01話 プロローグ
「やっと正常化できたね。今までご苦労様」
地球から異世界に召喚されて、早20年。
最後の狂神を正常化させた俺に、召喚者である管理神が労いの言葉を掛けた。
その軽すぎる言葉を引き金に、辛うじて保ってきた俺の心がついに折れた。
「はぁ、もう駄目だ」
俺は最後の一声と共に、膝から崩れ落ちた。
心は既に折れている。精根も尽き果て、もはや指先を動かすことすらままならない。
苦節20年。
管理神に課された使命を果たすまで、ゾンビのように戦わされた。
そんな俺の心の支えは、『使命を果たしたら、地球に返してあげる』の一言だった。
それだけを信じて、自らの心を殺し、歯車のように回り続けた。
「貴方たちのおかげで助かったよ。あたしの手間を省くために世界神を生み出したのに、それが狂って逆に手間が掛かるなんて、本末転倒だよね」
そんな理由で俺たちを連れて来た管理神は、さらに上位存在の創造神に命じられ、数多の世界を管理している。
そして此方の管理を簡易化するために、『木』『火』『土』『金』『水』という5柱の世界神を生み出した。
だが『金』と『水』の2柱が、やがて管理神の思惑から外れ始めた。
金の世界神が毒素を生み出し、水の世界神が世界に流す。
歪んだ2柱によって、この世界の生き物は滅亡の危機に瀕した。
世界神同士は互いを攻撃できず、世界の内側の者も世界神を害せない。世界神を生み出した管理神も、創造神から制約を設けられている。
そこで管理神は、沢山の地球人を、世界の外側から強制的に連れてきた。
俺たち地球人は、狂った世界神というウイルスに対する抗体のように此方へ撒き散らされ、壊れた世界を修復させるべく様々に働かされた。
その中でも俺を含む一部は、正常な世界神たちの祝福を受けて、狂った世界神を直接正常化する役割を担わされた。
有り体に言って、神風特攻隊である。俺が知る範囲だけで数千から数万人は死んだはずだが、実数はよく分からない。
数多の消耗品が使い捨てられた中、たまたま俺のタイミングで使命が果たされた。
「俺を、地球に返して下さい。お願いします」
「うん、良いよ。貴方は使命を果たしたからね」
管理神は鷹揚に頷いて、俺の切実な訴えを許した。
「…………帰れる」
管理神が約束を守る意思を示した事に、俺は心の底から安堵した。
仮に駄目だと言われても、抗いようが無い。
まさに神の慈悲に縋るしかない状態なのだ。
「でも世界神を弑した貴方の力は看過できないから、輪廻転生で返すね。3柱の祝福は少し残してあげるけど、力の殆どは此方に還して貰うから」
「輪廻転生。つまり俺は、一度死ぬのか」
事態を受け入れるしか無い俺は、自己の境遇に対する認識を変えた。
これはある種の全身移植で、数千年後には実現するかもしれない医療の一つだ。
異世界に連れて来られて、既に20年が経っている。このまま地球に帰っても、どうやって生きて行けば良いのか分からない。生まれ変わってやり直すのは、むしろ良い事かもしれない。
俺には兄弟も居たので、両親も大丈夫だろう。
「分かりました。でも此方の世界神の祝福は、地球に届くのですか」
「一度与えたら、その身に宿るから大丈夫。それにあたしは、どちらも管理しているから」
「そうでした」
「転生後の貴方は、地力が魔力100で、世界神3柱の祝福が2000ずつ。合わせて6100にするね。6000は祝福だから、副作用は何も無いよ」
魔力の基準値は、何の訓練も受けていない一般人を1、人間の種族的な限界値を100とした数値だ。
遺伝や才能も強く影響するため、基本的に100は有り得ない。
だが俺たち異世界人は、管理神から人間の限界リミッターを外されて、ミサイルのように狂神たちへ特攻させられた。
しかも上限を壊された結果、此方で人として子を為せない事や、短命になる事など、ろくでもない副作用も付いていた。
「普通の人間に戻れるのは、嬉しいです」
「でも6100程度だと、今まで使っていた力は、殆ど使えなくなるよ。寿命半分と引き換えになら、力を3倍くらいにしても良いけど」
上機嫌な管理神に対し、俺は首を横に振って、嫌々と訴えた。
どうやら管理神は、短命者の特攻を気に入ったらしい。だが俺の方は、力を半分にしてでも寿命を倍にして欲しいくらいだ。
どうせなら、口に出して言ってみるべきだろうか。俺の一生になるのだし、要求通りに世界神を倒したのに、これから殺されるのだから。
「そんな力は要りません。それよりも祝福が減っても構いませんので、健康長寿で、並以上の知能と、並以上の容姿にして欲しいです」
「別に世界神の祝福を減らさなくても、平均並は保障するけど」
「その3項目、サイコロを振らせてくれないですか。1と2は振り直し、3なら並、4なら良、5なら優、6なら凄で」
「2なら低、も付けるなら別に構わないけど」
管理神にとっては、どうでも良い話なのだろう。
低も付ける条件で、願いを聞き届けてくれた。
何でも言ってみるものだ。
「それでお願いします」
確率的には、平均並とされていた当初より良くなる可能性が高い。
もしも1項目が駄目になっても、残る2項目は良くなる。
だが頭が残念なイケメンとかは、辛いかもしれない。
「右手に持たせたサイコロを振ってみて。最初は健康長寿ね」
「はい」
いつの間にか握らされていたサイコロを、俺は恐々と落として転がした。
「4だね。健康長寿は、良」
答えを聞いて、心から安堵した。
来世は平均よりも健康的で、平均寿命より長生きできるらしい。
「次を振って」
再び、いつの間にか右手に握らされていたサイコロを落とした。
「3だね。知能は並。今と変わらないんじゃない?」
「うぐっ」
色々と悲しくなった。
「ほら最後、頑張ってね」
「管理神様、美しくて好きです」
「突然何かな、手心を加えて欲しいの?」
「いえ、何かあって再びお目見えする時に、私が美しい管理神様の、御目汚しにならない程度の容姿があればと思っただけです」
「良いから振って」
「はい」
俺は最後のサイコロを振った。
「5だね。容姿は優。ふーん、良いんじゃない?」
「ありがとうございます」
手心が加わったのかは分からないが、非常に良い数値だった。
健康長寿が良、知能が並、容姿が優、そして魔力は6100。
「地球だと、誰も魔力なんて持っていないから充分か」
「ううん、貴方たちを転移させた20年前から、地球に瘴気を逆流させて、瘴気を消費する魔物も生み出したの。その時に、人間にも魔力を与えたよ」
「どうして、そんな事をしたのですか」
「此方の瘴気を減らすため」
「それは管理神として良いのですか」
俺に問われた管理神はアッサリと頷いた。
「別に良いんじゃない?」
あまりに大雑把すぎる管理に、俺は言葉を失った。
「彼方の魔物たちは、貴方たちが想像する由来と造形に合わせたし、貴方たちが絶滅しないように力も調整したよ」
「すると地球には、ゴブリンとか、オークが現われた訳ですか」
「そうそう。貴方の住んでいた地域なら、鬼とか妖怪だね。それに、貴方たちの知識に合った魔素の変換も可能だから、頑張れば抵抗できるよ」
管理神は、地球をどうでも良いとまでは思っていないらしい。
俺は、管理神に慈悲がある事に安堵した。さもなくば、俺は地球に返して貰えないか、滅びた地球に放り出される。
「魔素の変換って、西洋なら魔法で、日本なら陰陽術とかですか」
「うんうん。貴方の転生先は、魔力を行使できる陰陽師の家系にしておくよ。それと本当は記憶を消すつもりだったけど、それも残してあげるよ」
「女神様、万歳」
俺は恥も外聞もなく、全力で管理神を賛美した。
「それじゃあ、もう良いよね。さようなら」
別れの言葉と同時に甘い花の香りがして、次第に瞼が落ちて行った。
西暦2029年。
輪廻転生してから9年が経ち、俺は小学3年生になった。
「お腹空いた」
俺の今世の名前は、賀茂一輝。
父親は、零細の陰陽師だ。
魔力は30ほどで、小さな除霊を生業にしている。収入は月に10万円あれば良い方で、とても貧しい暮らしを送っている。
母親は貧しさに耐えかねて、妹だけを連れて出て行った。今は生活保護を受給しているらしい。
俺は親の経済力という項目でサイコロを振らなかった事を後悔している。例え2の低でも、ここまで酷くは無かっただろう。
学校給食は、文字通り俺の生命線だ。
父親は給食費を払っていないが、学校も未納者の子供にだけ給食を与えない事まではしないため、最低限の栄養は確保できる。
だが給食が無い土日は、切実に困る。
いっそ「ご飯は学校給食でしか食べられません。お金を恵んで下さい」と貼り紙した空き缶でも置いて、駅前で俯きながら座り込むべきだろうか。
あばら骨が見える小柄な小学生が物乞いをしていたら、大人は小銭くらいくれるかもしれない。同時に警察にも、通報されるだろうが。
「お父さん、うちも生活保護を受けようよ」
「駄目だ!」
力強い言葉と共に、状況の改善を訴えた俺の願いが一蹴された。
「市役所の連中は、陰陽師を辞めて真っ当に働けと言った。陰陽師のどこが真っ当ではないのか。28年前にミレニアムゾンビ事変が起こって以来、魑魅魍魎の存在は、誰の目にも明らかだろうがっ。話にならん!」
意固地になっている父親の態度に、俺は諦めの溜息を吐いた。
ミレニアムゾンビ事変とは、俺が異世界に飛ばされた西暦2000年に、世界中で死体が起き上がって人間を襲った大事件だ。
ゾンビは今も発生し続けているため、最初の出来事は発生年度と併せて「ミレニアムゾンビ事変」あるいは「ミレニアムゾンビ」や「ゾンビ事変」などと呼ばれる。
現象としては、瘴気が死体を動かしたのであって、ゾンビ菌がゾンビを動かした訳では無い。
だがゾンビに噛まれて殺された死体も瘴気で動き出したため、世界中で本物のゾンビが大発生したのだと誤解が広がった。
当時、大混乱に陥った世界で核兵器が使用されなかったのは奇跡である。
以来、地球で魔物の発生は常態化した。
また人間も多少の魔力を持ち、微弱な魔力の使用も可能となった。
火器類で解決できない魔物に対しては、魔力を用いた解決法も有効だと理解され始めている。
だが世間では、同じ魔物退治でも世界中で研究されている西洋式の魔法なら理解を示すが、霊媒師や陰陽師は胡散臭いと見なす。
同じ行為にもかかわらず扱いを変える世間に、父親は不満を抱いている。
「それよりも一輝、次の仕事は地元テレビ局の番組だ」
「えっ、お父さん凄い! どうしたの!?」
「地元の霊障について調べる番組で、地元の陰陽師である儂を呼んだのだ」
「そうなんだ。ボクも着いて行って大丈夫?」
「うーむ。お前の簡易式神は、役に立つからな」
「よし、頑張って成功させないと」
今世で唯一の家族となった父親は、見捨てられない。
俺は父親の仕事が失敗しないように、一緒に着いて行くことにした。
目立っても構わないので、とにかく食べ物を買うお金が欲しい。
低血糖で倒れそうなことは何度もあった。正直、異世界に居た頃と同じ頻度で、生命の危機を感じている。
取材は土曜日で、内容は『牛鬼』の捜索だった。
牛鬼とは、牛の頭部に鬼の身体を持った怪物、あるいは牛の頭部に蜘蛛の身体を持った怪物だ。
清少納言の『枕草子』に「名恐ろしき怪物」として登場し、多くは川岸や海辺に現れて人を喰らう存在だと伝えられる。
かつては物語の存在だったが、今は実在している。
しかも管理神が人の想像通りに創った為、伝承通りの性質も持っている。
地元では、牛鬼の目撃例が何件もあるそうだ。
年若き番組ディレクターは、地元の女性記者と零細陰陽師の父を起用し、自らハンディカメラを片手に、安上がりな取材を試みた。
視聴率の低い時間帯に、地方だけで時間潰しに流される予定なのだろう。
そのため取材に着いてきた俺も、父親に支払う出演料と込みで、簡単に起用して貰えた。
「今日は、地元で目撃情報が何度もある牛鬼の捜索に来ています。協力してくださるのは地元の、賀茂陰陽師と、息子の一輝くんです。よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
「よろしくお願いしますっ!」
俺はカメラに向かって、深くお辞儀をした。
「はい、一輝くんは元気ですね。牛鬼は怖くないですか?」
「お父さんが居るから大丈夫です。それにボクも、陰陽術が使えますよ」
俺が懐から取り出したのは、一枚の式神符。
それを右手の人差し指と中指で立てて持ちながら、呪を唱える。
『臨兵闘者皆陣列前行、天元行躰神変神通力。天地間在りて、万物陰陽を形成す。生は死、有は無に帰すものなり。ならば死は生、無は有に流転するもまた理なり。この者、木より流転し無の陰なれど、我が陽気を与えて生に流転せしむ。然らば汝、陰陽の理に基づいて、我が式神と成れ。急急如律令』
言霊と共に式神符が白く輝き、光の中から一羽の鳩が飛び出した。
『クルッポー』
「うええええぇっ、本物おぉっ!?」
仰け反って驚愕する女性記者と、鳩に全力でカメラを向けるディレクター。
二人の目の前で、俺は鳩の式神に命令を下した。
「鳩くん、左肩に乗って、右肩に移動。右手まで歩いて、左手に飛び乗って、そこでクルッと一回転。はい、クルッポーと鳴いて」
『クルッポー』
「おー、偉い。次は2回ジャンプね」
『クルッポ、クルッポ』
テレビの前で鳩を操り、これが手品で出した普通の鳩ではないと証明する。
すると目を見開きながら固まっていた女性記者が、目を輝かせた。
「凄い、凄い。それって、一輝くんが自分で出したの?」
「はい。これは自分で書いた式神符で生み出した、鳩の式神です」
ちなみに使用している紙は、通っている小学校で情報の授業中に出力したコピー用紙の切れ端だ。
ハサミでチマチマと切り揃え、魔力を篭めながらマジックで異世界の使役魔法陣を書き上げたのだ。
「その陰陽術は、お父さんに習ったの?」
「はい。陰陽道は、全部お父さんに習いました」
これからも仕事を得るために、さり気なく父親を立てておく。
「賀茂さんは、どこで陰陽術を学ばれたのですか」
「我が賀茂家は、非常に古い系譜でして…………」
賀茂という苗字は、平安時代末期の『今昔物語集』に、陰陽師である安倍晴明の師匠として登場している。また陰陽の世界では歴道系の賀茂、天文道系の安倍として、二大陰陽道の宗家の一つとしても有名だ。
管理神が俺の転生先に選んだ事から、本当の子孫なのかもしれない。
もっとも1000年以上も前に実在した人物なら、直系以外の子孫も含めれば、日本中どこにでも居るだろうが。
最初の掴みに成功した取材番組は、順調に滑り出した。
やがて牛鬼の目撃例が多発している現場に辿り着くと、目撃者である地元農家のオバちゃんが、臨場感タップリに当時の目撃談を語ってくれた。
「そこに沢があるでしょ。そこから、あの森の手前に立っているのが見えたよ。それはもう大きくて、木の高さの3分の2くらいだったかね。怖いから、早く何とかして欲しいよ」
身振り手振りを交えながらの説明が続く。
警察に来て貰ったが見つからず、テレビ局に連絡したらしい。
父親と女性記者がオバちゃんの相手をしている間、俺は新たな式神を次々と出して、森に送り込んでいった。
警察が捜して見つからなかった森を、父親と二人で探し直すのは骨が折れる。式神を使って空から陰気を辿った方が、遥かに手っ取り早い。
「成程。それでは我々も探してみましょう」
「ええ、よろしくお願いしますよ」
「分かりました」
オバちゃんの長話が終わった頃を見計らって、俺は声を掛けた。
「お父さん、式神が牛鬼を見つけたよ!」
「ぬぁにぃっ!?」
「えええっ!?」
俺の発見報告に、全員が驚きの声を上げた。
もう少し時間を費やした方が、番組的には盛り上がっただろうか。俺は内心で反省しつつ、森の奥を指差しながら子供らしく飛び跳ねて見せた。
「ここから20分くらい歩いた場所、ツバキの根に宿った神霊じゃないかな」
報告した移動時間は、獣道や、女子供の速度を計算に入れてだ。
従って直線距離にすると、かなり近い位置にある。
「牛鬼の伝承は沢山あります。中には、生まれて間もない頃に人間に助けられた牛鬼が、人に災いを為す悪霊を祓って、その後は神霊としてツバキの根に宿ったものもあります。神霊力が高くて瘴気が薄いから、多分それかな」
管理神は『彼方の魔物たちは、貴方たちが想像する由来と造形に合わせて、貴方たちが絶滅しないように力も調整したよ』と言っていた。
すなわち牛鬼に「ツバキの根に宿った神霊」という伝承があれば、その通りに存在しても何ら不思議は無い。
「それじゃあ、その牛鬼は大丈夫なのかい?」
「牛鬼は世間的に悪いイメージがあるので、放置するのは駄目かもです。退治しようとする人が現れて襲ったら、反撃くらいすると思います」
牛鬼は文献や伝承から、人を食い殺す悪鬼だと先入観を持たれている。
神霊なら大丈夫だと確信できるのは俺だけで、理由は説明できない。
なぜなら理由を説明するには、今世の父親に、俺が輪廻転生者である事も説明しなければならないからだ。
自分の子供が、実は他人の記憶と魂を持っていると知った時、今まで通りに育てられるだろうか。俺だったら不可能だし、それで育児放棄された日には、俺は児童福祉施設に入所させられる。
俺達は遺伝子的には実の親子であるし、自分の遺伝子を繋ぐ意味では、今世の父親が俺を育てる事に問題もない。
あとは、何も知らない方がお互いにとって幸せだと思う。
「うむ。どうしたものか」
父親は、神霊である牛鬼にどう対峙すべきか迷いを見せた。
「それならお父さん、ボクが調伏して、式神として使役しようか」
「式神化できるのか?」
「あの牛鬼の神霊力は高いけど暴れないから、陣を敷けば大丈夫だと思うよ。維持する呪力も、沢山は必要ないかな」
式神の使役には、大別して3種類がある。
1つ目、鬼神・神霊を、呪力と術で使役する陰陽道系。
2つ目、異界より喚び出す護法神。(神社の稲荷、寺の金剛力士など)
3つ目、紙や木片に、自分や誰かの呪力を篭める道教呪術系。
ハトの式神は3つ目で、今回牛鬼に対して行う契約は1つ目だ。
使役するには、式神に自らの呪力を与え続けなければならない。
そのため呪力の最大値が低い術者は、式神に与える力だけで、自らの呪力の大半を失ってしまう。
また式神が戦闘で力を消費すれば、その補充も行わなければならない。
すると式神の維持と運用に掛かりきりとなってしまい、式神を扱う以外の活動はまともに出来なくなる。
それらがデメリットになるため、安易な式神契約は諸刃の剣だ。
だが呪力とは魔力の事で、俺は6100という破格の力を持っている。
また術に関しても、俺は異世界の契約魔法を知っている。
異世界では、数十万年前の石器時代から、魔法技術が積み重ねられてきた。その間に人々は試行錯誤し、効率化した魔法文明を醸成した。例えば使い魔の契約であれば、触媒や精霊の力、地脈や陣の力で補う術を持っている。
一方地球では、29年前に初めて魔法に出会った。既に科学があるため、魔法の試行錯誤は切実さに欠けている。今も高度な加工は出来ない石器時代のレベルだ。
俺が魔法技術を伝えれば、現代の情報共有技術ですぐに発展するだろう。
だが俺は、自分のアドバンテージでお金を稼ぐと決めたのだ。
せめて土日祝日も、1日1回はご飯を食べたい。給食のパンを持ち帰って土日に囓るのは辛い。
「うむ。やってみなさい」
父親はよく分からないからこそ、今の地球人には不可能な指示を出した。
「分かりました。それじゃあ行きましょう」
『クルッポー』
「ちょ、ちょっと、賀茂さん。本当に大丈夫なんですか!?」
「ええ、大丈夫です」
式神の鳩を先導役に、俺と父親は歩き出した。
その後ろから、女性記者とディレクターが慌てて追いかけてくる。
人々は未だに魔力を数値化できず、俺の力が人間的に有り得ないとは判断できない。
もっとも俺が異常だとして、それが一体何だというのか。
それは、この世界の管理神が定めた事で、俺には何の責任も無い。
そう開き直っている間に、俺達はツバキの根がある場所に辿り着いた。
そこで一度カメラに下がって貰い、陣を作成して調伏の準備を整えた。
「それでは調伏します」
撮影が始まったのを確認した俺は、仰々しく調伏を開始した。
『臨兵闘者皆陣列前行、天元行躰神変神通力。天地間在りて、万物陰陽を形成す。我が氏は賀茂、名は一輝、理を統べる陰陽師也。椿の霊たる汝を陰陽の陰と為し、我が霊気を対たる陽と為さん。然らば汝この理に従いて、我が式神と成れ。急急如律令』
ツバキの根がある中心付近に魔力の渦が発生し、恐ろしい顔付きの巨大な牛鬼の顔が現れた。
牛鬼は俺をじっくりと観察すると、流し込まれる魔力が契約に相応した時点で、俺の影に飛び込んできた。
刹那、魔力を流し込む対象を見失った陣が、突風と共に霧散する。
「きゃあっ」
突風に煽られた記者の女性が、よろめいて尻餅を着いた。
その際にスカートの中が見えたが、小学3年生の俺にとっては誰得である。
「終わりました!」
「調伏できたのかい?」
沈黙する父と女性記者に代わって、ディレクターが質問を投げかけてきた。
「はい。もう式神符がなくても呼べますよ。出でよ、牛鬼」
『ウモォォゥ』
呼び掛けに応じて顕現した牛鬼は、背丈が2階建ての民家の屋根に届きそうな巨躯だった。
アフリカ象の全高は3.3メートルだが、牛鬼はその2倍。
人間と大型犬のグレート・デーンの体格差が、牛鬼とアフリカ象の体格差に概ね当て嵌まるだろうか。
そんな巨大な牛鬼の身体は、鬼らしく赤銅色で、非常に筋肉質だ。
大きな手には、身の丈ほどもある巨大な金棒も握り締めている。
「式神化する前よりは、ちょっと強くなったかも」
術者である俺と魔力的に繋がった事で、世界神の祝福の力が流入しているのだろう。魔力供給が万全であれば、陸上では無双できるかもしれない。
「ティラノサウルス1頭が相手なら、頑張れば勝てるかなぁ」
「………………」
「これで依頼は達成ですよね。ボク、そろそろお腹が空きました」
この後、俺は番組ディレクターから取材費で夕食を奢って貰えた。
残念ながら胃が小さくてあまり食べられなかったが、一部はコッソリとポケットに忍ばせてお持ち帰りした。
そしてこの日の収録が全国放送されると、俺達親子は連日ニュースに取り上げられるようになったのである。