14話 絡新婦調伏・中 急がば回れ
白神山地で迎えた朝は、毛布と別れ難い肌寒さだった。
それでも頑張って起きて、撮影スタッフと共に、昨日コンビニで調達しておいたサンドイッチを食べる。
今回、ドラマの役者陣は同行していない。
自衛隊でも危険な場所に、俳優や女優は連れて来られない。脅威を排除した後、撮影のやり直しで上手く繋いでいく流れだ。
肝心の絡新婦であるが、俺は昨晩のうちにハトの式神たちを飛ばして、周囲の強い魔力の持ち主たちを探し出している。
この探索で迷惑だったのは、絡新婦と同程度の力を持つ五鬼童一族だ。
気を探るだけだと、五鬼童一族か、それとも絡新婦かの識別ができない。
一応、夜間に山中に潜む個体を絡新婦と推定する事にした。
まずはコテージを観察する個体が居たので、そちらを先んじて倒す。俺は自分たちの班に割り振られた自衛隊の小銃小隊に、今後の行動を説明した。
「まずはコテージを見張っている個体から倒します」
「そんな個体もいるのか」
隊員たちは、周囲を取り巻く森に視線を走らせた。
「はい。今はこちらが纏まっているので、バラバラになったところを襲おうとしているのかもしれません。それなら少数で行った方が良いですね」
俺の同行者は、武装した小銃小隊員4名と、カメラマン2名となった。
最近のドラマ『少年陰陽師』は、ドキュメンタリー寄りの番組になっており、他のカメラが映り込んでもあまり問題視されない。
役者の演技より、実録映像を求められているのだ。そのため主演の俺ですら、胸ポケットにペン型の撮影カメラを入れているほどだ。
撮影の準備が整うと、俺は魔力を隠しながら、森の中を進んでいった。
ブナの森を暫く歩くと、木の上に魔物の強い魔力が感じ取れた。
肉眼では全く見えず、自衛隊員も未だ気付いていない。
その場で立ち止まった俺は、背後のブナの木の上に向かって、火の世界神の祝福を受けた火魔法を問答無用で撃ち込んだ。
「急急如律令、獄炎招来っ!」
「ギャアアアアッ!?」
木の上に激しい炎が噴き上がり、生きたまま焼かれた絡新婦が絶叫した。
「大椿っ」
「グモオオオオッ」
俺が叫ぶと突然影から現れた牛鬼が金棒を振り回し、ブナの枝ごと絡新婦の身体を打ち据える。
絡新婦は火傷を負いながら、金棒を叩き付けられて、地面に打ち据えられた。そんな絡新婦の身体が、牛鬼の金棒によって地面に押さえ付けられる。
俺は絡新婦が飛ばした霊糸を炎の魔力で打ち消しながら、その場で陣を敷き、必死に身動ぎする絡新婦に術を掛けた。
『臨兵闘者皆陣列前行、天元行躰神変神通力。天地間在りて、万物陰陽を形成す。我が氏は賀茂、名は一輝、理を統べる陰陽師也。女郎蜘蛛の化身たる汝を陰陽の陰と為し、我が霊気を対たる陽として汝を束縛せしむ。然らば汝この理に従属し、我が式神と成れ。急急如律令』
絡新婦は足掻いていたが、気を全身に流し込まれると痙攣し、やがて屈して俺の影に引きずり込まれていった。
不意に「○○になんて絶対負けない!」「もうらめぇ」のコンボが思い浮かぶ。ヨーロッパに広く分布するオークとの戦いがどうなっているのか、非常に気になるところだ。
力に屈した絡新婦を影に押し込めると、険しい表情の自衛隊員に説明した。
「警告したら逃げられるので、先制攻撃しました。7人くらいだと、武装しても構わず襲ってくるみたいですね」
五鬼童一族の狩りで、絡新婦側も警戒している。
彼らの魔力で索敵が阻害される件も含めて、委託先を増やされた俺の手間は増えるばかりだ。
「式神にしたのか。強さはどの位だった?」
「感じ取れた陰気はD級。強さは五鬼童一族の子供と同じくらいで、確かに間違いありません。今回は不意打ちと先制攻撃で倒せましたけど、気は抜かない方が良いですね。それでは一度帰還します」
絡新婦は決して強者ではないが、人間では端から勝負にならない。
いかに銃で武装したところで、攻撃をまともに受ければそれで終わりだ。
「分かった。『こちら賀茂班。標的1を撃破。損害無し。これよりベースキャンプに帰還する』」
『こちらベースキャンプ。状況了解』
とりあえず成果は出た。
俺たちは僅か40分の探索を終え、ベースキャンプへと帰還した。
2日目の朝にして1体目の式神化に成功である。式神化して戦力に加えられた分だけ、駆除よりも好ましい結果だろう。
帰還したコテージでは、連絡を受けた自衛隊員が待ち構えていた。
「式神にした絡新婦から情報は取れるか?」
彼らが期待したのは、雪菜のように会話が成り立つ展開だろう。
俺は考え込むような仕草をして、即答は避けた。
「やってみますけど、その間の干渉は絶対にしないで下さい。これから行うのは陰陽師と魔物の霊的な交渉です。干渉された時点で、それが破綻してしまいます」
「安全なのか」
「干渉されなければ安全です」
俺の断言に小隊の隊長は頷き、部下たちを下がらせた。
やがて彼らが遠巻きになったのを確認した俺は、式神化した絡新婦を、影から引っ張り出した。
音もなく浮き上がったのは、血のように真っ赤な着物を着崩した、十代半ばの黒髪女性だった。
髪に赤い簪を付けているが、髪の毛は霊糸のようにウネウネと動いており、和装なのに心をかき乱される事この上ない。
俺の魔力で回復途上の皮膚は、未だに焼け爛れており、牛鬼の金棒に殴られた身体も満身創痍だった。
「はぁ、痛いわねぇ。それに凄く強引。下手、早い。女に嫌われるわよ」
着物姿の黒髪女子高生が、随分とアダルトな言葉で責めてくる。
「言葉が通じた!?」
「干渉は控えて下さいと言いました。口を挟まないで下さい」
周囲を囲んでいる自衛隊員が驚くが、俺は冷たく切って捨てた。
「身体は2~3日で全快すると思うよ。それは兎も角、名前を付けよう。キミの名前は……菖蒲かな。山に生える花だし、毒もあるからね。『殺める』という意味も掛けているけど」
「貴方の力は認めるわ。世の摂理は、弱肉強食。だから従ってあげる」
「それなら、今からキミの名前は、菖蒲だ」
知能の高い魔物を従えさせる上で、名前で縛る行為は極めて重要だ。
その中でも名付けは、呼ぶ度に絶対的な主従関係を植え付けられる。
俺は名前を呼びながら、菖蒲に問い掛けた。
「菖蒲以上の呪力を持つ絡新婦は、どれだけ居るの。菖蒲の力を58として、少なくとも50以上は居るかな」
「中途半端な数字ね」
「いいから答えて」
問われた菖蒲は、暫く悩む仕草をした。
「そうね、お母様、姉妹で20人、姪たちで10人くらいかしら」
「30体も居るの!?」
衝撃の告白に、俺は素で驚いた。
強い個体だけで30と言う事は、弱い個体も含めれば物凄い数が巣食っている事になる。
依頼主には悪いが、もう白神山地は魔境認定して、放棄した方が早いのでは無いだろうか。
「菖蒲の母親の呪力は、どのくらいあるの?」
「あたしの4倍かしら」
「菖蒲たちは、どのくらい強いと母体になれるの」
「完全に人化できるくらい成長すれば産めるけど、産むと力が落ちるから、強ければ強いほど良いわ。母体が強い方が、子も強くなるし」
「へぇ」
「それと捕らえたオスも強い力を持っていたら、子供の強さも上がるわね」
「そのために人間を連れ去っているんだね。言葉を扱えるのも、父親が人間なだけじゃなくて、人間を食べて怨念を取り込んでいるからかな」
「そんなのは知らないわ。でもそうかもね」
彼女達の繁殖行動は、とても効率的なシステムだった。
だが少なくともMHKでは、放送してくれない内容だろう。ドラマ『少年陰陽師』でも、頑張ってマイルドにしなければ、放送自体が危うい。
(今回は、編集されまくりだな)
俺は面倒くさい問題を先送りして、話を戻した。
「菖蒲たちは一度にどれだけ産めて、そのうちどれだけ育つの」
「一度に5個くらいかしら。ちゃんと育つのは、5のうち1か2ね」
「どうしてそんなに生存率が低いの?」
「産まれてから暫くは、凄く弱いのよ。小鬼に襲われたら、簡単に食べられるわ。あいつら、いくら倒しても際限なく増えるし」
「へぇ、そうなんだ」
絡新婦の脅威に対抗するには、天敵を増やす事が有効なようだ。
「良い事を思い付いたわ」
「何?」
「ねぇ、貴方はお母様を殺す気でしょう」
「さあ、それはどうだろう。それでなに?」
絡新婦は、人間を拉致して糧や繁殖に利用する。
人間サイドで見れば、危険な絡新婦の排除は、当然の行為だ。
会話が成り立つ絡新婦の知能で、それを理解できないはずがない。
「お母様を殺しても、いずれ貴方が子種をくれるなら、復讐しないであげる。強い子孫の糧になるなら、きっとお母様も恨まないわよ」
「それは、とても絡新婦らしい考え方だね」
絡新婦の伝承には、母蜘蛛を殺した男の元に、母蜘蛛の怨霊が娘を嫁入りさせようとする逸話がある。
小鬼などに襲われる絡新婦にとって、子孫が強くなる事は非常に魅力的らしい。生物的には合理的な物の考え方で、絡新婦の強さが感じられた。
「契約解除までに子孫を残せば、復讐しないんだ。それは覚えておくね」
「約束してくれないの? だったら命の保証もしないけど」
「ボクは勝って使役する側で、キミは負けて使役される側。弱者は強者に従うものだよ。立場を間違えないでね」
「あらあら。いつか立場が逆転しないと良いわね」
「気を付けるよ。それじゃあ用は済んだから、もう戻って」
影に戻る前の菖蒲は、目を細めて笑みを浮かべていた。
彼女が消え去ると、直ぐに自衛隊員が歩み寄ってきた。
「母蜘蛛の居場所や行動を聞き出してくれ」
「ボクは飛ばした式神を通して、陰気で魔物の居場所を調べられます。それに母体の行動も、五鬼童一族が山狩りで成果を挙げた時点で、変わっていると思います。情報の信憑性まで考慮すると、聞かない方が良いと判断します」
「それは内容を聞いてから判断する」
「どのように調伏するかは、県から業務委託されているボクが決めます。それは、県知事名で交わした契約書に明記されている条項です。ダメなら小隊長さんとの情報共有も止めます」
「……分かった」
小隊長の表情は、不満を如実に表わしていた。
だが県知事の要請で出動している自衛隊員は、依頼者である県知事名と、県知事のハンコが押印された契約書を持ち出すと、式神への強制は行わなかった。もちろん、1体を早々に駆除したという成果があればこそだろうが。
コテージに戻った後、同行ディレクターが、今後の方針を訊ねてきた。
「一輝くん。これから、どうするんだい」
「全滅させるのは、無理です」
「確かにここは、広すぎるからね」
ディレクターは机の上に広げられた地図を見ながら頷いた。
いかに魔力が髙かろうと、広大なブナの大森林に潜む30体+αの絡新婦を残らず殲滅できるわけがない。
それだけ繁殖できた時点で、生存競争的には絡新婦の勝ちなのだ。
「発生源の母体だけは絶対に倒すとして、他にも強い個体を優先的に駆除して、全体の脅威度を下げるべきかなって思います。弱い母体だけなら、小鬼が駆除を手伝ってくれます。それで一定の成果を挙げた形にします」
「それで良いの?」
「はい。森に生息している超巨大な蜘蛛だと思うしか無いと思います。あるいは、時々人里まで下りてくる野生の熊とか」
「いや、熊は無いでしょう」
「でも熊みたいなものですよ」
魔物による死者は、日本だけで年間10万人に及ぶ。
絡新婦による死者が年間で数百人ほど追加されたところで、その程度は魔物被害全体の1%未満で誤差に過ぎない。
自衛隊による銃撃が一定の成果を挙げられるのであれば、熊に対する猟友会のように、定期的な駆除を行っていけば良いのだ。
「同行する自衛隊さんにも合わせて、県道28号沿いを車で移動しながら、特に魔力の強い絡新婦を倒して回りましょう。一部はボクの式神にして、こっちの戦力も強化します。『毒を以て毒を制す』ってやつですね」
活動開始から一週間後。
俺は新たに3体の絡新婦を式神化し、9体の絡新婦を駆除した。
名前は、菖蒲、樒、水仙、鈴蘭。いずれも毒がある花だ。
なお式神に選んだ基準は、容姿である。
牙や毒爪が飛び出している女子は、肉食系過ぎて俺には無理だった。