07話 引き籠もり調伏
「一輝くん、引き籠もっていたら、ダメだよ」
「う゛――っ」
俺は頭に毛布を被りながら、海月さんの説得に悲痛な呻り声を上げた。
「ずっとこの調子なの。あ、ミツキ、これ食べていって」
「雪ちゃん、ありがとう」
俺の代わりに応対した雪女が、部屋の机にお茶と茶菓子を並べた。
海月さんは椅子に座っており、来客用の諸々を並べ終えた雪女は、俺が寝転がるベッドの上に腰掛ける。
現在の俺は、東京都港区青山にある4階建ての事務所付住宅に住んでいる。青山霊園に近く、そんな場所に陰陽師が住むのは狂気の沙汰だが、その分だけ安かったのだ。
それに銀行から借りて、事務所の経費で諸々を落とすと、節税も出来た。
1階は事務所で、事務員さんが2人働いている。
2階から4階は2LDKの住宅で、俺の占有空間は4階にある6.5帖の部屋と収納、3帖のバルコニーだ。
そこに俺は、ここ数日引き籠もっている。
そのため本来のスケジュールではドラマ収録を入れていた海月さんを、プロデューサーが送り込んできた次第だ。
「一輝くん、どうして引き籠もるのかな」
「…………もうあの人と、一緒に仕事したくない」
俺は完全に小学生に退化して、毛布の中で嫌々と首を横に振った。
事の始まりは、海月さんと一緒にお菓子を食べている雪女の調伏だ。彼女は、長野県の北安曇郡を悩ませていた雪女の娘である。
被害を発生させていた雪女本人では無いが、母親が自分に縄張りを譲って他所に移ったと話しているため、北安曇郡は安全になったと見て良い。
他の地域では母親や姉妹によって新たな被害が発生するかもしれないが、依頼は「白馬大雪渓の雪女を退治してくれ」なので、依頼は達成している。
雪女の調伏は、ゴールデンウィーク直前の5月1日、第5回放送へ強引に差し込まれた。
撮影から2週間でオンエア用の映像を作れる事に感心させられたが、実際には1週間で完成したらしい。
1週間分の余裕を持たせたプロデューサーは、その間に連日に渡って昼夜を問わずCMを流させまくった。
「世界初の雪女の調伏成功」
「人外の美しさ」
「意思疎通どころか完全に会話が可能」
などと煽りまくった結果、世間の関心が一気に集中した。
そして実際に雪女は、人外の美少女だった。
造形は、子役の星である向井海月を大理石で彫り込んだように美しい。
髪は一本一本が艶やかで、雪の結晶のように光を浴びて輝く。
肌は新雪のように白く、僅かに赤みを帯びている。
俺に調伏された瞬間、粉雪を舞わせ、雪のように儚く消えていった幻想的な光景と併せて、視聴者は雪女が美しい存在だと深く印象付けられた。
おかげで第5話の瞬間最高視聴率は、40.3%にまで達した。
視聴者は、宣伝通り雪女が美しかった事を認めた。
国民的に人気な向井海月に、人間では不可能な肌の透明感や髪艶を与えた上、儚げな雪女という補正まで付けたのだ。美しさを否定する者も皆無では無いだろうが、肯定意見に押し流されて埋もれ去った。
そして視聴者は、すぐに新たな疑問を持った。
『どうして雪女の姿が、向井海月なの?』
ゴールデンウィーク中で、皆が話題に餓えていたのだろう。
世間では、雪女が調伏されたテレビのニュースと併せて、なぜ人間の姿を模すのかについても様々な議論が交わされた。
そしてドラマ放送の翌々日、少年陰陽師の共演者である人気俳優の1人が、ラジオの生放送で答えを暴露した。
「海月ちゃんも、『わたしの姿に似せたの?』って聞いたんですよ」
「ほうほう、それで?」
「そしたら一輝君、『雪女は陰気の存在で、陽気を吸うために男性が好きな女性の姿で現れるんです。ボクと契約したからこうなったけど、ワザとじゃないです』って弁明したんです」
「うわぉっ、マジでそんな事を言ったんかい」
「いやあ、聞いていたこっちが恥ずかしかったですよ」
「それで、どうなったん!?」
その暴露話をネットにアップされた俺は、床をゴロゴロと転げながらのた打ち回った。
(もう死にたい。誰か殺して下さい)
雪女調伏に続く『雪女は、男性が好きな女性の姿で現れる』という話題は、テレビ番組、動画投稿サイト、個人のSNS、個人ブログで日本中に拡散されまくった。
そしてゴールデンウィーク最終日の今日、俺は精神的な体調不良と言うよく分からない名目で、撮影を拒否して家に引き籠もった次第である。
すでに世間では、俺を弄り倒す段階から、自分の好みの姿で現われる雪女を捜索する流れへと移行している。
だが「何故、雪女は自分の好きな女性の姿で現れるのか?」の部分で必ず俺の話題が上る為、追い打ちによる追加ダメージは延々と続いている。
(せめて海月さんだけに伝えたかった)
雪女の姿が海月さんだった以上、海月さんに対しては説明責任があった。
だが彼女の個人アドレスは、彼女の事務所が共演者にも教えない方針であるため、俺も知らなかった。
芸能界で活動している彼女は、男性と二人きりになる事も避ける。
そのため後撮りの日帰り温泉撮影の際、他にも外野いる広間の端で、説明せざるを得なかった。
そこに口の軽い俳優が居たことが、俺の不幸だった。
先程の「あの人と一緒に仕事したくない」とは、個人のプライバシーをメディアで全国民に暴露した性格の悪い俳優に対してだ。
「どうして好きな人の事を知られると困るのか、アタシには分からないわ」
「…………うううっ、もう止めて」
「雪ちゃん、ダメだよ」
俺の敵となった人気俳優には、密かにハゲる呪いを掛けてやる。
式神で髪の毛を1本抜き取り、呪いの木人形に封じて呪を篭めれば、魔法防御力が低くて対抗魔法も使えない相手の頭髪など一捻りだ。
一気にやるとバレるので、毎日少しずつ、ジワジワと減らしてやろう。
(俺の心にダメージを負わせたからには、報復で毛根にダメージを負わされるのも因果応報だよな)
復讐を思い立った俺は、辛うじて生きる気力を取り戻した。
そんな復讐計画は一先ず置いて、今後の対策も練らなければならない。
「海月さん、もう他人に聞かれるのは嫌なので、アドレスを教えてください」
「わたしのアドレス、教えた人に拡散されて、もう家族とマネージャー以外には、誰にも教えない事にしているの」
「…………はい」
まさかの拒否に俺は意気消沈し、ションボリと返事した。
「大切な事は、直接話してね。今度は二人きりで、聞いてあげるから」
「分かりました」
二人きりで聞いてくれるだけ、僅かに譲歩してくれたのだろうか。
心が晴れないまま布団をかぶっていると、海月さんは机の上からメモを一枚とって、そこに何かを書いてから死に体の俺に差し出した。
XXX-XXXX-XXXX。←わたしのアドレス。
ルール1 基本的に会って話すこと。連絡は急ぎの時だけ。
ルール2 わたしを連想できる名前での登録は絶対に禁止。
ルール3 誰かに知られたら、すぐにわたしへ報告する事。
書かれていたのは、海月さんの連絡先と、連絡する条件だった。
布団から顔を出して海月さんを見ると、彼女は微笑んでいた。
「教えてくれて、ありがとうございます」
「一輝くんは、わたしを裏切らないでね」
「大丈夫です。ボクは海月さんが一番ですから」
海月さんの過去に、一体何があったのだろう。
それにしても、人気俳優にハゲの呪いを掛ける復讐鬼の俺を、よく信用してくれたものである。
仕方が無いからアイツは、頭頂部ハゲで許してやろう。
「さてと、お仕事しないとダメですね」
「うん、そうそう。頑張ろうね」
俺はよろよろとベッドから這い出ると、机のノートPCを起動させて、お仕事用のサーバに接続した。
新規の連絡は、全拒否している間に沢山溜まっていた。
「これがドラマの内容を決める依頼なの?」
俺の後ろから、海月さんがパソコンを覗き込んできた。
ふんわりと花のような良い香りがして、俺は一瞬心を奪われた。だがそんな素振りは見せないように、ポーカーフェイスで答える。
「そうです。放送は困るとか、報酬が低いとか、そういう依頼は自動的に省かれます。でもドラマが開始された後からは、毎日届いています」
「本当に沢山、依頼が並んでいるね」
「はい。だから依頼者がホームページのコーナーから送信した時に、『依頼が殺到しているため、対応できない場合があります。他の解決手段も試みて下さい』みたいな注意が、自動的に表示されるようになっています」
海月さんで頭が一杯になって、新規のメール内容があまり頭に入ってこなかった。
そんな斜め読みで気になったメールが一つ。
「あれ、スライム退治のメールだ。なんでスライムなんて来るんだろう」
「どうしてスライム退治が来るとおかしいの?」
「調伏料は、高いんです。依頼が殺到してからは、報酬が一定額以下の依頼は受理していません。それなのにスライム退治で……10億円!?」
気になって投稿を開いた俺は、その依頼内容を読んで呆れた。
発生現場は、複数の強力な酸性化合物を組み合わせた超強酸を製造している海沿いの化学工場。そこでスライムの性質を合わせた、新特性の酸性化合物を製造する実験を行っていたそうだ。
スライムは、『最初に取り込んだ物質の特性を持つ特性』がある。そして、超強酸スライムの生成にも、見事に成功した。
だがスライムが高分子の有機化合物の専用容器から這い上がってきて、焼却処理に失敗し、化学工場内での徘徊を許す結果となってしまった。
現在は、工場にある全ての出入り口や排水溝を容器と同じ素材で塞ぎ、分裂するスライムにこれ以上の餌を与えないようにしながら、建屋内に封じ込めているそうだ。
「酸性スライムって、どれくらい危ないの?」
ピンときていない海月さんが、不思議そうに首を傾げた。
実際にどれくらい危ないのか問われると、俺にも分からない。
超強酸は、硫酸の1000倍以上は強い。
だがその程度なら容器に入れれば済むので、こちらに依頼は来ないだろう。詳細が伏せられているのは、余程まずい事をしたからに違いない。
例えばナチスドイツが作った三フッ化塩素の場合、100万分の1グラム吸い込むだけで死に至る。沸点は11.8度で、触れただけでも爆発する。
アメリカが輸送に失敗して流出させた時は、地面のコンクリートを燃やし、1メートル下の土砂と砂利にまで達した。
三フッ化塩素は現代でも半導体製造工場の清掃用に使われているため、民間が持っていて何ら不思議はない。
だが所詮はスライムであり、八岐大蛇を倒せとか馬鹿な依頼では無い。
「どれくらい危ないのかは分かりませんけど、スライムが特性を得ただけなら、陰陽術で調伏すれば済むので、わりと簡単に解決すると思います」
俺はプロデューサーと、チャットを始めた。
『プロデューサー、次のお仕事の話ですけど』
メッセージを送ってから程なく、プロデューサーから反応が返ってきた。
『伺いましょう』
プロデューサーのレスポンスは、手が空いている時は非常に速い。
このフットワークの軽さは、番組の即応能力の高さにも繋がっている。
『リハビリがてら、スライム退治にしようと思います』
『わかりました。手配しておきます』
俺がプロデューサーと連絡を取る間、その様子を海月さんは、後ろから興味深そうに眺めていた。
「こんな風に、撮影のお仕事が決まるんだね」
「はい。このドラマは実際の異常事象を解決する半ノンフィクションですし、ボクが調伏できない依頼を受ける事は出来ませんから」
「出演者は、どう決まるの?」
「それはプロデューサーが依頼人と連絡を取ってから、脚本さんとディレクターさんに相談して決めます。ボクと家族役の出演は殆ど固定で、簡単そうならライバルの陰陽師に失敗させてみたり……」
その後も海月さんは、俺の話を頻りに感心して聞いていた。
転生者の俺には、それが引き籠もりの俺をリアルに引き戻す作為だと理解できていた。だが理屈を理解できても、本能には抗えない。
かくして引き籠もりは、敢え無く調伏された。