06話 雪女調伏
「うーん、どうしたものかなぁ」
ラジオ収録を終えた翌日、俺は自宅のパソコンに受信したメールを眺めながら唸った。
悩みの原因は、全国から届く調伏依頼メールだ。
これらはテレビドラマ『少年陰陽師』の公式ホームページに設けられたメールフォームから専用サーバに届き、うちの事務所からも閲覧出来る。
メールフォームには、『テレビ放映の同意書提出』や、『依頼金額の設定』があるにも関わらず、足切りをクリアした多数の依頼が残っていた。
行政機関は、一体何をやっているのだろう。
ドラマ放送の開始以降は、依頼が殺到している。
対応できる案件は僅かなので、うちでは次の基準で判断している。
1.事象の原因の判明度合い
2.事象解決までの難易度
3.解決までに要する日数
4.発生する諸経費と報酬との収支
5.テレビ的な見栄え
一例を挙げると、雪女を倒してくれという依頼が来ている。
場所は、長野県の北安曇郡にある白馬大雪渓。
そこには全長3キロ、幅600メートルに渡って、一年中融けない万年雪が積もっている。
いつの頃からか、その地域で登山者に行方不明者が発生し始めた。
継続して捜索が行われ、やがて原因が雪女にあった事が突き止められる。
そこで陸上自衛隊が、雪を融かして退治した……かと思われたが、雪女は翌年以降も出現して、人を攫い続けている。
中央省庁の見解は「積雪で新たな個体が発生した可能性がある」だった。
要約すると「ちゃんと倒したけれど、新しいのが出たかもしれないね」だ。中央の責任回避が始まった以上、解決は絶望的である。
解決できない雪女が居るとなれば、白馬スキー場や、登山ルートなど、地元経済への悪影響は大きい。そのため、何とかして雪女を退治してくれと依頼が出された。
俺的には、却下したいところだ。
雪山で雪女と争うのは、海中でサメと格闘するようなものである。
海中でサメと格闘するくらいなら、前日に届いた三重県熊野市山中に現れる肉吸いという妖怪退治の方が遙かにマシだ。
肉吸いとは、夜の山中で人を襲って肉を吸う、女の姿をした妖怪だ。ゲンゴロウの幼虫のような恐ろしい食性で、人間が餌である。
こちらはホラーだが、人の姿で現われて油断させる単純な妖怪なので、比較的簡単に倒せる。
俺はチャットで、プロデューサーに雪女は否と伝えた。
『雪山で雪女と戦うのは無謀です。相手は息を吐くように、無限に吹雪を吹き掛けてきます。逆に肉吸い程度なら、超お手軽です』
『肉吸いは無名で、数字が取れません。視聴率を上げるために、人気だけで演技が出来ない俳優や芸能人をゲスト出演させることになります。一度受けると、各所からどんどん押し込まれて、少年陰陽師の番組寿命が縮みます』
『ぐぬぬ』
テレビドラマ『少年陰陽師』のプロデューサーは、演技の出来ない芸能人を入れる事に否定的な人だ。
プロデューサーはドラマの企画からスポンサー集め、ディレクターや役者の選定、放送枠の確保まで全てを1人で手配して実現させた人で、ドラマで最大の権限を持っている。
スポンサーが出演者の選定に口を出せば契約を切って、他のスポンサーを付ける事も勝手に出来る。また局の偉い人が口を出して来ても、逆に脅し返す事すら出来る。
だがそれは視聴率が高く、多数の賛同が得られる状況を保っていればであって、絶対的な権限というわけでは無い。
『行政が匙を投げた雪女の調伏、大変結構です。番組の知名度も上がりますし、平均視聴率が何パーセントか上がるかも知れません。今の視聴率は知っていますか?』
『第2回の放送が、平均23.7%でしたっけ』
『その通りです。初回放送よりも上がりました。最高視聴率は27.6%。一輝くんの守護護符と退魔符が、連日ニュースに取り上げられたおかげです』
『ううっ、黒歴史が』
守護護符のオークション価格は、最高額で百万円を超えている。
おかげで消費者庁から、ファンクラブ特典が景品表示法に反していないかと、うちの事務所に確認が入ったほどだ。
『スポンサー契約は半年更新ですが、局からの反応も上々です。番組が打ち切られる心配は無いでしょう』
『はぁ』
『ですが、今すぐ雪女を調伏してくれれば、ドラマ寿命はさらに伸びます。何故だか分かりますね?』
『ボク、小学5年生だから分かりません』
『何故だか分かりますね?』
俺の年齢アピールは無視された。
『放送開始の早々に雪女を調伏して式神にしたら、最初にドラマを見た人が、何年後でも雪女は分かるので置き去りにならず、番組に戻って来られるからかな』
『それも正解の1つです。調伏に成功すれば、直ぐに放送を差し替えて流します。それで番組のタイトルを『青年陰陽師』に変える時期を悩むくらいは続けられます』
ちなみに少年とは、未成年を差すのが一般的で、基本的には18歳未満だ。
小学5年生の俺の場合、あと7年くらいは少年で通る。
役と実際の年齢が同じである必要は無いので、もう少し続けられるかも知れないが、それを含めて10年くらい続くという事だろう。
『いや、番組の都合じゃなくて。そもそも調伏が困難という話ですよね』
『今日は、やけに粘りますね。それでは条件を出しましょう』
『条件ですか?』
『撮影は、少年陰陽師が家族旅行していた時に、旅館で雪女の話を聞いた体の導入とします。つまり一輝くんと、海月さんとの温泉旅行をさせてあげます』
『な、ん、で、す、と』
『成功報酬です。調伏すれば、別撮りで撮影日を入れます。良いですね?』
『……わんわん』
『素直でよろしい』
かくして俺は、翌日から学校を休んで、雪女の捕獲に赴いた。
俺が視野狭窄に陥っているうちに、プロデューサーは撮影スタッフを掻き集め、そのまま現地へ飛んだのである。
「はぁ……騙された」
俺は息も絶え絶えに、万年雪がある白馬大雪渓に座り込んだ。
確かに海月さんは、温泉には来るらしい。
だが多数の番組でレギュラーを抱えている彼女のスケジュールを押さえ切れず、駆け足で東京へ戻る日帰りの日程である。
プロデューサーは直ぐに撮って放送したい思惑があり、俺への餌になる程度で可としたのだ。
そのせいで期待していたご飯のあーんも無いし、湯上がりシーンも浴衣に着替えて化粧を変えただけで終わりとなる。
騙された愚かな俺は、父親役の男性俳優と共に、猿倉から6時間以上かけて白馬大雪渓まで歩かされた。
しかも雪女を警戒させないために、魔力による身体強化や、牛鬼による運搬に頼れず、小学5年生の身体で山を6時間以上も登らされたのだ。
「…………死ぬ」
現地での撮影スタッフも大きく減らし、カメラマン2人と音声と照明を合わせて、僅か6人での移動だった。
小学生に本当の自力登山をさせるという、あまりにも過酷な撮影だ。
おかげで父親役の男性俳優に、素で励まされたほどだ。さぞや本物の親子らしい、良い画が撮れただろう。
「一輝、霊感は囁くか?」
大雪渓を前にした父親役の俳優が、カメラを前に雪女の有無を問うた。
「確かにここに居るみたい。様子を見られているから、式神は出さない方が良いと思うよ」
「そうか。それなら様子を見てみよう」
父親役は陰陽師の設定なので、鷹の簡易式神符を渡している。息子の俺が鳩で、父親はそれよりも強い生物で威厳を持たせる形だ。
だが実際には素人さんなので、ドラマ用に飛ばす程度が限界である。
そして今回は危なそうなので、飛ばすのはご遠慮願った次第だ。
「ボクが陣を敷くから、雪の外側で待っていてね」
「分かった。危なくなったら言いなさい」
俺は俳優が雪上から退いたのを確認すると、登山用のストックを使って、雪上に陰陽陣を描き始めた。
陰陽五行は、天の星にも、地に満ちる万物にも適用でき、四方八方の空間、過去から未来までの時間にも通じる世界の法則だ。
戦国時代の『陰陽主運説』では、『木』『火』を陽、『金』『水』を陰、『土』を陰陽半々と記している。木=春、火=夏、金=秋、水=冬、土=普遍を示しており、水は陰中の陰とされる。
陰は女を表わし、陰中の陰にして冬を示す水は、雪女と一致する。
五行相克図では土剋水といって土は水に勝ち、五行相生図では水生木といって水は木を生む。
俺は五行の法則に従って、雪上に描く陣に、土と木を記した。土で壁を作り、木へと誘導すれば、水たる雪女を引き寄せられるわけである。
「木行と土行は得意だから、何とかなるかなぁ」
俺が世界神から受けている祝福は、『木』、『火』、『土』。
必要な力は揃っており、それらで雪女を引き出した。
『水行の化身たる雪女よ。汝、我が陰陽術と木行の流れに従いて、正体を現せ。急急如律令』
俺が魔力を放つと、木行を描いた陣の上に吹雪が舞い、その中から白無垢姿の女が現われた。
年齢は海月さんと同じくらい。
それどころか、容姿まで海月さんと瓜二つである。
「はぁっ、なんで……お姉ちゃんの姿なの!?」
俺は海月さんの名前を出しかけて、撮影を思い出してドラマの役柄で言い直した。
よく考えれば、雪女は美しい女の姿で男を誘い殺す魑魅魍魎だ。
男の俺が好む姿で現れるのは、むしろ当然である。
「どうして人間が、こんなに呪力があるのよっ」
雪女は海月さんの顔で俺を睨みながら、陣を打ち消そうと藻掻いている。
俺の木行と土行は、世界神の祝福を受けた魔力で描いているため、力押しで消すには巨大な魔力が必要だ。
もっとも雪上は、雪女が最大の力を発揮できるフィールドでもある。俺は油断せず陰陽術を行使した。
『臨兵闘者皆陣列前行、天元行躰神変神通力。天地間在りて、万物陰陽を形成す。我が氏は賀茂、名は一輝、理を統べる陰陽師也。水行の化身たる汝は陰陽の陰である。我が霊気は陽である。我は陰陽の理に則って、汝を陰陽の陰と為し、我が霊気と血脈を対の陽とする契約を結ばん』
「ちょっと、待って、待って。断るから!」
海月さんの顔でダメと言われた俺は、有無を言わせずの契約が出来なくなった。
ドラマの画的に、そのような行為は拙いはずだ。
それどころか、俺が海月さんとの関係で拙い事になる。
俺は何とか海月さんと視聴者の理解を得ようと、雪女の性質を語り始めた。
『汝は雪女、性質は陰。人の陽を吸わねば永らえぬ。人の命を奪うは、人の脅威に他ならぬ。我は人の脅威を祓う陰陽師也』
「他所に移ったお母さんは沢山食べたけど、アタシはお母さんに吸った陽気を与えられただけだから。きゃあっ!?」
俺は木行と土行を強めて、言い逃れをしながら陣を消そうとしていた雪女の動きを魔力で封じた。
『汝を育てるために、何人もが犠牲になった。そして汝が生きるために、これから何人もが犠牲になる。我が契約は、汝に我が陽を与え、以降の人の犠牲を無くすもの也。応じれば良し、然もなくば陰陽師として調伏する』
「契約したらどうなるの。殺されるんだったら、絶対に従わないから!」
『契約は如何様にも変えられる。汝とは、陰陽の対たる契約を結ばん。我は汝に気を与え、汝は我に従属す。我の死後、力を増した汝は我が気の一部も得て自由となる』
俺は、随分と緩和させた条件を提示した。
雪女の魔力が約120に対して、俺は魔力6100。
譲歩せずに、強制的な契約で縛ってしまう事も出来る。
だが外見が海月さんのため、そのようなやり方は精神的に不可能だった。
「本当に!? 嘘だったら、絶対に許さないから」
『契約は絶対也。約束を違えれば、我は力を損じて汝は自由となる。強大な契約者を得て力を増すは、汝の母も望めぬ事。汝にとっては得がたき事也』
「本当だったら契約しても良いけど。嘘だったら、末代まで祟るからね!」
『然らば汝、陰陽の理に従いて、我が式神と成れ。急急如律令』
抵抗していた雪女への説得が終わり、ようやく互いの同意の下に式神契約が交わされた。
こうして海月さんソックリの雪女は、俺の式神となった。