30話 氷柱女調伏
冬に入ると、冬らしい依頼が入っている。
その中でも極めつけなのが、今回の依頼だろう。
「氷柱女ですか」
氷柱女は、氷柱が出来ると現われる妖怪だ。
氷柱が溶けると消えるため、真冬でなければ存在できない。
秋田県で伝えられる氷柱女は、大まかに次の通りだ。
吹雪の晩、若い女が訪ねてきて、吹雪に遭ったので一晩泊めてくれないかと頼んでくる。家の者は女を泊めたが、翌日も吹雪は止まず、宿泊を継続させた。
そのうち家の者が風呂を勧めて、女は拒んだが強引に押し切ると、女は悲しそうな顔をして風呂に入り、そのまま風呂場から出てこなくなった。
心配した家の者が風呂場を見に行くと、風呂に女の櫛だけが浮いていた。
他にも東北地方や新潟県で、櫛の代わりに氷の欠片が浮いていただとか、風呂場の天井に氷柱が下がっていた話もある。
ここまでは、無害な妖怪だ。
人を害する氷柱女としては、次のような話もある。
雪国に住む男が結婚したが、春になると妻が居なくなってしまった。
そのため他の女と再婚したが、冬になると最初に結婚した妻が現われて、再婚を知ると男を殺してしまった。
「そうだ。家内は、氷柱女で間違いない」
今回の依頼は、東北地方の秋田県湯沢市から出された。
依頼者は、湯沢市で温泉旅館を経営している亭主だ。
亭主の見た目は70代で、顔に大きなシワのある総白髪。
だが本当の年齢は、未だ50歳になったばかりである。
亭主が老け込んだ最大の理由は、妖怪が人の気を吸うからだ。
つまり亭主は、妻に生気を吸い取られて、寿命を縮めてしまったのだ。
(妖怪に憑り付かれて、生命力を吸い取られる人間の典型的な例かな)
このままだと亭主は、遠からず死ぬだろう。
だが今から氷柱女を追い出しても、削られた二十数年分の寿命は戻らない。
「奥さんが妖怪なのは、一緒になる前から分かっておられましたか」
「勿論だ。氷柱女は風呂に入れないからな」
「ええと、どうして妖怪だと分かっていて、一緒になられたのですか」
亭主は少し悩むと、やがて答えを口にした。
「若かったからだ」
「はぁ」
亭主は説明を端折ったが、それでも理由は察せられた。
(氷柱女の色香に負けたのか)
一部の妖怪が美しいのは、人を惑わして気を吸うためだ。
話し合いに同席している氷柱女は、その典型的な例の一つだろう。
充分な陽気を吸えずに弱っている今ですら、肌がきめ細やかで、髪は絹糸のように美しい。
そんな氷柱女の若い頃を彷彿とさせるのが、半妖の娘たちだ。
2人の娘たちは、氷の彫刻のように美しく整った顔立ちに、ぷっくりとした薄紅色の唇、清流のようにサラサラと流れる美しい髪、モデルのようにバランスのよい体型だ。
長女が纏った雰囲気は、まるで音の消えた冬の森で静かに咲く華だ。澄んだ瞳に見据えられると、静かだが折れない確固たる意志が感じられる。
次女は末っ子気質なのか、表情からは好奇心が溢れており、獲物を狙う猫のように爛々とした眼差しをしていた。
そんな姉妹を見ていると、母親である氷柱女の若かりし頃が想像できる。これでは二十数年前の亭主が籠絡されたのも無理はない。
「でも氷柱女は、本体の氷柱が溶けると消えますよね。子供が産まれるまで、どうやって現世に留まったのですか」
「業務用冷凍庫に、本体の氷柱を入れて保護したな」
「業務用冷凍庫っ?」
「そうだ。それで、ずっと溶けないで居る」
「はぁっ、そんな方法で保つんですか……」
全く想定外の解決方法に、俺は二の句が継げられなかった。
俺が絶句していると、様子を見ていた母親役の坂下郁乃さんが質問で間を挟んだ。
「娘さん達の出生届けは、どのようになっているのですか」
「家庭裁判所にDNA鑑定の結果を出して、実子と認めてもらった」
「すると学校に通っているのですか」
「そうだ。上の子は高校2年生、下の子は中学3年生だ」
亭主の言葉は、冷凍庫に匹敵する衝撃発言だった。
(半妖が戸籍を持てたのか)
氷柱女の娘たちの父親は、日本人男性だ。
DNA鑑定の結果を裁判所に持ち込めば、裁判所は父親を実子と認めざるを得ない。
なぜなら、DNA鑑定の結果を信用できないと否定する場合、これまで日本の裁判所が証拠採用してきたDNA鑑定の結果を全て否定する事になるからだ。いかに下級審であろうと、そんな事が出来るわけが無い。
そして裁判所が認めれば、父親には親権が与えられるし、娘たちには日本の戸籍が与えられる。
結果として娘たちは、半妖でありながら戸籍を得て学校に通えるという、世界的にも画期的な結末に至ったらしい。
「すごいですね」
「あの頃は、若かった」
今は枯れ木のように生気の薄い亭主も、かつては相当な情熱家であったらしい。
「でも夏のプールとか、炎天下のグラウンドとか、学校生活は大丈夫なんですか」
俺が危惧したのは、氷柱女が風呂場で融けた逸話だ。
学校には、体育の授業、運動部の部活動、運動会、マラソン大会、修学旅行、大会に出る野球部の応援など、氷が融けそうなイベントは山ほどある。
次女は首を縦に振りながら、疑問に答えた。
「もちろん危ないのは見学するよ。昔、温くなったプールに足を入れてみたけど、皮膚が腫れてボロボロになって、お医者さんに重度のアレルギーって言われたから」
「プールに入ると、腫れるのですか」
「水温25度以上とか、気温30度以上は、本当に無理。体育はボロボロになった手を担任に見せて、お医者さんに行くって言って逃げて、それで二度と出なくて済むようにしてるよ」
「それって、お母さんも同じですか」
「お母さんは、冬以外に外に出たら、融けちゃうよ」
「……それは大変ですね」
母親は、12月から3月くらいまでしか外に出られないらしい。
人間とのハーフである娘たちは、クーラー付きの学校であれば、辛うじて通えるだろうか。夏にクーラーが壊れたら、身体が腫れ上がって外見がテロ活動になりそうだが。
「逆に冬だと絶好調ですか?」
「絶好調というか、吹雪の晩なら無敵?」
次女が姉に話を振ると、姉も首肯した。
「お母さんだったら、死にかけていても、1晩で復活するかも」
「それは無敵ですね」
流石は氷柱女である。
だが供給源である亭主が弱っているせいか、今は感じ取れる魔力が小鬼程度だ。
今回の依頼の内容は、まさにこの事についてである。
「ご亭主、依頼は奥さんと娘さんたちの生命力についてでしたか」
父親役の上原さんが話を戻すと、亭主は頷いた。
「そうだ。妖怪は人の気を吸う。だが家内は、俺の気を殆ど吸えなくて、身体が毎年悪くなっている。上の娘は親に苦労を掛けまいと、高校に入ってから気を吸わなくなった。下の娘も、もう俺の気を吸わないと言い出した」
亭主は淡々と、だがハッキリと問題点を語った。
「それでも俺が保つのは、あと2年くらいだ。それまでに何とかしなければならん」
枯れ木のようにやせ細った亭主が、説明を締め括る。
彼は死期を悟り、その前に解決すべく番組に依頼を出したようである。
解決方法の1つとしては、俺の魔力を分け与える事だろうか。だがそれは目先の対応であり、根本的な解決とはならない。
氷柱女たちを式神にするのもダメだ。何しろ氷柱女は人妻で、娘たちは家族と暮らす中高生なのだ。
応急処置として魔力を与えるのは良いが、最終的には俺からも、そして亭主からも気を吸わない解決方法が必要だろう。
尤も、依頼を受ける際に解決方法については、予め考えてあった。
「亭主さん。この旅館は、飲食店を併設できる空間は有りますか」
「…………飲食店?」
「はい。それを造れれば、解決すると思います」
「何をするんだ」
「それはですね―――」
俺は詳細な計画を説明し、亭主に飲食店の併設工事を行わせた。
それから3ヵ月。
作業の為に何度か足を運んでいるうちに年を跨ぎ、やがて陰陽師協会の設立作業が忙しくなって足が遠のき、それが落ち着いた頃、工事が完了した。
北米製の真新しい木の扉を開けると、ガランガランとドアベルが鳴った。
一歩足を踏み入れた店内には、新築特有の木の香りが漂っている。
「「お帰りなさいませ、ご主人様、お坊ちゃま」」
店内のメイド達が、一斉に挨拶をしてきた。
今日働いているメイドさんは、5人だと聞いている。
いずれも高額のバイト代で雇われた18歳以上の女性たちだ。
その他は、飲み物を用意したり、会計をしたりするメイド服姿の氷柱女の娘たち2人と、オーナーとして基本的には奥に控えている氷柱女。
対する客は、まだ開店から10分程しか経っていないにも拘らず、既に10人以上が入っていた。
「ご主人様のお好きな席にお掛け下さい」
店内はカウンター席と、ボックス席の2種類があるバーになっている。
だがここは、普通のバーでは無い。
壁には人気アニメのポスターが貼られ、カウンターの奥には、アニメのフィギュアが納められたガラスケースが置かれている。
店内にはアニソンが流れ、モニターにはアニメランキングが流れる。
天井にはミラーボールがあり、店の奥には煙の出るミニステージが設置されており、ショーでは客が振るためのLEDペンライトが配られる。
世間では、このような施設をメイドバーと呼称する。
「完璧だね!」
同行していたディレクターが、喜色を浮かべた。
彼は威風堂々と店内を歩み、カウンター席の一つに腰掛ける。その物怖じしない態度には、このような場に慣れている様子が窺えた。
俺はディレクターの後ろから見よう見まねで付いて行き、カウンター席にヒョイッと飛び乗って腰掛けた。
するとアニメの缶バッジをエプロンに付けたメイドさんが寄ってきて、メニューを差し出してきた。
「お飲み物は何になさいますか」
メニューに書かれているのは、基本的に安いものばかりだ。
だがこの店は、飲み物代を含めても平日は一晩で5000円、週末などは1時間半で5000円という料金なので、他の呑み屋に比べて安い方だ。
但し、オタク以外は10分と耐えられない異次元空間になっているが。
ディレクターはカクテル、俺はウーロン茶を頼むと、氷柱女の次女が運んできた。
俺は変装しているとはいえ、店側には知られている。
本来は接客しないはずの次女が俺に付いたので、仕事を半分忘れているディレクターは最初に応対したメイドさんに任せて、次女と話をする事にした。
「見るからに順調そうですね」
「本当だよ。まだ開店から1週間しか経っていないのに、ほぼ毎日来ている人も居るくらい」
「それは重畳ですね」
俺がそう評したのには、理由がある。
この店の床下には、場に発散された気を集めて、氷柱女と娘たちに流す陣を設置してある。妄想を捻らせるオタク達の妄想パワーは、枯れた亭主に代わる気の補充元となるわけだ。
また床板の製作には、木の世界神の祝福の力を用いて陣を施しているため、他の人間が細工や悪用を行える余地も無い。
TVドラマ用の解説では、呪力の測定板を用いて、人間から直接的に気を吸っているわけではなく、客に悪影響は無い事を補足する予定だ。
おそらく関係者は、誰1人として損をしていない。
地元のオタクたちにとっては、安価なメイドバーが作られた。
氷柱女と子供たちは、新たな生気の回収先が獲得できた。
雇われた女性店員たちも、旅館の亭主から割の良いバイト代を得られる。
これは皆に利があるウインウインの関係である。
「それで気の回収量は、どの程度ですか」
「うーん」
次女は、右手の人差し指をクルクルと回しながら暗算を始めた。
「測定板だと、1週間で差し引きが+1かな」
「それって、3人ともですか」
「そうだよー」
測定版の1は、心霊現象に全く関わりの無かった一般人の魔力1人分だ。
3人とも1週間で1ずつ得ているなら、亭主に頼りきりだった頃に比べて、魔力の収入は大幅増だろう。
「ええと、冬の時期は、消費が少ないんですよね。夏に今のペースだと、収支はどんな感じになりそうですか」
「あまり外に出なければ、マイナスにはならないと思う。秋から春の間で、気を貯めておけないかな?」
「そうですね。最大量までは貯めておけると思います」
これは成功と見なして良いだろう。
従前は、亭主の気力を妻と娘たちで分けて、不足分は亭主の生命力を削って過ごしてきた。
だが今は、亭主の生命力を削っていない。
そしてこの方式は、持続可能だ。
テレビ的にも、娘たちは実家の旅館に併設されている飲食店を手伝っているだけで、家のお手伝いで違法にはあたらないと言い張れると思う。多分。
後は、テレビ放送するだけだ。
(……あっ、マズいかも)
このまま放送すると、海月さんにメイドバーの発案者が俺だとバレる。
それに沙羅に知られると、休日にメイド服を着て俺の家に来かねない。
(……どちらの可能性も、120%だな)
仕事に真摯な海月さんが、自分が主演してラジオパーソナリティまでやっているドラマ放送を、理由も無く見ない訳が無い。
万が一、別の仕事で見逃したとしても、ラジオのリスナー達が絶対に密告してしまう。
そして沙羅も、俺の活動をチェックしない訳が無い。
メイド服姿は可愛いとは思うが、おそらく感想を聞かれ、横に座られ、手を握られて引かれ、密着され、俺が下手な事をすればそれを足がかりに攻め落とされかねない。
あるいは何もせずとも、いつの間にか押し切られる可能性もある。
沙羅に手を出した場合に、海月さんがどんな反応をするか、恐ろしくて想像したくない。
俺の頭は、バケツ一杯の氷水を浴びせられたかのように、一気に冷めていった。
「ディレクターさん、メイドバーの件ですけど……」
「人と妖怪による、新しい共存共栄の形だ。妖怪は倒すだけじゃなくて、今回みたいな方法でも解決できるんだね。一輝君、これは雪女や幽霊船の調伏を越える結果かもしれないよ!」
隣の席に座るディレクターは、俺を大絶賛している。
このままだと、俺の発案を大々的に宣伝されかねない。
ちなみにドラマのディレクターとは、世間一般でいう監督の事だ。
この番組では、調伏に関しては俺に決定権がある一方で、撮影や編集に関しては、ディレクターの意見が通る。
「ええとですね。放送に使えるのは良かったです。ところで発案者ですけど、メイドバーの詳細を調べたのは番組ですし、ボクは未成年ですから、発案は番組って言う事にしませんか?」
「調査は番組だけど、発案は一輝君だろう。うちはノンフィクションが売りなんだから、功績を横取りするような嘘を吐いたら駄目だよ。ネット社会、1つでも嘘がバレると、そこから大炎上しかねないんだからね」
「…………あうぅ」
ディレクターに真顔で諭された俺は、放送後の言い訳について、頭を悩ませる事になった。
























