寄り道:カインのこだわり
カインは、人を略称や愛称で呼ばない。
愛するディアーナの事も、カインは「ディ」と呼んだことはない。
イルヴァレーノについても、他の人たちがイル君と呼んでいてもカインはイルヴァレーノと呼ぶ。
ただ一人の例外がアルンディラーノであるが、これは身分が上である王族のアルンディラーノ本人から「そう呼べ」と言われたために「アル殿下」と呼んでいるにすぎない。
カインは前世で子ども用の知育玩具の営業をしていた。
そのため休日など、なんとなくBGM替わりにテレビをつけている時は、教育テレビをつけていた。
その中で、ペットのしつけに関する番組があったのだが、そこでペットを愛称で呼んではいけないという話があったのだ。
例えば「タロウマル」という犬を、「タロ」と呼んだり「タロちゃん」と呼んだりしていると、犬は自分の名前を「タロウマル」だと認識しなくなってしまうという話だった。
そうすると、しつけの時や何か指示をする時に「タロウマル、伏せ!」と言っても自分のことではないと思ってしまうらしく、しつけがうまくいかないのだとか。
また別の日に見た番組で、「愛称を呼ばれて嬉しくない場合がある」という内容をやっていたことがある。
うんこを漏らしたからブラウンとか、自転車を盗んだからチャーリーだとか、鼻から牛乳を吹いてしまったからベンだとか、不名誉な事件からつけられたあだ名は、広まってしまうとやめてくれと言っても収まらず、あだ名そのものは一見問題ない名前に見えるので由来を知らない人は嫌がっている事を知らずにそのあだ名で呼ぶことも有るという。
あとは、真里とかいてマサトと読む男の子をマリちゃんと呼んだり、拓弥とかいてヒロミと読む女の子をタクミと呼んだり、正義とかいてマサヨシと読むのにセイギ君と呼んだり。そういった読み替えによるあだ名も実は嫌がっている人は多いとその番組では言っていた。
「本当は本人は嫌がっているけど今更言い出せない」「みんながそう呼んでるからと呼んでいたら、由来は不名誉な事件だった」という事もあるから愛称で呼ぶ時は慎重に、という人間関係を啓蒙する番組だった。
それとは別に、営業先として出向いた幼稚園でおかっぱで可愛らしい『たまきちゃん』という子が居たのだが、その子に女の子向けのおもちゃの試供品を渡して泣かれた事があるのだ。
たまきちゃんは、玉木さとるという男の子で、見た目が可愛いのと名字にちゃんづけで呼んでいたのを名前だと勘違いしてしまったのが原因だった。
とても傷つけたと思って一週間ぐらい反省して落ち込んでいたのを覚えている。
また別の時に、友人から紹介された女の子に「ヨーちゃんって呼んで」と言われて、ずっとヨーちゃんと呼んでいた人物がいる。だいぶ長い付き合いになったのだが、必要な時に本名が思い出せなくなってしまい本人に大変怒られたという記憶もあるのだ。
愛称で呼びなれて本名をド忘れしてしまうのはとても失礼な事だし、この世界ではその相手が貴族である可能性が非常に高く、下手したら命に関わることもある。
なので、カインは人の名前を略さないし、愛称で呼んだりもしない。
「だからといって、愛称で呼ばれたくないというわけではないんだよ」
「何が、というわけですか」
ソファの上で、ディアーナがカインの膝枕で昼寝をしている。
イルヴァレーノはその向いに座って本を読んでいた。
領地のカインの部屋の中。カイン付きの侍従であるイルヴァレーノは、カインがじっとしている限りは意外と暇である。
邸の中の仕事はもともとこの邸に仕えている使用人達がやってしまうからだ。イルヴァレーノも一応の客人扱いといえるかもしれない。
イルヴァレーノの主な仕事はカインのために飲み物やおやつを用意したり、起きた時の身支度や寝る前の風呂の用意や寝間着の用意ぐらいのものだ。
なので、膝の上にディアーナが居てカインが動けない今は、イルヴァレーノも暇なのである。
「俺を略称で呼んでみないか?」
「カインってたった三文字の名前をどう略せっていうんですか」
「カイ君とか」
「四文字になって増えてるじゃないか」
イルヴァレーノは眉間にシワを寄せつつも、読みかけの本にしおりを挟んで閉じた。カインの話に付き合うことにしたのだろう。
「……アニバカ」
「否定はしないけど、それは愛称といえるの?」
「わがままだな」
「なんか、あー愛されてるな!って感じる様な、愛情あふれる名前で呼んでほしい」
「無茶を言うなよ」
カインがディアーナの金の髪を優しくなでている。おこさないように、ささやかな声で話しながらも、イルヴァレーノをからかうような調子でわがままを言っている。
イルヴァレーノは本をテーブルの上に置くと背もたれに背をあずけ、腕を組んでう~んと天井を見上げて考え込んでいる。
カインはワクワクしたような顔で、イルヴァレーノの言葉を待っていた。
「愛されてるなって感じるような愛情あふれる名前……そうだな」
上を向いていた頭を戻してカインの顔をじっとみつめると、イルヴァレーノは思いついた愛称を口にした。
「かーさん」
ワクワクしてイルヴァレーノの言葉を待っていたカインは、がっくりと肩を落とすと「僕が悪かった」と言って愛称で呼ばれるのを諦めた。