09話 八咫烏調伏
4月29日のラジオ放送時、リスナーに八咫烏の捜索依頼を出した。
捜索対象は、3本足のカラス。
捜索場所は、三重県南部の熊野市から、奈良県南部の吉野町までの範囲。
報酬は、情報が使役に結び付いた場合、魔力20の特製の守護護符と、魔力10の退魔符。
現代では、各自のスマホから写真や動画、位置情報まで手軽に送信できる。
有力な発見情報が次々と送られて、現在では巣の位置まで判明している。
場所は、奈良県の吉野郡天川村にある弥山。
『古事記』に書かれていた通り、八咫烏が神武天皇を吉野川の末流まで案内した逸話の範囲内に発生していた。
「いやあ、今日は宜しくお願いします」
巣の情報提供者は、地元大学の登山サークルだった。
参加メンバーは6人で、男性4人と女性2人のグループ。登山中に八咫烏が飛行する姿を目撃して、追いかけて行ったところ巣を発見したらしい。
そして守護護符と退魔符を目当てに、詳細な情報を提供してくれた。
「報酬が守護護符と退魔符になるのは、情報が使役に結び付いた場合です。それ以外の場合は、情報提供料として現金だけをお渡しします」
土田プロデューサーが事務的な対応で念を押す。
それに続いてディレクターが、馴れ馴れしく会話に割って入った。
「みんな何回生なの?」
「4年男、3年男、3年女、2年男、1年男、1年女です。サークルは12人居るんですけど、後のメンバーは掛け持ちなんです」
「少数精鋭だねぇ。部じゃなくてサークルだから、そんなものなのかな」
「サークルは、そんなもんですね」
「そっか。それじゃあ成功報酬は頭割りだから、結構良い金額になるんじゃないかな。一輝くん、どうだい」
「あ、はい。この人数なら、ボクが成功したら守護護符と退魔符を1人1枚ずつお渡ししても良いですよ。情報提供料という名前の口止め料も、1人につき100万円をお支払いしますね」
「「「うおおおっ!」」」
「番組凄ぇ。でもなんで口止め料なの?」
2年男子が首を傾げた。
「相手は妖怪だけど、姿はカラスに似ているよね。だから捕まえると、動物愛護団体とか視聴者からのクレームが来るんだ。番組的には、どう捕まえたかは放送できないんだよ」
「へぇ、そうなんすか」
「もちろんだよ。妖怪に、動物愛護法や、鳥獣保護法は適用されません。と説明しても、聞く耳持たず。クレーマーは法律とか制度じゃなくて、自分の主観でクレームを言いたいんだ」
「主観ですか」
「そうなんだよ。人に害を与えるとか、法律で定まっているとか、そういう客観性は全く無し。見た目が可愛いかどうかなんて、完全に個人の主観だよね」
ディレクターの説明に、大学生グループが感心する。
「それで八咫烏は、巣を作っているんだよね」
「はい。同じ場所に、巣が沢山あって、卵もありました」
「巣から卵を取るのは、絶対にクレーム対象だよ。カラスも人を襲うし、妖怪なら尚更危険だし生態系も乱れるけど、やれ可哀想だの、子供は親と一緒に居るべきだの、それはもう酷いんだ。だから放送できないの」
これこそが、情報提供料として大金を支払う理由だ。
ハシブトガラスの産卵期は、寒い地方や高所は少し遅れて4月下旬から5月上旬頃となり、産卵後は20日ほどで孵化する。
5月10日現在、産卵後で孵化前というベストタイミングだ。
なにしろ卵が孵化する前から回収して刷り込みを始めれば、完全に従順で信頼できる八咫烏が手に入るのだ。
そのため今回の取材には、電源差し込み口がある取材車に、海外製の自動孵卵器や雛の餌も積んできた。孵卵器や餌は、バッテリーや梯子などと共にADさんたちが現地まで運んでいく。
卵の確保後も、ヒナの飼育用として港区に貸倉庫を借りた。
八咫烏の生態を通常のカラスと同一視して良いのかは甚だ疑問だが、他に似通った生物も居ないので、とりあえずカラスを参考にすべきだろう。
「だから内緒だよ。その代わりに、情報提供料は全員に払うから、美味しいものを食べて、美味しいお酒も飲んで、ぱーっと忘れちゃってね」
「おっけーです」
「100万円のためなら、俺は魂を売る!」
100万円を6人分は、平均的な調伏料の1回分にも満たない。
だが大学生にとっては、1年分のアルバイトにも匹敵する大金だ。
さらに守護護符と退魔符は、100万円を超える価値がある。
大学生達は大盛り上がりで、あっさりと契約書に署名した。
俺達は行者環トンネル西口に車を並べると、徒歩で2時間半を掛けて、奥駈道出合、弁天の森、聖宝ノ宿跡を越えながら、最初の目的地である弥山小屋に到着した。
登山サークルの大学生たちは元気なままだったが、俺とスタッフは疲労した。
「一輝くん、治癒の札はありませんか」
「気の巡りを良くすることは出来ますけど、八咫烏の行動範囲が分からないので、気付かせないためには使えないです」
「そうですか」
一人だけスーツ姿のプロデューサーが、随分と落ち込んだ様子を見せた。
相手が大学生でも気を抜かないのは素晴らしいが、今回は失策だろう。
「帰り道だと、使えますよ」
「では、その時にお願いします。ここからはディレクターに任せます」
結局プロデューサーは、弥山小屋に残った。
そして俺達は、さらに八経ヶ岳へ向かって30分ほど歩く事になった。
ところで登山サークルの連中は、なぜ普段から山に登るのだろうか。
良く聞く言葉は「そこに山があるから」だが、山があったら登るという理屈のは、俺には理解できない。
仮に、そこに海があれば、泳ぐのだろうか。
(まあ、夏なら泳ぐかも知れないけど)
俺が悔しいのは、大学1年の可愛い系女子が、へっちゃらな顔で登山している件だ。
高校の時は、陸上部か何かだったのだろうか。とにかくお化け体力だ。
2年前まで給食以外ではろくに食事が出来なかった俺は、周りに比べても体力が少し足りない。体育の時間は身体に陽気を巡らせて、身体能力を底上げしているものの、陽気を隠す時は素の体力が足りなくてキツいのだ。
ゼイゼイと呼吸を乱しながら、ディレクターの服の裾を掴み、山を登り続ける。
やがて予定よりも時間を掛けて、ようやく目的の場所に辿り着いた。
梯子を組んで、離れた高所から双眼鏡で覗き込んだ先。
高い針葉樹の幹と太い枝の隙間に、巣が作られ、メスが抱卵していた。
八咫烏の巣は、1ヵ所では無かった。
周囲を観察すると、合計8ヵ所も見つかる。
抱卵しているのは、いずれも一般的なハシブトガラスのメスだった。
だが複数の巣に餌を配っているのは、三本足の八咫烏だ。
成猫や子犬などを運んできて、鋭い嘴で引き裂いて、メスが食べやすいように巣の手前の枝に引っ掛けている。
「一輝くん。あれは一体どういう事なんだい」
ディレクターは説明を求めるが、俺も正解を知っているわけでは無い。
単に、管理神がこの世界に瘴気の消費目的で、人間が理解できる造形の魔物を生み出したという経緯を知っており、その目的と現実の事象を見比べて、なんとなく答えを想像できるだけだ。
「オスがメスに餌を運んでいますね」
「それは見れば分かるよ。でも8つの巣だよね。それに餌も大きすぎる」
ディレクターの主張は最もだが、それよりも注目すべきは、オスが八咫烏で、メスがカラスでも子を成せる点ではないだろうか。
つまり魔物と既存の生物との交配だ。
鬼と人の間に子供を成すのと同じだと思えば、あり得なくは無い。
『鬼の子小綱』など、鬼の男と人の女との間に子供が生まれる話は昔から存在しており、それが管理神によって地球上に実現したのだ。
それが、他の生物にも適用されている。
次の脅威は、ディレクターが指摘した通り、8羽を同時に養っている点だ。
八咫烏は、普通のカラスより強い。すると獲物も大きくなり、一度に沢山のメスを養える。
ハシブトガラスは子猫も襲って食べるので、その拡大版なのだろうが。
「見ての通り、ハーレムですね。メス8羽に同時に卵を産ませています」
「注目点はそこなのかい!」
ディレクターが突っ込みを入れてきた。
「テレビ業界では、良くある話ですよね」
「確かにあるけどね。撮影でも、出待ちしているファンで気に入った子が居たら、アドレスを聞いて食べ散らかしたりさ」
うぶな大学生グループが、俺達の話に戦慄している。
子育てをする分だけ、アイドルより八咫烏の方が良心的かも知れない。
「そうじゃなくて、一輝君。八咫烏とカラスは、子供を作れるのかい」
無理矢理話を戻された。
「ええと、見ての通りだと思います。学術的な資料としては価値がありますから、撮影しておいて下さい。でもドラマで放送できるかなぁ」
八咫烏のオスは、子犬の腹を引き裂いて、臓物をメスに与えていた。
しかも子犬の首には、赤い首輪が嵌められている。
「可哀想」
3年女子が、そう呟いた。
だがあれは、卵を温めているメスに、オスが食べ物を運んでいるに過ぎない。
「八咫烏の捕獲は可哀想だという意見は出なくなると思いますけど、犬を食べる危険な魔物を使役して大丈夫なのか。と、別の意見が届きそうですよね」
「それは有るだろうね。困ったねぇ」
あるいは八咫烏を祀っている団体から、クレームが入るかも知れない。
八咫烏は天照大神の使いで、神武天皇を案内した鳥なのだ。イメージも大事なのだろう。
だが、野生の肉食動物なら、肉を食べるのは当たり前だと思う。
そもそも牛肉は良くて犬肉は駄目という風習は、神武天皇の時代には無かったはずだ。
「人間も肉を食べますし、神様も神饌(供物)で、海川山野の幸を食べますけど」
食文化は、同じ人間でも多様だ。
捕鯨文化は、日本では肯定的だが、欧米では否定的だ。
逆に犬食文化は、日本では否定的だが、西アジアでは肯定的だ。
野生のクジラを食べるのは駄目だが、牛豚は飼われているから良いとか。逆に野生のイノシシは食べても良いが、犬は飼われているから駄目だとか。
理屈的には、捕鯨文化を認めろと言っている日本人は、西アジアの犬食文化も認めなければならない。犬を食べるのは可哀想と言うなら、クジラを食べるのは可哀想と言われても仕方が無いのだ。
だが人々は、理屈では無く感情で否定する。
野生で賢い生き物だけど、クジラは食べては駄目で、イノシシは構わない。
家畜で人に飼われているけど、犬は食べては駄目で、牛豚は構わない。
可愛いから可哀想、可愛くないから構わない。
その感情論では、犬肉を食べている八咫烏は、日本で受け入れられない。
「放送できるかどうかはさておいて、八咫烏の卵は確保します。八咫烏は、人間の赤子だって連れ去れる魔物で、人間にとって危険です。そして妖怪には、鳥獣保護法は適用されません」
「放送はどうしようかなぁ」
ディレクターは未だ困っていたが、俺は仕事に取りかかる事にした。
幸い週1回の放送よりも速いペースで1話を撮っているので、使えない収録が入ってもドラマは大丈夫だ。
それは複数の番組スタッフで作業を分担して、各依頼者や現場を撮影したり、役者が依頼を引き受ける映像を撮ったりしているからだ。
放送される映像の大半は勝手に収録されており、俺は週1~2回の妖怪退治を行えば済むようになっている。
そのため心置きなく、八咫烏の卵を回収できる。
俺は牛鬼に梯子を担がせると、式神を伴って巣に向かって歩き出した。
するとハーレムのメスたちに食事を配っていた八咫烏のオスが、警告の鳴き声を発し始めた。
その警告に構わずに、ズンズンと巣に迫っていく。
すると八咫烏が大きく翼を広げて羽ばたき、上空を旋回して、後ろから頭を蹴り付けてきた。
鋭利な三本の脚が、巨大な牛鬼の頭部を鋭く引っ掻く。
刹那、俺の影から飛び出したスライムが、八咫烏に纏わりついた。
「ガアッ、ガアッ」
地面に落ちた八咫烏の身体から白煙が立ち上り、八咫烏は地面を転がりながらのた打ち回る。
だがスライムは、なおさら絡み付いて八咫烏を溶かした。
このスライムは、超強酸の1京倍の強さを持つ、フルオロアンチモン酸の特性を備えた京くんだ。
有機物全般を溶かせる以上、受肉しているカラスごとき、化学兵器の敵では無い。ジューッと肉が解ける音と共に、八咫烏は融けていった。
「一輝くん、恐ろしい事をするね」
八咫烏が溶けきった後、ディレクターが声を掛けてきた。
「えっ、これってスライムの食事ですよ。人間は肉を食べる。カラスも肉を食べる。スライムも肉を食べる。食事を否定したら駄目ですよ」
「いやいやいや」
ディレクターは首を振って否定した。
人間は理不尽かも知れない。
そんな風に感じた俺は、渋々と食後のスライムを影に戻して、再び巣へと迫った。今度はメスのカラスたちが鳴き声で威嚇してきたが、とても敵わないとみたのだろう。牛鬼が至近に迫った所で、一斉に逃げ出していった。
かくして俺は、8つの巣から計24個の卵を手に入れた。
























