第一話 魔法少女、卒業
「なに……あれ……」
星空かなえは暗く染まった空を見上げ思わず立ち止まった。時刻は15時、ちょうど3限の講義が終わり帰路に着こうとしていたところだった。赤紫の空を背景に聳え立つ一本の塔。てっぺんには巨大な赤い鐘がぶら下がっている。
ゴーン――。
鐘が、鳴り始めた。
金属をすり合わせるような不快な音が町全体に響き渡る。
「――っ」
思わずふさぎかけたかなえの耳に聞き覚えのある声が届いた。
「かなえ!変身ぽむ!」
かなえが背負っていたリュックからぬいぐるみが飛び出し、空中にふわふわと浮かんだ。クマのような風貌だが全身を覆う毛は薄い水色で瞳には星が飛んでいる。
「りょうかいっ!」
かなえはクマのぬいぐるみ、妖精ぽむりんから投げ渡された変身用コンパクトを開いた。
「みんなの希望よ大空に届け!魔法少女、スターライト!」
かなえの宣言と共に光が爆ぜた。
肩のあたりで切りそろえられていた明るい茶髪はほとんど黄色に染まり、背中の後ろで大きくカールする。小さくウインクをすればそれは光の粒を帶び、イヤリングやネックレスといったアクセサリーが星屑をまとったように煌めく。星空かなえは四葉町を守る魔法少女、スターライトであった。
「スターライト!」
呼び声に振り向くと、残り二人の魔法少女、オーシャンとフォレストが駆けてくるのが見えた。
「二人とも!よかった、きてくれたんだね!」
「あたりまえ。私たち三人で魔法少女なんだからさ」
「いつも通り、早く片付けてしまいましょう」
二人がコンパクトを構えると今度は二色の光が爆ぜた。
泉のように湧き出すのは水色の光、オーシャンの足元に波紋を浮かべる。
木漏れ日のように降りそそぐ緑の光はフォレストの肩に首筋に指先に優しく絡みつく。
「みんなの喜びよ、海原を渡れ! 魔法少女、オーシャン!」
「みんなの優しさよ、大樹を伝え! 魔法少女、フォレスト!」
高らかな宣言と共に光ははじけ、二人の魔法少女が姿を現す。
三人は4年前から活動を共にするベテランの魔法少女であった。
「さあ、覚悟しなよね!」
「あなたの好きにはさせません!」
塔がまるで呼応するかのようにぶるりと震えた。
鐘の音は一層激しくなり、不快な音が洪水のように流れ込んでくる。
「皆、何か来るよ!」
スターライトが指さす先、塔のちょうど中腹あたりが大きく軋んだ。
石と石をこすり合わせるような轟音を立て現れたのは、赤い扉だった。
内側から大きな力で押し広げられ大きくたわみ、金の留め具がはちきれんばかりに歪んでいる。
三人はますます大きくなる鐘の音に耳をふさぎつつ構える姿勢をとった。
「――まさかあれは!だめぽむ!戻るぽむ!!」
ぽむりんが叫んだ瞬間だった。
轟音と共に扉が開いた。
「――え?」
黒い風が駆け抜けたようだった。
振り向いたスターライトが目にしたのはゆっくりとその場に頽れるフォレストの姿だった。
「フォレスト!!!!」
誰の物ともつかない悲鳴が響く。
スターライトは弾かれたようにフォレストに駆け寄った。
「――なに、これ」
フォレストの胸には何かに貫かれたような大きな穴が開いていた。
緑がかった瞳は恐怖と苦痛に見開かれ、声にならないかすれた呼吸に血痰が絡まる。
口の端からごぼりと血を吐き、力の入らない腕を伸ばす。胸に開いた傷からはどくどくと鮮血が溢れ、生々しい赤色が彼女を抱きかかえるスターライトの衣装を染め上げた。
スターライトは伸ばされた腕を掴めないでいた。
何が起きているのか。魔法少女が血を流すなんてありえない。ありえないのに。
ばしゃりとしぶきを上げ、フォレストの細い腕が血だまりの中に滑り落ちた。
「フォレスト? フォレスト?!」
「早くここから逃げるぽむ!」
我を忘れたように呼び掛けるスターライトに空中からぽむりんが叫んだ。
「こいつらは、こいつらは魔法少女が戦っていい相手じゃないんだぽむ!早く逃げるぽむ!」
「でも、フォレストが!!」
「フォレストはもう――!このままじゃ全員死んでしまうぽむ!」
「そんな……死ぬだなんて……」
「いいから早く――」
「聞いてないよ!!!!」
絶叫がぽむりんの言葉を遮った。オーシャンが地面にへたり込みガタガタと震えている。顔からは血の気が失せ、肩で荒い息をしている。
「こんなの、こんなのおかしいよ!今までなかったじゃん!フォレスト、大丈夫なんでしょう?!また皆で力を合わせれば勝てるんでしょ!?」
今まで戦ってきた敵を思い出す。希望と仲間とさえあれば負けることなんてなかった。
「これは、異常事態ぽむ」
冷静な声でぽむりんが答えた。
「異常、事態――?」
かろうじてスターライトが聞き返す。
「とにかく、今は説明してる暇ないぽむ!早く逃げないとまた次の攻撃が!」
扉は次の攻撃に入ろうとしていた。再び鐘の音が大きくなり扉のフレームがきしんでいる。
スターライトは歯を食いしばると立ち上がった。
「オーシャン!立って!!攻撃が来る!」
「いや、いやだよ!私信じない!こんなの、こんなのあり得ないよ!!!」
半狂乱状態だった。首を振り顔を覆うばかりで動く気配がない。
「来るぽむ!!!」
ぽむりんの声と閃光とどちらが早かったのか。
「ああああああああああああっ!!!!」
飛びずさったスターライトが次に聞いたのはオーシャンの悲鳴だった。
「オーシャン!」
振り向いたスターライトは思わず口を手で覆った。
右腕が、ない。
肩口からはとめどなく血があふれ出し、オーシャンはいまや声にならないうなり声をあげていた。吹き飛んだ右腕が数メートル先に転がっている。袖口のフリルが引きちぎられ細い腕に絡まっていた。
「スターライトだけでも逃げるぽむ!!!」
涙でぐちゃぐちゃの声でぽむりんが訴える。オーシャンの傷口を抑える体が血で赤黒く染まっていく。
スターライトは獣のようにうめくオーシャンを見、そして、血だまりの中に倒れるフォレストの姿を見た。
恐怖。
それがスターライトが唐突に理解したものだった。
今まで、どんな敵と戦った時にも感じたことのない圧倒的な力の差。
生々しく苦痛に満ちた死の本当の姿。
スターライトは塔を見上げた。
再び扉が大きくきしむ。一層激しく鳴り響く鐘の音。
希望なんて、持てるわけがない。
そっと目を閉じたその時だった。
扉から飛び出した幾本もの黒い腕が爆裂した。
「――っ!」
爆風が巻き起こりスターライトは思わず腕で顔を覆う。
「がんがんがんがんうるせえよ。近所迷惑なんだ鐘やろうが」
スターライトの目前にはかばうように立ちはだかる一人の女性の後姿があった。
癖のある黒い短髪。魔法少女らしからぬ細身のパンツに膝まで覆うロングブーツ。同じく黒のジャケットのすそが風をはらんでばたばたと音を立てている。
「だ……れ?」
その人はそれには答えず、腕を高々と掲げると一気に振り下ろした。
爆音と共に塔が炎に包まれる。業火は石壁を焼き鐘を焦がし空高く燃え上がった
「遅くなって、悪かった」
巨大な火柱を背景に振り向いたその人は、胸が詰まるほどに悲しい顔をしていた。
「あの、あなたは一体」
状況が飲み込めずなんとか言葉を紡いだスターライトに、女性が答える。
「そうだな」
形のいい顎に指を添え、軽く思案する。
薄く赤い唇が動いた。
「魔法お姉さん、とでも言っとくか」
「魔法、お姉さん――」
緊張が解けたのか頽れたかなえの背中を魔法お姉さん――もとい紅紅葉が優しく支えた。