21話 紫苑と沙羅
俺が転校してから半年。
芸能科のある私立学校に、2人の転校生がやってきた。
「今日は、皆にお知らせがあります。このクラスに、転校生が来ます」
「「「おおーっ」」」
小学5年生のお子様達が、一斉に歓声を上げた。
男子も殆どは声変わりしておらず、動物園のように甲高い声が響き渡る。
担任は敢えて注意せず、扉の外に呼び掛けた。
「それじゃあ入ってきて」
教室の引き戸が引かれ、2人の女子が入ってきた。
1人目は、胸元近くまで伸びるロングヘアで、小学生にしては髪が長い。躍動感溢れる表情で、活発そうな印象を与えている。
2人目は同じくらいの長さの髪を、三つ編みお下げにして前に垂らしている。大人しめに見えるが、凜とした眼差しは、意志の強さを窺わせる
容姿は、管理神のサイコロを振って優が出たくらいの良さだが、一応ここは子役揃いの芸能科コースなので、負けを認める女子は居ない。
「えーっ、2人!?」
2人同時に転校生が入る事に、クラスメイト達は驚いた。
だが彼女達は、既に賀茂陰陽師事務所に所属しており、ドラマへの出演も決定している。そういう子供のために作られた私立の芸能科コースであるからには、同じクラスへ入るのが当然なのだ。
「2人とも、自己紹介をお願いね」
「「はい」」
2人は白板のマジックチョークを手に取ると、それぞれ名前を書き始めた。
『五鬼童紫苑』
『五鬼童沙羅』
同じ苗字が書かれると、クラスメイト達は2人が双子なのかと誤解して勝手に納得した。
名前にふりがなを振った後、紫苑から自己紹介する。
「五鬼童紫苑です。奈良県から来ました。所属は賀茂陰陽師事務所。ドラマ『少年陰陽師』での出演が決まっています。得意なのは体育です」
得意なのではなく、特異なのではないか。
俺は内心でツッコミを入れた。
大天狗と鬼神の血を継ぎ、大鬼1体と戦って互角の戦闘力を持つ。まだ子供だが、綱引きでは子象と張り合える。
運動系の大会に出れば、種目を問わず優勝出来る身体能力だ。もっとも人間ではなく妖怪枠に入れられて、順位の評価はされないと思われるが。
そんな理不尽な制約を受ける代わりに、身体能力を活かした仕事では稼げる。俺が彼女を事務所に誘ったのは、その特殊な能力に目を付けたからだ。
「習い事は、薙刀と合気道とペン習字をやっています。それと隣の沙羅とは、はとこです。うちのお父さんと、沙羅のお父さんが、いとこ同士です。苗字が同じだから、あたしの事は下の名前で呼んで下さい。よろしくお願いします」
「はい、みんな拍手」
紫苑が頭を下げると、担任の指示に従ってクラスで拍手が起こった。
「次は沙羅さん、自己紹介をお願いね」
「はい。紫苑と同じで、奈良県から来ました。所属は賀茂陰陽師事務所。わたしもドラマ『少年陰陽師』に出演します。得意な教科は体育ですけど、好きな教科は英語、算数、国語、社会です」
理科は何処へ行ったのだろう。
「習い事は、紫苑と一緒に薙刀とペン習字をやっていました。あとはピアノも習っています。みなさん仲良くして下さい」
「はい拍手」
拍手の後、2人は教室の一番後ろに追加された机に向かった。
教科書は既に入手済みで、無いから見せてあげるというお約束イベントは発生しない。
普通に授業が行われ、短い休み時間の度に机が囲まれて、クラスメイトの自己紹介が続いた。
それと同時に、ドラマの件も話題に上る。
「ねぇねぇ。ドラマの出演って、どうやって決まったの」
このクラスは芸能科コースで、芸能プロダクションや劇団に所属している子役や子供モデル、研修生などだ。
彼ら彼女らの親は、子供に様々なオーディションを受けさせて、テレビや舞台へなんとか出演させようとしている。
みんなも熱心な親の期待に答えるべく頑張っており、紫苑と沙羅が出演に至った情報を聞きたがった。
「賀茂事務所に所属したからかな。調伏って、殆どノンフィクションだから、参加していたら自然とテレビに映るし」
「じゃあ一輝くんの事務所って、どうやってタレントを選ぶの」
俺にも質問が飛んできた。
これはクラス内のヒエラルキーの確認だろうか。
クラスメイトたちは、タレント系、役者系、モデル系などでジャンルが分かれており、同じジャンルでは何となく上下関係が出来ている。
俺の場合はタレント系だが、他がアイドルタレントであるのに対し、俺はお笑いタレント系に属している。ドラマでも特殊技能で出演しているので、仕事が競合せず、ヒエラルキーは高いがライバル意識は持たれていない。
従って紫苑と沙羅も、別枠だと説明すれば良いのではないか。
そう判断した俺は、その点を強調する事にした。
「2人の場合は、妖怪を退治できる力と才能があるから選んだんだよ。だから他の番組への出演予定は、今のところ無いよ。陰陽師ラジオと雑誌のインタビューには、少し出るかもしれないけど」
「じゃあ出演って、陰陽師系だけなの。それとも動物王国とか、葉月薫の夜間小学校とかにも出るの。他のオーディションとかは受けるの?」
「無いんじゃないかな」
「そうだね。あたしは一輝君の仕事に関係ない番組には、出ないかも。でも夜間小学校のコーナーは雪菜さんも出ているから、出ても良いのかな」
「アレって、物凄く、ものすっごーーくっ、倍率高いんだけど!」
俺と共演している高宮優子が荒ぶった。
オカマ教室は20人が上限なので、あまり視聴率に貢献しない生徒は、消えていく定めだ。
1年に1回は進級によるクラス替えで入れ替えられる他、雪菜のように期待の新人が現われた場合、後ろの方に並べられた顔が良いだけの子役たちが消えていく。
俺は陰陽師で、雪菜は雪女で自分の立場を確立させているが、普通の子供にそのような事は出来ないのだ。
ちなみに優子は、七夕回ではミュージシャン志望の兄をニートネタで売り飛ばして、過酷な競争を生き残っていた。
「2人は俺や雪菜みたいに、特殊能力があるからなぁ」
「えっ、そうなのっ?」
「ドラマで出てくると思うけど、神通力が使えるぞ」
「ずーるーいっ。私も何か欲しいっ」
優子は悔しがったが、ジャンル違いは認識したようだった。そして芸能科コースのヒエラルキー的には、2人とも上の方に納まったようである。
もっとも2人は、芸能人として活躍したいわけでは無い。
紫苑は、父親と姉の命を救って貰った恩返しで、俺の役に立ちに来た。
彼女自身は、俺が空中でキャッチしていなくても死ななかっただろうし、絡新婦の母体から逃げられた可能性もあるので、命の恩人とまでは言い難い。
そのため冷静さがあって、恩義はきちんと計算していて、その分はきっちりと返すという意志を持って行動している。
沙羅は、父親と兄と姉の命を救ってもらい、自分の切断した足も治して貰った恩返しに来た。
彼女の場合は、俺が助けなければ確実に死んでいたと断言できる。左脚の膝下も、俺が治さなければ一生切断したままだった。
そのため沙羅の決意は重い。決意は、固いのではなく重い。足を治した時点から好感度が上限を振り切れており、心酔状態になっている。
そんな2人の行動を、俺は歓迎した。
何しろ2人とも大天狗と鬼神の子孫で、現時点で魔力55ほどある。
どれだけ人間の中を探しても、彼女達以上の人材は絶対に出てこない。
速やかに確保すべく、俺は2人に自分が住むマンションの両隣を提供した。以前、1戸5億円の3LDKを3分の1の価格で購入した3戸うち2戸だ。
家賃や光熱水費、管理・修繕費を一切取らず、習い事に必要な費用も全て出し、さらには食費も取らず、日曜限定で仕事のお手伝いをすればバイト代も渡すという超高待遇にした。既に2人には、事務所に机も用意している。
これらは全て、未来への投資だ。
そんな彼女達は、子供だけで来ているわけでは無い。
紫苑は母親と一緒に来ており、親戚である沙羅も紫苑の母親がお目付役という事になっている。
転校初日は万事恙なく過ぎて、下校と相成った。
「それじゃあ帰ろうか」
「「はーい」」
1日で完全にうちの関係者だと認識された2人は、周囲から何の違和感を持たれる事もなく、ごく自然に俺と共に帰宅した。
「両手に花かな」
「あたしの名前は、紫苑だからね。それに10月16日生まれだから、誕生花の紫苑って名前になったし」
「へぇ、そうなんだ」
紫苑は、秋に薄紫の花を咲かせる菊科の花だ。
花としての別名は、鬼の醜草。
天狗と人間の血を引く紫苑は、鬼から見れば醜いのかも知れない。だが醜い鬼から見て醜いのであれば、逆に綺麗なのではないか。
少なくとも俺から見て美少女なのは間違いない。願わくば、このまま綺麗に育って欲しいものだ。
「それにあたしだけじゃなくて、沙羅の名前も花だよ」
「沙羅は、どんな花なの」
「私の名前は、夏椿の別名です。6月16日の誕生花ですね」
夏椿は、夏に白い花を咲かせるツバキ科の花だ。
残念ながら、それしか知らない。
「夏椿って、花言葉は何」
「儚い美しさ。哀愁。花が朝に咲いて、夕方には散ってしまう一日花だからだそうです。私も散りそうでしたし、合っているかも知れませんね」
「うえっ」
衝撃的な花言葉である。
確か2人の姉も杏と葵だったので、五鬼童の女性には誕生花の名前を付けるルールがあるのかもしれないが、他に命名のしようがあったのではなかろうか。
もっとも俺の名前も「一つの輝き」と書いて「一輝」というキラキラネームの極みなので、人の事をとやかく言える立場では無いが。
「でも散った花を一輝さんが拾ってくれたので、これからは一輝さんの為に咲きますね」
「う、うん。ありがとう」
突然の宣言と共に、沙羅が俺の手を腕に抱えてきた。
そのストレートすぎる意思表示に、不意を突かれた俺は動揺して、しどろもどろになった。
狼狽したまま、10月に完成したばかりのマンションに帰宅する。
マンションには、俺の父親や紫苑の母親の他に、式神達が住んでいる。
青山霊園から紛れ込む霊を狩る八咫烏や絡新婦、そして事務所やプライベートの手伝いをしてくれる幽霊巡視船の船員達。
3年前に死んだ幽霊船員たちは、式神化した後から各々の家に帰宅して、身分証や資格証の確認・回収・再発行をしている。
彼らは死体が見つからないまま、認定死亡とされていた。
そこで幽霊船員の一部は、式神化して実体化した身体と記憶で、家庭裁判所に認定死亡の取り消し手続きを行った。
「認定死亡って、何ですか」
「死体は見つからないが、死んでいると思われる。と、警察などが市町村に報告を行うんだ。そうすると死亡を認定してくれるんだよ」
「死亡にすると、何か良い事があるんですか」
「遺族が国からの見舞金や遺族年金、保険会社からの保険金を貰えるし、市民税なんかも払わなくて良くなるね」
「それじゃあ死亡を取り消すと、どんな良い事があるんですか」
「色々あるよ」
身元不明者のままでは、身分や資格や不動産を取得出来ない。
銀行の口座を作れず、クレジットカードも持てず、運転免許証も更新できないので車も運転できない。式神化して実体化できる状況では、色々と不都合もある。
妻子を持っていた幽霊船員たちは、戸籍上死亡のままを選択した。
一方で独身の幽霊船員には、認定死亡の取り消しを行った者も居る。
「市町村へ認定死亡を報告したのは、海上保安庁だ。その海上保安庁が本人確認を行って生きていたと証明してくれるから、家庭裁判所での手続きは直ぐに終わるよ」
実際には死んでいるため、海上保安庁の職員や大学病院職員の身分までは回復しない。
海上保安庁が配慮したのは、幽霊巡視船として海上の霊障を解決してくれる諸事情を勘案した結果のようだ。
彼らの活動は、賀茂陰陽師事務所を通しての業務委託形式である。
幽霊船員40人のうち、2人の女性隊員と2人の看護師は陸地専従だ。
主な仕事は、俺や紫苑、沙羅のお手伝い。
親と同居していない俺と沙羅の家事や料理をして、紫苑を含めた3人の家庭教師をして、紫苑と沙羅の習い事の送り迎えもする。
医師2名とパイロット2名、救助要員4名は2交代で、陸に居る時は俺達3人の家庭教師や事務仕事をして、海に居る時は救命活動を行う。
残る28人の幽霊船員も、14人の2チームで陸と海を交代している。
陸では、14人中10人が勤務で、残る4人が休暇を取る。つまり週休二日制だ。10人は2交代で、日勤7人と夜勤3人に分かれる。
海では、半自動の幽霊型巡視船と共に、海の幽霊を退治する。
幽霊船は海上保安庁の大型巡視船で、乗員も3年前の現役職員だ。海保へのアピール力は凄まじく、依頼も次第に入り始めている。
「それじゃあ合気道に行くから、また後でね」
「うん。またあとでね」
エレベーターで25階に上がると、紫苑が手を振って別れた。
紫苑が家に入るのを見届けた後、俺の手を握っていた沙羅が呟く。
「一輝さん。ネット百科事典に書かれていましたけど、向井海月さんの事が好きなんですよね」
「ぐはっ。誰だよ、そんなの書いた人はっ」
「私の髪型、海月さんみたいにしましょうか」
「…………はいっ?」
コノコハ ナニヲ イッテイルンダロウ。
「しなくて良いよ。沙羅の髪型も可愛いから、真似をしなくて大丈夫」
「それじゃあ、海月さんみたいな話し方をした方が良いですか」
俺の手を握る沙羅の力が、少しずつ強くなっていく。
「真似しなくて良いから。大丈夫。沙羅は可愛いし、沙羅のままで良いから」
「そうですか。何かして欲しい事があったら、言って下さいね」
「ウン、アリガトウ」
俺は生唾を飲み込みながら、ゆっくりと頷いた。
「それじゃあ、また夕食の時にね」
「はい。またあとで」
手を離した沙羅は、俺を見詰めたままその場に立ち続けている。
俺は自分の部屋に入ろうとして思い止まり、沙羅を連れて沙羅の家の扉を開け、中に誘導してから手を振って別れた。
























