んでいたお坊ちゃんだったってことだろ。実際のところ、自分自身でも何がやりたかったかなんてわかってないかもしれないぞ」
「お、おう。イルヴァレーノがすごい喋ったことにびっくりだが」
「うるせぇ」
イルヴァレーノがプイッと顔をそむけて、椅子の上にあぐらをかいた。それまでは普通にすわっていたのが急に行儀が悪い。
「……なにか、あるんだろ? お前はどうしたいんだ?」
顔をそむけたままで、イルヴァレーノがボソリとつぶやいた。きちんとカインの耳にとどく声で。
「どうしたい、とは?」
マクシミリアンをどうしようか?という作戦会議をしていたつもりのカインである。「カインはどうしたいのか」と聞かれて、キョトンとしてしまった。
「昔っから、なにかあるだろ。俺を引き取ったり、王太子の評判を上げようとしたり、ディアーナ様にこっそり剣術を教えたり。最近だって、キールズ様の恋を取り持ったり。何かやりたいことがあって、そういう事をしてるんだろ?」
椅子の上にあぐらで座り、自分の足首を掴んで身を乗り出しているイルヴァレーノが、そむけていた顔をカインに向けて、真剣な顔で見つめてきた。
「こないだの、縦巻きロールヘアになったディアーナ様を見た時の様子もおかしかったよな。普段なら新しい髪型のディアーナ様を見れば地面を四回転ぐらい転がりながら涙と鼻水を垂らして絶賛するはずなのに、笑って褒めただけで終わってた」
「いや、イルヴァレーノの中の俺のイメージどうなってんの」
「話をそらすなよ」
四回転して涙と鼻水を垂らして絶賛まではしないと思う。自分でもディアーナをかわいがっている自覚はあるが、そこまでじゃない、とカインは自分では思っている。そんなに変態みたいな喜び方していないと自分では思っているので、話をそらしたつもりはなかったのだが。
「『情けは人の為ならず』なんだろ。カイン、お前はマクシミリアンをどうしてやりたいんだ」
イルヴァレーノに言われて、カインはハッとした。
『情けは人の為ならず』とは、イルヴァレーノを拾ったときに言って聞かせた言葉だった。
暗殺者ルートは悪役令嬢であるディアーナのみならず、ヒロイン以外が全員死んでしまうエンディングなので、イルヴァレーノを拾ってルートを潰す事は、結果的にカインが死なずに済む事につながる。
イルヴァレーノに情けをかけて、真っ当な道に戻すことは自分が生きる未来につながっている、そういう意味で使った言葉だった。
実は、そんな事をイルヴァレーノに言ったこともすっかり忘れていた。
「俺は、お前に拾われて侍従になった。その御蔭で給料を孤児院に定期的に入れられるようになったし、セレノスタの再奉公先も見つけられた。だから俺は、お前のそばでお前の世話を焼くし必要があればお前の身を守る。お前にかけられた情けを、俺はお前に返す」
真剣な顔のイルヴァレーノを同じように真剣な顔で見返していたカインだが、ふと気が緩んだように微笑した。
「もう、十分返ってきてるよ。失敗したと思って落ち込んでるときに励ましてもらったし、留学でディアーナのそばを離れてる間にディアーナを守ってもらってる。こうして、相談相手になってもらってる」
カインの言葉に、イルヴァレーノは顔を横にふる。
「王太子だって、あんなにお前に懐いてる。ちょっと剣の修行を一緒にしたぐらいじゃああはならないだろ。アレだけ懐いていれば、きっとこの先お前になんかあったときに手を差し伸べてくれるだろうよ。それは、お前の情けが返ってくるってことだ」
そういって、イルヴァレーノはあぐらをほどいて椅子に正しく座り直した。背筋をのばして、改めてカインの顔を真っ直ぐに見てくる。
「何を知っていて、何を成し遂げたいのかはわからないけど。お前は、マクシミリアンをどうしたいんだ? 何か、やりたい事っていうか、ゴールみたいなのがあるんだろ? それを俺に教えろって言っているんだ」
「イルヴァレーノ……」
「手が足りないなら貸してやる。何度言えばわかるんだ」
六歳の時。ランニング中に裏門近くに落っこちてきたイルヴァレーノ。おそらくヒロインとの「思い出イベント」直前のあの時に出会えたのは本当にラッキーだったんだと、カインは目頭が熱くなるのを感じた。
「一万回ぐらいかな?」
おどけた顔をして、茶化して返事することで泣きそうなのをごまかした。