16話 かまいたち調伏
少年陰陽師のラジオには、全国から様々な妖怪の相談メールが届く。
一番多いのは解決して欲しいという依頼だが、それ以外にも『教えて陰陽師』のコーナーで、こんな妖怪が出たけどどうしたら良いかという相談も届く。
そんな相談の中に、岐阜県丹生川ダム上流の天端で、鎌鼬が出没するという情報があった。
鎌鼬は日本のみならず、中国でも翼の生えた虎の姿で発生している妖怪だ。
凶悪性は千差万別で、一番恐ろしいのは中国で四凶に数えられる窮奇、次いで新潟県の弥彦山と国上山の境にある黒坂の鎌鼬が凶暴だ。
関東、東海、関西、四国などでも鎌鼬の伝承は様々にあって、いずれも人を襲う。
だが美濃や飛騨の山間部では、一風変わった鎌鼬が出る。
「一輝、夏休みに旅行をしたいと言った先が、妖怪退治なのか」
父親が呆れた声を上げた。
「うん。下流に温泉もあるから、終わったら入りに行こうね」
「仕事にしたら金が入るだろう。どうせ退治するなら、テレビも呼べば良かったんだ」
「この前は青森県の依頼で、沢山稼いだよね。それにボクが鎌鼬を調伏したって放送されたら困るから、テレビは呼んでないんだよ」
「全く、無駄な事を」
そう言いながらも父親は、俺をここまで連れて来てくれた。
夏休みに小学生がせがんで、父親が連れて来てくれたという状況だ。一応唯一の家族なので、これくらいはしてくれる。
もっとも俺の行動には最初から呆れていて、車の中で寝てしまったが。
岐阜県に出る鎌鼬は、3体の神だとされている。
日本には八百万の神が居て、物にまで付喪神が宿るらしいので、神が大量に居ても何ら不思議はない。
岐阜県の鎌鼬は、1柱目が相手を転ばせ、2柱目が相手を斬り付け、3柱目が傷を治癒するとされている。
その中でも3柱目の治癒は非常に強く、2柱目の傷を癒やして痛みを消し、血も止める。
俺はそれが欲しくて、わざわざ丹生川ダム上流の天端に陣を作り、鎌鼬が出るまで幾度も右岸と左岸を往復し続けた。
「そろそろかな」
ミレニアムゾンビ以降、人々は山間部のような人気の無い場所には、不用意に近寄らなくなった。
もちろんゼロでは無いが、昔を知っている俺から見れば、随分と減った。
そのせいで獲物が少ないのか、ノコノコと現れた俺を狙って、鎌鼬が襲ってきた。
「どわぁっ!?」
何も無いはずの場所で、突然足を打たれて転ばされる。
「ぎゃああっ!?」
転んだところを斬られて、左上腕を裂かれた。
痛みに右手を伸ばし、そこで3神目の鎌鼬が薬を塗ろうとしたところを、無造作に手掴みする。
「おまえじゃあっ!」
「キュキュキュキュキュ!?」
3神目の鎌鼬は薬をぶちまけながら、俺の手に収まった。
「ふはははっ、妹は貰った!」
「キッキッキッ!」
「キュキュキュキュキュッ!」
俺が高らかに宣言すると、転ばせた上の兄と、斬った下の兄が怒って威嚇した。
「いや、これって斬り付けた方が悪いだろ。俺がお前らに何かしたかよ」
「キッキッキッ!」
「というか、お前ら放置してたら、被害が増えるんだよ」
俺は足元に敷いていた陣を展開した。
「さあ、このまま調伏しちゃうぞー」
「キャアアアッ、キャアアアッ!」
脅しが伝わったのか、下の兄が再び鎌で襲い掛かってきた。
その鎌鼬を、影から飛び出してきた雪菜が氷で受け止める。
「はーい、ごめんね」
雪菜の氷が鎌鼬の爪を伝って、腕まで凍らせた。
呆然としていた上の兄も既に霊糸で絡め取られている。
「転ばせる方だと、ボクの霊糸は切れないよねぇ」
「よし、2人ともナイスだ。『臨兵闘者皆陣列前行、天元行躰神変神通力。天地間在りて、万物陰陽を形成す。我が氏は賀茂、名は一輝、理を統べる陰陽師也。汝ら3神を陰とし、我が纏いし神気を対たる陽と為さん。然らば汝ら、この理に従いて、我が式神と成れ。急急如律令』」
「キキッ、キキッ」
「キュキュキュキュキュ」
「キュウウッ」
下の妹は、一番悪くないのに、何故か一番諦め気味だった。
そして調伏した瞬間、なぜか声まで聞こえてきた。
『はぁっ、だから悪い事をしたら駄目だって言ったしょ。お兄ちゃん達』
『力を試したかった。今は反省している』
『はいはい、悪うござんした』
兄妹たちの事情はよく分からないが、とりあえず受け入れてくれたのは幸いである。
伝承では、この鎌鼬は三位一体の存在だ。
転ばせ、斬り、治す。この流れを変えると、呪の効果が今一つになる。
従って俺には、3体とも必要だったのだ。
俺は鎌鼬たちを、転神、斬神、治神と名付けた。
名前の意図は、彼らが由来通り3体の神だと規定する事によって、術の効果を高めるためだ。
3神は式神として、俺を介して世界神の祝福の一端を発現させられる。
旅行から帰った後、俺は直ぐに力を試し始めた。
最初は、料理用の生きた魚を買って、何度も斬っては治した。
次にペットの餌用の小動物を買って、同じ事を繰り返した。
最後に八咫烏の式神たちを使って、人を襲う妖怪を捕らえて試した。
それらを充分試した後、俺は病院に赴いた。
絡新婦と戦った五鬼童一族は、10人中8人が県の病院に入院した。
入院しなかったのは俺と交渉した紫苑と、首元を噛まれて死んだ大人だ。
8人のうち今も入院しているのは、左腕の開放骨折で手術した高校生と、右脚を粉砕骨折した中学生と、左足の膝下を切断した小学生だ。
五鬼童沙羅は、絡新婦の牙に噛まれて瘴気を流し込まれ、左脚を切断した。
絡新婦の母体は元が強く、死に際の呪いとなった瘴気の効果も絶大だった。自身の子供達の殆どを殺された恨みも、篭められていたのだろう。
そんな死の呪いを注ぎ込まれた沙羅は、左脚を切断したのみならず、不発弾のように全身に陰気の種も播かれており、それを抑えられる陽気を送らないと発芽した呪いで地獄のように苦しみながら死に至る。
陽気を浴びせていれば呪いは弱まるが、いつ呪いが消えるのかは分からない。そして母体退治に関わった俺は、時々陽気を送りに来ていた。
「一輝さん、いつもありがとうございます」
沙羅の病室は、小児科病棟の個室だ。
部屋には両親、兄と姉、そして紫苑と紫苑の父親が揃っていた。
俺がノックして部屋に入ると、ベッドから起き上がってテレビを見ていた沙羅が、俺に向き直って頭を下げた。
「夏休みだから。それより今日は、皆に話があるんだ」
「はい。みんなに来て貰いました」
この場に来ていないのは、死んだリーダーの姉と、その息子2人だ。
もっとも息子のうち1人は、今もこの病院に入院中だが。
「紫苑を呼んで貰ったのは、彼女がボクの依頼者だから。後は本人と家族にも説明しておかないといけない」
念押しの後、鎌鼬を調伏した事と、治癒の実験を繰り返した事を説明した。
カマイタチは1神目が転ばせて、2神目が斬って、3神目が治せる。
動物実験と妖怪では成功しており、小鬼でも成功した。その様子は携帯で撮影しており、動画も持ち込んで見せた。
「人間と天狗と鬼神のハーフでは試していない。だって居ないからね。それで、沙羅の切断した左脚も治せるかも知れないけど、どうしようか」
集まった五鬼童の面々は、沙羅を見て押し黙った。
沙羅は周囲の雰囲気を察しながら、硬い表情で問うた。
「失敗したら、どうなりますか」
「これって病院は理解してくれないから、勝手にやるしか無いんだ。だから先に足を縛って止血して、勝手にやって、もしも失敗したらまた病院に運ばれて再入院。斬った分だけ、足が短くなるかもしれない」
沙羅は泣きそうな表情になった。
「怖いです」
「まあ、そうだと思う。だから強制しないし、情報を全部出して説明して、どうするか考えて貰うことにした」
沙羅が黙ると、代わりに沙羅の兄が問うた。
「もっと練習を沢山繰り返して、確実になってからだと駄目なのか」
「これは本人の霊体を基にして、霊力で癒す方法です。霊体の形が変わると、治すのが難しくなります。今は脚を失ったばかりですけど、このまま成長すると、気の巡りが左足欠損で定着します。時期を逃すと、カマイタチの力では治せなくなります」
「まるで、そういう経験があったような話し方だけど」
異世界で豊富に経験しました。などとは言えず、俺は辻褄を合わせる。
「ボクはプロの陰陽師で、その理論を基にしています」
「そうか」
一先ず疑義が無くなったのか、兄は口を閉ざした。
すると再び沙羅が、口を開いた。
「どうしてそんな事をしてくれるんですか」
「救命は、紫苑からの依頼だったから。『お父さんとお姉ちゃんを助けて! お父さんとお姉ちゃんを助けてくれたら、一生掛かってもあたしが絶対に払うから』って言われて引き受けた」
紫苑との約束について説明すると、紫苑も頷いた。
「約束は守るから。うちは五鬼一族だし、義を忘れたら駄目だから、ちゃんと払う。お父さんにも話してあるから」
「子供の負債は、保護者の負債だ。私が一生掛けてでも払う」
40代のオッサンに恩返しして貰っても、何も嬉しくない。
俺が純然たる小学生なら、五鬼童リーダーの意見に頷いただろう。
だがここはキッパリ否定しておかないと、一生後悔する事になる場面だ。
「いえ、ボクと娘さんは同い年なので、娘さんの方が良いです。同じ学校でクラス内のフォローをして貰うとか、将来はボクの事務所で働いて貰うとか。それで対価は充分です」
「それで良いよ」
2人の合意に、五鬼童のリーダーは深い溜息を吐いた。
娘の人生が一部決められてしまったが、自身と長女を助けて貰った対価としては破格の安さで、不当だとは主張出来ない。
合意に横槍を入れたのは、沙羅の方だった。
「それって、叔父さんと杏さんを助ける約束ですよね。私は入っていないと思うんですけど。陽気を掛けて貰う代金とか、足を治して貰う代金とかも」
「だからって助けなかったら、ボクに対する紫苑の評価が下がるよね。今後協力して貰うから、サービスかな」
「私の分まで紫苑に払って貰うのはおかしいです。私の分は、私が払います。もし足の治療が失敗して私が死んでも、私の家族を助けてくれた分から引いて下さい。お父さん、それで良いよね」
沙羅の父親は、紫苑の父親よりも重い溜息を吐いた。
「彼と同じ学校に通うのは、構わん。彼の事務所で働く事も、構わん。それは儂らが魔物退治に失敗して、彼が成功したからだ」
まるで大天狗に従う天狗達のような理屈だった。
あるいは強いリーダーに従う、野生動物の群れだろうか。
「足を治す賭けも、沙羅が決めたのであれば文句は無い。そもそも助けてくれなければ皆が死んでいたから、彼が失敗したところで、ここに連れて来た元凶の儂が恨む筋では無い」
キッパリと割り切った沙羅の父親は、最後に言葉を足した。
「だが死なないように、邪魔にならない方法で準備はさせて貰う」
それには沙羅も納得して、父娘の意見が纏まった。
それから暫くして、謎の動画がネット上に公開された。
ユーザー名は、『Arigatou』。
出演しているサングラスとマスクの少女は、画面で自らの足の説明を行った。
「皆さん、はじめまして。私は妖怪被害で、左足を切断しました。左足はこうなっています。こちらはレントゲンの写真です」
動画に映る少女は、切断した左膝と、レントゲン撮影を交互に見せながら説明する。動画の音声は、やや加工されているようだった。
「でも私と家族を助けてくれた陰陽師さんが、足の霊的治療をしてくれる事になりました。病院では理解して貰えないので、痛み止めだけ出して貰って、自分たちで治療します」
少女は一度肩を竦めて、説明を続ける。
「この映像で成功例を見せれば、次の誰かは入院して麻酔とか輸血をしながら治療が出来るかもしれません。外国だと病気を治すカラドリウスとかユニコーンが居るのに、日本は遅れていますよね」
日本の陰陽道が遅れているのは事実だ。
2年以上前の話だが、市役所は俺の父親に対して、陰陽師を辞めて真っ当に働きなさいと忠告した。
国際的に研究している西洋魔法に比べると、陰陽道は胡散臭いと偏見を持たれており、陰陽師の俺は未だに世間から色物扱いされている。
「陰陽師さんも、日本で陰陽道が中々理解して貰えなくて困っていました。だから私が公開して、陰陽師さんが次の治療をやり易くなるようにお手伝いをします。それじゃあ、お願いします」
少女は宣言すると、タオルを咥えて身構えた。
直後、突然転んでカメラからフレームアウトした。
「んーーーーーーんんっ!!」
画面の下側で巨大な霊光が煌めく。
式神のカマイタチを介して、世界神の凄まじい魔力が溢れ出した光だ。
カメラの外側では、斬られた膝下に霊光が伸びていく。
やがて眩い光が収まるに従って、肌色の足が見えてきた。
カメラが向けられた先では、血が飛び散った寝台の上で悶え苦しむ少女に、失っていたはずの足が生えていた。
少女の足は、身動ぎに合わせて揺れ動き、足の指先も開閉した。
「直ぐに病院へ」
画面外の男性が、キャンピングカーの扉を開ける。
するとそこは、どこかの病院の駐車場だったようだ。
少女は車を降りた先に用意されていた車イスに乗せられ、直ぐさま院内へ運び込まれる。
一行はエレベーターに乗り、そのまま病棟のナースステーションに駆け込んで、声を掛けた。
「すみません、足を見て下さい!」
声を掛けられた看護師が振り返ると、少女は車イスに乗りながら、失っていたはずの足を上げ下げして見せた。
それを見た看護師は、目を大きく見開いて驚き叫んだ。
「きゃあああっ、足があっ!」
「師長さん、師長さん。足っ、足っ」
「先生、小田先生っ、直ぐ来て下さい」
「おい、一体どうなっているんだ」
カメラに映されているのは病棟の床だったが、周囲が混乱する音声が暫く流された。
その後、場面は病室に切り替わった。
サングラスにマスク姿の少女は、窓際に2本の足で立っていた。
撮影が再開されると、彼女は軽やかなジャンプを3度繰り返して見せた。
「前の映像から、3日経ちました。これが新しい私のレントゲン写真です。前のレントゲンの写真と、今回のレントゲン写真、日付が見えますよね」
少女はレントゲン写真の左上に入っている撮影日時を指し示した。
「今はもう、普通に歩けます。まだ入院中だけど、週末には退院できます。退院したら、動画を公開しますね。陰陽師さん、ありがとうございました」