コーディリアの初恋と失恋と次の恋
カインが初めて領地に来たのは九歳の時だった。
毎年春先になると領地の視察に行っている父に、そろそろ自分の継ぐ土地を見ておきなさいと連れて行かれたのだ。
本当は八歳の時に連れて行かれそうになったのだが、ディアーナと一緒じゃなきゃ嫌だとダダをこねて、こねて、こねまくって、ディアーナも馬車旅に連れて行っても大丈夫だろうとなった九歳と六歳になってからセットで連れてこられたのだ。
叔父と叔母であるエルグランダーク子爵夫妻とは、王都で会ったことがあった。国家行事などで王都に来ることがあれば公爵家の邸を宿として行動していたので、その時には挨拶して時間があれば遊んでもらっていた。
しかし、キールズとコーディリアに会うのはカインが領地に来た時がはじめてだった。
初めて会う従兄弟に、カインとディアーナはサイラス先生仕込の綺麗な礼をとったのだった。
「はじめまして、キールズ兄様。コーディリア嬢。ディスマイヤ・エルグランダークの長男、カイン・エルグランダークです。いつも叔父様叔母様からお話を伺うたびに、お会いしてみたいと思っておりました。本日、願いかなってお会いすることができて、感無量です。どうぞ、仲良くしてください」
玄関を入ってすぐのエントランスホールには高い位置に窓が作られており、中天にある太陽の光が差し込んでいる。カインの金色の髪の毛が太陽の光を透かしてキラキラとひかり、柔らかく微笑むその顔はまるで教会に飾られている聖母像のようであった。
とにかくデカくて大雑把で風呂上がりにパンイチでうろつく様な父や、虫やカエルを捕まえては見せつけてくるガサツな兄、より高く木に登ることを自慢してくる近所の友人たちといった男に囲まれていたコーディリアは、カインの様な洗練された美しい男の子を見るのははじめてだった。
丁寧に挨拶してくれたその声は甘く耳にするりと入り込み、微笑む笑顔は何処までも優しく慈愛に満ちていた。
コーディリアは心臓を掴まれたかのように息苦しくなり、顔が火を吹くように熱くなっていくのを感じた。
挨拶をして姿勢を戻すカインの、遅れてついてくる流れる髪や、胸に宛てていた白い指が体の脇に優雅に戻っていく様などを瞬きも忘れてじっと見つめていた。
これがコーディリアの初恋だった。
しかし、カインの挨拶に心を掴まれ、その容姿に見惚れ、自分の感情に一杯一杯になってしまった事で、コーディリアはカインに続いて挨拶をしていたディアーナの事を見ていなかった。
ディアーナが挨拶しているのを無視してカインに注目してしまった時点で、コーディリアの初恋は破れてしまっていたのだ。
年の差と男女差のせいで、領地にいるうちはどうしてもキールズとカイン、コーディリアとディアーナで遊ぶことが多かった。
カインと喋りたいしカインと遊びたいコーディリアは、みんなで一緒に過ごすお茶の時間や昼食の時間になんとかカインの隣に座ろうと画策するが、カインはディアーナが席を決めてからその隣に座ろうとするのでなかなかうまく行かなかった。
ようやくコーディリアがカインの隣の席に座れたと思えば、その時は膝の上にディアーナが居るのだ。そうなってしまうと、カインは膝の上のディアーナの面倒を見るのに一生懸命になってしまうので中々親密になるための会話はできなかった。
カインの付き人として付き従っている幼い侍従が、時折「カイン様狙いならディアーナ様と仲良くした方が良いですよ」と忠告してくるが、その時のコーディリアにとってはとにかくディアーナが邪魔で仕方がなかったのだ。
カインと一緒に遊びたいが、カインとキールズが遊んでいるところに混ざろうとするとどうしても男の子遊びになってしまう。それでは、カインにガサツで男勝りな女性だと思われそうで嫌だった。なので、ディアーナをダシに、カインを女の子遊びの方に誘おうとすると、ディアーナが男の子に混じりたい!と言ってカインの元へ行ってしまうのだ。そうして、子ども四人で遊ぶことになればカインと一緒に遊ぶという目標は達成出来るのだが、カインに可愛い女の子だと思われたいコーディリアはいまいち本気では遊びに混ざることができずに、つまらない思いもしたのだった。
それでも、カインはずっと優しかった。ずっと微笑んでいた。ディアーナと手をつないで庭園を散歩していれば、ありがとうと言って頭もなでてくれた。ディアーナの次に。
カインはずっと優しかった。翌年も、その翌年も、来る度にかっこよくなっていくカインは、ずっとコーディリアに優しかった。よく褒めてくれたし、頭もなでてくれた。
カインは良くキールズに「好きな子は居ないのか」「恋人はできたか」と聞いていた。毎年来る度に聞いていた。だから、恋バナが好きなのかと思ってカインにも同じ質問をするが、いつも優しくはぐらかされた。
コーディリアも鈍くは無い。カインの心を掴むのは無理だと言うことはもう分かっていたが、カインがずっと優しいので、コーディリアはカインを諦めることができないままでいた。
そうして今年、留学してしまったせいで春先の公爵の視察にカインがついてこなかった事にがっかりしていたコーディリアだが、夏休みの帰省で領地に来ると聞いて飛び跳ねた。
それが、王都に帰るよりも早くディアーナと合流するためだとしても、会えるのが嬉しかった。
カインにもらったお土産は、サイリユウム独特の染め方で光差す水底のような模様が染められているリボンや、総レースで作られているオペラ手袋、やはりサイリユウムの染め方で色が付けられた日傘等だった。
日傘は、日が透けると地面に水紋の様な綺麗な模様が浮き上がるようになっていた。
どれもコレもコーディリアの心をときめかせるお土産で、常々「貴族令嬢らしくありたい」と頑張っているコーディリアにはピッタリのものだった。
ウキウキと、カインにお礼を言おうとしてカインの部屋に行くと、にぎやかな声がカインの部屋の隣のディアーナの部屋から聞こえてきた。
きっとディアーナのお土産を開けているんだろうと思ってそちらに足を向け、開けっ放しのドアからひょいと顔をのぞかせたときだった。
「君を害する物全てから君を守ろう。君を脅かすものはすべて私が排除しよう。君こそが私のすべて」
そういってキリッとした顔で決めポーズをするディアーナがいた。
白い騎士服を着て、立派な剣を持ち、きっちりと髪を結って凛々しく立つその姿は。
窓から入り込む西日がきっちり結ばれた金色の髪に反射してキラキラとひかり、凛々しくキリッと眉を釣り上げた顔はまるで騎士物語の騎士のようだった。
君こそすべてと熱く語るディアーナに、三年前にひと目で恋に落ちてしまったカインの姿が重なった。
コーディリアは、ディアーナのその騎士姿に肺を潰されたように息苦しくなり、顔がカンカンに熱くなっていくのを感じていた。
凛々しいディアーナから目が離せなくなり、何故か瞳からは涙がこぼれ落ちた。
コーディリアはきゅうきゅうと切なく痛む胸のあたりの服をギュッと握りしめ、来た道を戻って自室に駆け込んだ。