22話 何でもない日
「魚の鱗を剥がすときは、梳き引きが一番綺麗かな」
「ペットボトルのフタとか、金タワシとか、結局どれが良いの」
「ウロコの剥ぎ残しが無くて楽なのは、梳き引きかなぁ」
「へぇぇ」
雪菜が女性の幽霊船員に料理を習い始めて、1ヵ月が経った。
教師役の女性職員たちは、何れも見目麗しくないおばちゃんだった。
長い航海で荒々しい船乗りの男性達に囲まれるため、余計な気を起こさないようにという配慮なのかもしれないが、おかげで家事スキルは異様に高い。
そんな教師達に教わりながら、平日の朝夕と休日の3食を作っているため、雪菜は料理の腕前が、著しく成長している。
基本的に海産物や野菜が中心で、金曜日がカレーに決まっているのは仕様らしいが、おかげで魚の三枚おろしくらいは出来るようになっていて、もはや外食に頼らずとも生きて行けそうな状態だ。
「それにしても小学5年生なのに一人暮らしって、有り得ないわねぇ」
おばちゃんは料理を作りながら、改めて俺の境遇に呆れた。
だが人間と雪女の感性は異なるらしく、雪菜は俺を擁護した。
「アタシたち雪女も、一人で生活できるようになったら独立するわよ。イツキも一人で生活できるようになったから、父親も次の番を探したんだろうし」
「まだ小学5年生の子供だよ」
「でも自分で稼いで、一人で生活できているでしょ。式神を使うのも、イツキの力だし」
「まあそうだけどね」
おばちゃんは渋々納得した。
「ところで雪菜ちゃんは、式神だけど生きているんだよね」
「そうよ。八咫烏とか、絡新婦もそう。スライムと牛鬼と鎌鼬もかな」
「あたしらとの違いは、何なんだい」
「アタシたちは元の身体があって、成長するわ。そこにイツキが力を与えて、その間は神様が育つみたいに理想的に成長していくらしいけど」
「神様?」
「神話の神様って、理想的な年齢で力が強いままでしょ。それに近付いていくみたい」
「はえぇっ。それは凄いねぇ」
おばちゃんは大口を開けて感嘆の溜息を漏らした。
「でもみんなは死んでいて、魂を元に身体を作っているから、陽気を送られて力は増すけど、姿はそのまま変わらないわよ」
「若返ったり、美人になったりはしないのかい」
「それは無いわ」
「随分と扱いに差があるんだね」
おばちゃんは残念がった。
「でもアタシたちも、イツキの陽気で成長するのは、イツキが生きている間だけ。その後は解放されて、妖怪に戻るかな」
「力が強くなって解放されたら、絡新婦のお嬢ちゃん達は危なくないの?」
「みんな使役されている間中、イツキの陽気を送られて育つの。だから、あんまり彼と相反する事をしていたら、せっかく増した力が損なわれるわ」
「へぇ。色々と手は打ってあるんだね」
「そうね。でもイツキは、私や絡新婦がご飯を食べる事は認めると思う。それくらいなら力は損なわれないし、人間と争いになる事も無いとは言えないわ」
おばちゃんは料理の手を止めて、雪菜に向かい合った。
「雪菜ちゃんは、人間を食べないと駄目なのかい?」
「陽気が貰えれば良いから、イツキの子供が契約を引き継いでくれたら良いかな」
雪菜はおばちゃんに構わず、魚を皿に盛り付ける。
「契約を引き継ぐなんて、出来るのかい」
「全部を一人で引き継がなくても、契約する式神を分けるとか、全力で活動するんじゃなくて力を制限するとかすれば、契約できるかな。でもアタシは、あんまり性格が合わない子だったら、普通の雪女に戻るけど」
「へえぇ。でもあたしらは、引き継げなさそうだねぇ」
「うん。普通の人間が持てる呪力は100らしいけど、巡視船も、捜索救難ヘリも、それじゃ足りないんだって」
「つまりあたしらは、一輝くんが生きている間の命ってわけだね」
「そうね。でもイツキは若いから、みんな普通の人より長生きになるんじゃ無いの」
「まあねぇ。それにこのまま歳を取らないのは、とっても良いわ。それにこのマンション、凄く贅沢だし!」
おばちゃんは上機嫌になりながら、次の料理に取りかかった。
幽霊船員のおばちゃんは、2人居る。
そのうちの1人は、隣の家で紫苑の勉強を見ていた。
家庭教師のリーダーは医師だが、幽霊船員も勉強は教えられる。
海上保安庁の学校では、学生から国家公務員扱いで学費が掛からず、逆に給料を貰えるため、倍率が物凄く高い。しかも採用の少ない女性となれば、確実に学業優秀だ。小学生の勉強を見る程度は、朝飯前である。
「巡視船の船員さんって、どんな仕事なんですか」
勉強に飽きてきたのか、紫苑が勉強に関係のない質問をした。
「飽きちゃったかな。ちょっと休憩しましょうか」
「はーい」
おばちゃん2号はクッキーの箱を開けながら、小学生向けに簡略化して答えた。
「お仕事は、海の警察官かな。普通の公務員よりも給料が良いよ」
「それって、どうやってなるんですか」
「専門の学校があるんだよ。海上保安学校か、海上保安大学校に行くと入れるよ。紫苑ちゃんは、将来なりたい仕事はある?」
「一輝君のところで働く事は、もう決まっているから」
「それはどうしてかな」
紫苑はクッキーを摘まみながら、絡新婦のエピソードを語った。
主観は強めだが、当事者故に詳細を語れる。
2号は相槌を打って、紫苑の体験談を聞き終えた。
「そんな事があったんだね」
「うん。私は大天狗と鬼神の子孫。一緒の学校でフォローして欲しいって言われて、将来は手伝って欲しいって言われたから、約束を果たすの」
「お父さんとかは、なんて言ってた?」
「お父さんは自分が借りを返すって言ったけど、一輝君が、私の方が良いって断ったの」
「あっはっはっは」
2号は腹を抱えて、大笑いした。
そして後ろを振り返り、キッチンに立っていた母親に声を掛ける。
「お母さんは、どう思いました?」
「賛成しましたよ」
「それは、どうしてですか」
「夫とは幼馴染みで、この仕事をしている事も知っていました。紫苑は、私と同じ道を歩んでいるだけです」
「思い切りましたね」
2号が切り込んだのは、絡新婦のエピソードを聞いたからだ。
一輝が介入しなければ、夫と紫苑の姉は絡新婦の母体に殺されていた。
それに紫苑も一人だけ逃げ出す判断が出来たとは思えず、十中八九、殺されていたと思われる。
紫苑には姉以外に兄弟が居ないので、紫苑の母親は夫と娘達を一気に失っていた可能性が高かったのだ。
「そうですね」
紫苑の母親も、思い切ったという指摘には同意した。
「でも一輝君の事は、テレビで知っていました。2年半前に牛鬼を調伏してから、払えなかった悪霊は無し。ドラマでは毎週ノンフィクションで、全国の悪霊や妖怪を調伏しています」
「あたし達が死んだ後ですね。見てみたかったなぁ」
「大人気番組ですよ。テレビ出演の収入もありますし、夫達より確実に力が上で、沙羅ちゃんの足まで治すなんて、間違いなく超優良物件です。そこで賛同しました」
「それで賛同してこちらに来たところ、とんでもないマンションに住んでいて、海上保安庁の巡視船や救難ヘリまで式神にする力も知った。という事ですね」
「ええ。予想していたよりも、ずっと凄かったです。紫苑、せっかく彼の方から紫苑を捕まえたんだから、このまま逃がしちゃ駄目よ」
母親が熱心に勧める様子を見て、2号は苦笑いした。
「一輝君は、そういうつもりじゃ無いんじゃないかな」
紫苑は困って反論する。
「今は意識してないかも知れないけど、だから今のうちに幼馴染みの足場を固めるの。近くに住んでいる女の子って、紫苑と沙羅ちゃんだけでしょ」
「でも沙羅が、アピールが強すぎかも」
「でも負けちゃ駄目よ」
「あれは無理だよ」
沙羅の様子を思い浮かべた紫苑は、年齢に見合わない疲れた溜息を吐いた。
紫苑に溜息を吐かれた沙羅は、マンションで一人暮らしをしている。
世話係は看護師2名で、2名とも沙羅の専従だ。
紫苑には母親が着いているが、沙羅にも専属で見てくれる大人が必要だと判断しての専従である。
2人は同じ看護専門学校を出て、同じ大学附属病院に勤務し、同じDMAT隊員となり、同じ救急看護認定看護師になった先輩後輩である。チーム医療が得意な看護師であり、連携は完璧だと確信できた。
そんな2人に、俺は沙羅の目の前で宣言した。
「お二人は、沙羅の専従をお願いします」
「専従?」
「どんな時でも沙羅を最優先して、いつでも沙羅の味方をして下さい。紫苑のお母さんが何か言っても、それが沙羅に不都合なら、ボクの指示だと言ってキッパリ断って下さい。役割は、沙羅の守護霊みたいな感じです」
「守護霊なんだ」
「はい。沙羅は女の子だし、プライバシーはボクにも報告しなくて良いです。お金も渡しますから、お二人の判断で何でも自由に使って下さい。手助けが必要な時は、ボクとか、幽霊のお医者さんに報告して下さい」
「よし、お姉さんたちに任せて」
「沙羅ちゃん、よろしくね」
「はい。宜しくお願いします」
以降、看護師の幽霊たちは、沙羅のマンションにそれぞれ部屋を持って、母親代わりの全面的なサポートをしている。
保護者のサインが必要な時には紫苑の母親が面倒を見る事になっているが、殆ど代筆しているので頻度は0に近い。看護師たちは沙羅の両親や姉の連絡先も獲得して、あちらとも定期的に連絡を取り合っている。
「今日も家の中まで送って貰えました。もう日課になったと思います」
「順調だね」
「はい。紫苑には、随分リードしています」
先輩看護師の笑顔に、沙羅は満足げに頷き返した。
ふと疑問を感じた後輩看護師が、沙羅に尋ねる。
「そういえば沙羅ちゃんは、一輝くんとはどんな関係なの?」
「一輝さんは、命の恩人です。何の約束もしていないのに助けてくれて、何もお願いしていないのに足を治すための鎌鼬を探してきてくれました」
「そっか、命の恩人なんだね」
「はい。私だけじゃなくて、お父さんと、お姉ちゃんも助けてくれました」
「それは凄い恩人だね」
「はい。一輝さんは、凄いんです」
沙羅は、真顔で宣言した。
「沙羅ちゃんは、紫苑ちゃんみたいに一輝くんと何か約束しているのかな」
「はい。私は自分の恩は自分で返しますと約束しました。それで一輝さんの隣に家も用意して貰いましたし、事務所にも私の場所を作って貰いました」
「そうなんだ。それじゃあ自分の考えで、恩を返すために頑張るんだね」
何とかまとめようとするピンクに、沙羅は熱心に語り続ける。
「はい。足が無くなった時、本当にこれからどうしようって思いました。五鬼童の仕事は片足だと無理だし、普通に歩く事も出来ないし」
後輩看護師は、頷きながら話を促す。
「ちゃんと生活出来るのは、全部一輝さんのおかげです。そもそも命も助けて貰っていますけど。だから私の命は、一輝さんと半分こにします。全部あげちゃっても良いけど、死んだら役に立てないし。だから半分こにします」
沙羅が宣言すると、隣で聞いていた先輩看護師が笑顔で応援した。
「そうだよ。死んじゃったら、役に立てないからね。ちゃんと生きて、恩返ししようね」
先輩看護師は、沙羅の思考を誘導している。
それは元々持っていた「全部」とか「死ぬ」といった不穏当な思考を、「半分」や「生きて返す」に変えさせているのだ。
後輩看護師も、先輩の思考誘導に協力した。
「そうなんだ。沙羅ちゃんはしっかりしていて、大人だね」
「私たち五鬼一族って、大天狗と鬼神の子孫なんです。もしかすると、人間より成長が早いのかも」
「成長が早いの?」
「小鬼とか小天狗も直ぐ育つし、私も……一輝さんの式神になりたいな」
後輩看護師の表情が、笑顔のまま引き攣った。
だが沙羅は止まらず、妄想を続ける。
「だって一輝さんは、鬼を式神に出来ますよね」
「そうだね。牛鬼の式神を持っているね」
「雪女の雪菜さんだって、式神にしているし。だから天狗と鬼の血を引く私も、式神に出来ると思って。私が死んだときは、一輝さんの式神にしてくれるようにお願いしておこうかな」
後輩看護師が先輩看護師に目を向けると、先輩看護師が笑顔で介入した。
「沙羅ちゃんは、一輝くんの事を好きだよね」
「はい。好きですよ。結婚したいです」
「だったら式神じゃなくて、普通にお嫁さんになろう。沙羅ちゃん可愛いし、男の子なんて、女の子から口説いたら案外簡単だよ」
「そうなんですか」
「そうそう。一輝くん、独占欲が凄く強いから、告白してくれた子は絶対逃さないタイプだよ」
「うんうん、それに沙羅ちゃんは可愛いからね」
先輩看護師の誘導に、後輩看護師も乗っかっていく。
「でも一輝さん、芸能人の向井海月さんが好きなんです」
「でも海月ちゃんは、一輝くんを弟みたいに思って、恋人とは見ないかも。海月ちゃんが他の誰かを好きになって、一輝くんがそれを知った時が、沙羅ちゃん最大のチャンス!」
「そうなんですか?」
「沙羅ちゃんが先に告白しておいて、一輝くんが失恋した時にゲットする手もあるかもね。これは、式神には出来ないよ」
「そうだね。式神になっちゃうと、恋人になる機会が無くなっちゃうかも」
「そうですね。それなら止めておきます」
看護師達の連携により、沙羅の思考はおかしな方向へ修正されていった。
























