カインと一緒の一日
「腕を前から上にあげて〜背伸びの運動から〜」
「いっちにー、さんしー、ごーろく、しっちはっち」
ネルグランディ城に来てからも、カインの日課は変わらない。
朝起きたら朝食前にランニングだ。
キールズも元々走り込みはしていたそうで、今だけカインに付き合って早朝にランニング時間をずらしている。
コーディリアは日課でもなんでもなかったが、ディアーナも走っていると聞いて参加するようになった。
アルンディラーノも「仲間はずれは良くないよ!」といってこちらに来て三日目ぐらいから一緒に走っている。
そして今日から、早朝ランニングメンバーに一人増えることになった。
マクシミリアンである。
ディスマイヤと王妃殿下で散々脅したせいか、あの日の午後から行われた事情聴取に対してマクシミリアンは非常に協力的だそうだ。
事情聴取は、ネルグランディ領騎士団の第四部隊が担当している。
領騎士団の四つある部隊のうち、情報関係を担当している部隊である。
いちおう、マクシミリアンは貴族令息なので第四部隊の部隊長が聞き取り調査をしていたということだった。第四部隊の隊長は、エクスマクスにあこがれて遠い領地からやってきた貴族出身者なのである。
リベルティとティアニアがネルグランディ領にいるという情報は、『黒い女』から聞いたと言っている。
黒いシンプルなワンピースを着たスタイルのいい女で、誰だかはわからないし名前も聞いていないという。
「そんな素性のわからない人から聞いた情報を良くもまぁ、信じたものですね」
「私の家族でなければ知り得ない情報も知っていたのだ。それで情報屋としては信頼できると思ったし、実際兄上の愛人とその子どもはこの城に居たのだから情報に間違いはなかった」
「王妃殿下と王太子殿下もここに居るという情報が提供されていない時点で、ハメられてるってことじゃないですか」
「うぐっ」
ランニングをしながら、父や叔父から聞いていた聴取結果についてマクシミリアンに改めて聞いているカインである。会話をしながらも速度が変わらないカインではあるが、マクシミリアンはもう息があがってしまって今にも脚が止まりそうである。
「ほら、足が止まりそうだよ。マクシミリアン殿、走った走った!」
「む、無理だ…。心臓が止まってしまう…」
キールズがマクシミリアンを後ろから追い立てるように声がけしている。まだ城の周りを一周もしていないのに、マクシミリアンの足はよろよろと左右にゆれており、膝はガクガクと震えている。
「すーすーはー、すーすーはーってすると良いよ」
「先に行ってお水用意してもらっておきますわ」
ディアーナとコーディリアが、声をかけながらマクシミリアンを追い越して走っていく。遅い人に合わせてペースを落として走るより、自分の走りやすいペースで走ったほうが走りやすいものだ。
今日は、スタート地点である玄関前にサッシャが待ち構えて飲み物を用意しているはずなので、コーディリアはそこで早めの用意をお願いしてくれるつもりなのだろう。
普段はもっと周回数が多いので、まさか一周目から水をくれと言われるとは思っていないだろうから。
「女の子たちに追い越されても、落ち込まないでね。僕も最初はあんまり走れなかったんだよ」
「アル殿下が走れなかったのは四歳の頃じゃないですか」
「カインがたくさん走るといいよ! って教えてくれたんだよね、今ではもう近衛騎士より速く走れることもあるよ!」
「ほら! 四歳児と同じだから大丈夫だよとか言われてどうするんだよ、マクシミリアン殿?」
「はぁ。ひぃ」
アルンディラーノに慰められ、キールズに叱咤されてももはや返事もできないマクシミリアン。呼吸をするだけで精一杯になってしまっていた。
当主がまだ祖父であるとはいえ、侯爵家の一員であり魔法学園も卒業しているだろうにこの体力の無さはどういうことなのか、カインは不思議でならなかった。
カインは前世の記憶があったために、積極的に勉強も運動もこなしていたという事情はあるものの、ゲームの「年上の先輩ルートの攻略対象者」であったカインは『公爵家の跡継ぎとしてのプレッシャー』により、甘やかされているディアーナとの確執が発生していたぐらいなのだ。
貴族の家の子はある程度厳しく教育を受けるものなのではないだろうか。こんなちょっと走ったくらいで死にそうになっているのはだらしなさすぎるのではなかろうか。
領騎士団の第四部隊長は、情報収集担当らしく見た目はとっても普通のおじさんといった感じの人だった。
「お初にお目にかかります」
とカインとディアーナに挨拶をしてくれた彼は、目尻に鳥の足跡のようなシワをよせてニコニコととても優しそうに笑っていた。
そして、ニコニコと笑ったまま「もっと上手に隠さないといけないよ」と言ってイルヴァレーノの隠し武器を全部奪って見せていた。
「イルヴァレーノはもうそんな事しなくていいのに」
とカインは言ったのだが、
「お守りみたいなものなんです」
とイルヴァレーノは言って武器類をまた体のあちこちに隠してしまった。
そのできる第四部隊長から「カイン様のいつもの一日を一緒に体験させてやってください」と頼まれたのだ。
夏休みだからだらけているよと言ったのだが、一日だけ普段と似たような行動をしてほしいとお願いされた。キールズやコーディリアも「興味がある」といって付き合ってくれる事になったので、じゃあやるかと言うことになって今にいたる。
おそらく、騎士たちがどこかから隠れて警護してくれているはずである。
「朝のランニングは、帰省してきてからもずっとやっていたよな。この後なにしてるんだ?」
「朝食をとって、今なら学校に通うだけだけど。学校に行く前は王城に行って近衛騎士団と一緒に剣術訓練してたよ」
「えー!? マジで? いいなぁ。俺も領騎士団の訓練に混ぜてもらってたけど近衛騎士団って更に強そうでいいよなぁ」
「僕も一緒に訓練してたよ!」
キールズ、カイン、アルンディラーノは走りながらも会話ができている。マクシミリアンはもはや歩いたほうが速い速度で走っていて、その後ろをその場駆け足のようにしながらイルヴァレーノがついてきていた。
ようやく一周回ってきたところで、もはや虫の息となっているマクシミリアンは置いていくことにした。サッシャの他にアルノルディアが立っていたので、後は任せたと言って走り出す。
先に行って水を用意していたディアーナとコーディリアも合流して、子どもたちはその後十周してから柔軟体操をして、朝のランニングを終えた。
朝食後は領騎士団の訓練に参加させてもらった。
アルンディラーノは近衛騎士団の剣術と型が違うことに驚きながら、楽しそうに訓練をしているし、カインは体格の近いキールズと打ち合いすることで半年ほどのブランクを取り戻そうとしていた。
王妃殿下とアルンディラーノについてきていた近衛騎士も数人訓練に参加しているのと、マクシミリアンが参加していることもあって、ディアーナとコーディリアは見学している。
ここでも、マクシミリアンはヘロヘロで木刀を十回も素振りしたらもう腕が上がらなくなってしまっていた。
「貴族って、ある程度は剣を使えるものだと思ってたんだけど」
「辺境領を持ってりゃやるかもしれないけどなぁ。王都の貴族はそうでもないんじゃないか?」
「サージェスタ侯爵の領地って南西の辺境でしょ?」
「そうなのか? まぁ、騎士団が優秀なら領主はそうでもなくてもいいのかもな」
騎士団訓練場の端でぐったりと横たわっているマクシミリアンを見下ろしながら、カインとキールズでそんな会話をしていた。
聞こえているのかどうなのか、マクシミリアンはピクリとも動かなかった。
昼食を挟んで、午後からは部屋のなかで勉強である。
キールズとカインは学校から出されている課題をこなし、ディアーナとコーディリアは……マクシミリアンから勉強を教わっていた。
「ふふん。こう見えて……いや、見た通りに私は頭がいい! 魔法学園を首席で卒業しているのだからね! わからない事があればどんどん質問するように!」
午前中の死に体が嘘のように生き生きとしている。メガネをクイックイッとつりあげている。
ゲームの「マックス先生」とのイメージにだいぶギャップがある。ここから三年でこの人に一体なにがあったというのか、ある意味興味が湧いてくるカインである。
「マクシミリアン先生〜。虫食い算でわからないところがあるのでおしえてください」
ビシッと手をあげるディアーナに、マクシミリアンは嬉々としてちかづきその手元を覗き込む。
ディアーナは手元の計算途中の紙をずずっと押し出してマクシミリアンに見せた。
「□ー七=五 これは、七+五と同じだから十二ってわかるんです。でも、五×□=二×□―六がちょっとわからないのです。両方から六を引く? 掛け算が先?」
「……ディアーナ様は、九歳ですよね」
「うん」
カインは自分の課題をやりつつも、ディアーナの発言、行動、一つ一つを精神を研ぎ澄ませて感知している。ディアーナの言っているのはいわゆる方程式の基本部分であり、カインの前世的に言えば中学1年生の数学範囲になる。
イアニス先生の授業範囲からいえば、この世界で魔法学園卒業レベルだと数学でいえば三平方の定理と図形の相似、因数分解までである。それを考えれば入学まえのディアーナがここまでできていればかなり勉強が進んでいると言える。
「カイン、顔がやばい。自分の勉強にもっと集中しろよ」
「ディアーナ、天才じゃない?」
「だから、顔がやばいって。自分の課題をやってしまえよ」
キールズは呆れた顔をしながらカインにハンカチを差し出した。カインはハンカチをうけとってよだれだの鼻水だのを拭って、それでもディアーナの方をみていた。
マクシミリアンは、頭がいいというのは口だけではないようで
「二×□を=の右側に移すんだよ。=の逆側に移す時はどうする?」
「マイナスはプラスに、プラスはマイナスになるんだよね」
「そうだね、だから、五×□―二×□=―六になるでしょ」
「あ、五引く二は三だから、三を掛けてマイナス六になる数字をかんがえればいいんだね?」
「そう。そうすると□はなに?」
「マイナス二だね!」
きちんと、ディアーナに勉強を教えている。自分の指導で解答を得て、喜んでいる子を見る目はゲームのマックス先生のスチルとさほど変わらない。
コーディリアからの質問にも、きちんとわかりやすく答えて勉強を教えているようだった。
「マクシミリアン先生! 魔脈の探索における地上からの魔力音叉での反響確認法と三点試掘による保有量予測法の利点と欠点について教えて下さい!」
「君は本当にそれを知りたいのか?」
カインがビシッと手を上げてマクシミリアンに質問をしたが、軽くあしらわれてしまった。カインも特に詳しく知りたい質問でもなかったので「いいえ」と答えておとなしく課題の続きをすることにした。
午後のお茶の時間が終わると、魔法の授業である。
「もーさー。ボクはセンスの無い人に魔法を教えるのいやなんだけどお〜」
夏休みの追加授業として、ティルノーア先生がキールズやコーディリアを含めて教えてくれることになったのだが、部屋に入ってきてマクシミリアンの顔をみた瞬間に嫌そうな顔をした。
「そういえば、離れの襲撃のときからそんなこと言っていますね。ティルノーア先生はマクシミリアン殿と面識があるんでしたっけ」
「三回ほど、魔導士団の入団試験を受けに来ているんだよネぇ。貴族の子らしく魔力はたくさんあるんだけど、如何せんどうにもこうにもセンスがなくってさぁ」
ティルノーア先生が肩をすくめてやれやれと大げさにため息をついてみせる。マクシミリアンは眉毛をつりあげて怒ったような顔をしていた。
「私は! 侯爵家の生まれとしてきちんと魔法の練習に励んできた! 魔力量も多いし読み込んだ魔術書だって膨大だ! それを、センスがないだのと難癖つけて落とすのだ。私の実力に嫉妬しているにちがいないのだ!」
マクシミリアンが元気に吠える。
平民より貴族に魔法が使えるものが多いのは確かだ。イアニス先生は「魔力の多さは血統に依存するのではないか」という仮説を論じていた。
歴史あるサージェスタ家の末裔として、マクシミリアンはたしかに魔力は多いようだった。
「もー。めんどくさいよねぇ。ボクはキールズ様とコーディリア様のワクワク! ドキドキ! 四苦八苦しながら魔法を覚えまショー! がやりたいんだよ。マクシミリアン様の面倒みるとかさぁ〜ねぇ?」
ティルノーア先生がカインに向けて同意を求めてくるが、カインは曖昧にあははとわらってごまかした。
魔導士団の入団試験に三回落ちたとはいうが、そんなにひどい成績で落ちたというのだろうか。
「あーもー。鼻っ柱でも折っとく?折っちゃう〜? カイン様、魔法みせてあげてよ。そうだねぇ、カップにお茶でもいれる?」
「お茶がなんだというのですか。お茶の時間は終わりました。今は、魔法の授業なのでしょう? 魔法をやりましょう。先程の授業のように、私が魔法を教えて差し上げてもよろしいのですよ?」
ディアーナとコーディリアに勉強を教えたことで、自信を取り戻していたマクシミリアンは魔法でも子どもたちの指導にあたれると考えているのか、いやに自信満々である。
ティルノーアに言われて、一度は片付けたテーブルの上にイルヴァレーノがティーカップを人数分ならべていく。
「カイン様」
ティルノーアに名前を呼ばれてそちらを向けば、人差し指を立てて唇にあてていた。声をださない、というジェスチャーだ。
意図を理解したカインは小さく頷くと、テーブルの前に立つ。
右手を顔の前にさしだすと、テーブルの上に小さな水の玉が七つ現れた。カインは水の玉を見つめたままグッと手を握ると水の玉がわずかに小さくなったように見える。
そのうち、水の玉の中に空気の玉が湧き上がり湯気が立ち始める。
「……まて、詠唱は? 水を出すのに今、詠唱をしなかったのか?」
そのまま、水の玉が湯に変わった頃にイルヴァレーノが近づいてきてカップを持ち上げた。浮いている水の玉をカップで下からすくい上げるように淹れると、カップをテーブルの上に置いた。
七つのカップで次々に浮いている水をカップにいれていくと、やがてテーブルの上にはお茶を淹れるのに丁度いい温度のお湯がはられたカップが七つ並ぶことになった。
「おお〜、なるほど。カップの方からお湯を迎えにいけばテーブルが水浸しにならなくてすむんだねぇ」
イルヴァレーノの行動をみて、ティルノーアがポフポフとローブの中で拍手をしている。
魔法で水をだし、そして沸かすというお茶の入れ方の課題は「カップにお湯を落とすときにこぼす」という点であったが、夏休み中に散々テーブルを水びたしにした結果、イルヴァレーノがカップでお湯を掬えばよいという手法を発見して以来解決している。
「火じゃなくて、風魔法を使ってお湯を沸かしたのか? 風魔法も詠唱がなかった……まさか、そんな」
マクシミリアンは呆然としている。
「魔法のセンスが良いっていうのは、こういう事をいうんだよマクシミリアン様。カイン様は、ボクがこれを見せた次には同じことをやってみせたよ。……お湯の沸かし方はボクとちがうけどねぇ」
「わ、私だって教わることができれば無詠唱だって身につけてみせる…」
いつも飄々としているティルノーア先生が、眉毛を八の字にしてゆっくりと顔を横に振った。
「今日一日、カイン様といっしょに過ごしたでしょう〜? カイン様はこれ休息日以外毎日の日課だったんだよぉ。ボクも、週五で魔法教えに通ったもんねぇ。お給料よくって助かっちゃったモンねぇ」
「週五?」
マクシミリアンが目を見開いてカインの顔をみる。カインは、肩をすくめてみせた。
「昼食後の勉強は、座学だったり礼儀作法だったり芸術だったりしましたけどね」
「剣術訓練に行く前は午前中毎日座学だったでしょぅ?」
「そうですけど」
マクシミリアンの視線がだんだんと下がっていって、首ががっくりと下がってしまっている。
「高位貴族は生まれつき魔力が多い子が多くてねぇ。やらなくてもできるって言ってやらない子が多いんだよねぇ。教科書に載っている事ができれば出来た! って言ってそこでやめちゃうの。ほーんと、つまんない」
「あの、ティルノーア先生。あんまり追い詰めないであげて……」
マクシミリアンの頭はどんどんと下がっていき、やがて膝をついてしまった。
その様子を見つつ、キールズとコーディリアはその姿を同情的な目でみつめていた。
「いや、俺たちもカインほどの頻度で勉強してねぇし……。無詠唱で魔法とか使えないから……」
「あの、元気だして?」
三年生のキールズと学校入学前のコーディリアに励まされて、マクシミリアンはついに床にうずくまってしまったのだった。




