血の剣
曇天模様の白い午後、奇妙な二者が対峙していた。かたやゾンビ。腐った体で破壊の限りを尽くす。車が、煙を吹いて横たわっている。赤紫の肌は、それが生者とは決定的に違うことを示していた。かたや鎧武者。両肩と両膝、それから額に水晶が埋まっている。手には奇異な形の刀。柄が八方に伸びている。額の水晶が輝き、生命力を象徴しているようだった。
一台のスポーツカーを屋敷の前に停車させ、男は降り立った。短髪の散切り頭に、ヨレヨレの背広姿。彼はいわゆる運び屋だった。依頼された物を、何も訊かずに届ける。報酬は高いが、仕事はどこより速く正確。それをただ淡々と、粛々と繰り返し、業界では名の知れた存在となっていた。
「それで、今回の依頼はどちらで」
「この宝剣を、都のオジキに届けてほしい」
「わかりました。報酬は?」
そう言うと暴力団風の男は、スーツケースを手渡した。彼はそれを受け取り、中身を確認する。
「確かに、受け取りました」
「そうそう、言い忘れたが、そいつは梱包するなとお達しが出てんだ。なんでも剣が窮屈がるとかで。悪いが、このまま持っていってくれ」
剣を受け取る。柄が八方に伸び、剣先には五つの玉が埋まっている。綺麗ではあるが、武器として使えるようなものではなかった。剣として使えない宝剣が、どうして宝として扱われるのだろうか。その答えがあろうがなかろうが、出来ることは運ぶことだけ。彼は車を出した。
道が渋滞している。混雑するような時間帯ではない。警察が動いているらしかった。迂回しようとしたところで、人の群れが彼の方に向かってくる。警察と、彼らが追っている何者か。窓ガラスから見えたのは、ゾンビのような化け物だった。それが片手を振り上げる。身の危険を感じる。彼は依頼品を手に取り、ブレーキを踏み込み車から降りた。次の瞬間、車が倒される。乗っていたら、死んでいた。だが、まだ依頼品はあるし仕事も終わっていない。次の手を考えねばと、手に持った剣を見やる。
「何だ、これ」
剣が光っている。正確に言えば、剣先の宝玉の一つが輝きを放っている。
「何が、起きてるんだ‥‥?」
「君に、使われてやるということだ」
頭の中に声がする。
「誰だ」
「その手に持っているそれだよ。八柄剣と、そう昔は呼ばれていた」
「ふざけてんのか?」
「付喪神、という言葉を聞いたことはないか?神は信仰によって作られる。これでも昔は、神器だと崇められていた」
「だから喋れて、勝手に動けるって?あり得んのか、そんなん」
「目の前にあるものだけが真実だ」
「細けぇことは後で訊く。んで、何がお望みだ」
「私と契約して、奴を倒してくれ」
「あんた一人でやってくれ。俺は、仕事で忙しい」
「まあ、そう言わずに聞いてほしい。神器は器でしかない、人に使われてこそ力を発揮する。それに、奴を止めることは君のためでもある」
「言っとくが俺にはヒーロー願望とか、誰かを救いたいとかはないからな。自分の身が安全で仕事が果たせるなら、それより多くは望まねぇんだ。この件だって、警察なり自衛隊なりが解決するだろ」
「奴の狙いは私だ。奴を倒さなければ、君の仕事は遂行できない」
「逃げきりゃいい話だ」
「危ない!」
長話をしすぎたようで、それはいつの間にか背後に立っていた。腕を殴られ、剣が地に落ち音を立てる。それを睨みつけ、彼は言い放った。
「お前は、俺の敵だ」
「ようやく、やってくれる気になったか」
「そんなんじゃねぇよ。ただ、商売道具を壊した上に依頼品を傷つけたあいつが許せねぇだけさ」「そうか。なら、下腹に刃を突き立ててくれ」
「そこが奴の弱点だな」
「いや、君の下腹だよ」
「何言ってんだ」
いつの間にか、腰にベルトのようなものが巻かれている。バックルには縦一文字の切れ目。ここに刺せということか、彼は悟った。宝剣を突き刺す。紅い飛沫が飛び散るが、痛みはない。剣を引き抜くと、そこにあったのは宝剣ではなく真っ直ぐで飾り気のない刃。それは日本刀に似ていたが、刃全体にうっすらと紅が入っていて血が流れているようだった。体が何かに包まれているような感覚。重さはない。いつの間にか、全身を鎧が覆っていた。顔は隠れているようだが、視界は狭くない。眼前には倒すべき敵、手元には剣。
「行くぞ、八柄」
走り出す。彼の想定するより速く進める。距離を詰め、それから奴に斬りかかる。いとも容易く刃が通り、そのまま両断した。
「外れだ、完全に死んでいる」
背後に爆発音を聞いた。どうやら倒したらしい。体を包む感覚が消え、剣が元に戻る。そして、彼は問う。
「一体、何なんだよ。奴は、お前は」
「奴は、伊弉冊。死返玉によって生み出された」
「死返玉?」
「私と同じ、神器だ。おおかた私を喰らおうと、伊弉冊を差し向けてきたのだろう」
「他にもいんのか。三種の神器とか、そういう奴か」
「十種の神宝。旧事本紀において饒速日命が、天降りの際に天津神御祖に授かったとされるものだ」
「そうか」
よくわからなかったが、流すことにした。
「それで、なんであんたが狙われたんだ?」
「神器は喰らいあう。生存競争からは、生きている限り逃れられない」
「あんたらの生存競争に、俺を利用したってわけか」
「そういうことになるな。だが、君がやってくれなかったら被害は拡大していた。感謝する」
「そうですかそりゃどうも、なんて言えねぇよ。あんたも、あいつらと同類なんだろ」
「ああ。しかし私は、君たち人間を傷つけたくない」
「自分は違うとでも言うつもりか」
「弁解するつもりはないし、理解してもらえるとも思っていない。それでも、この戦いを終わらせるには君の力が必要なんだ」
「確かに、信じられねぇ話だ。面倒なことに巻き込まれたようだが、俺にはあんたを運び届ける義務がある」
「そうか。なら、それまででいい。奴らを止めてくれ」
「嫌だね。だが、仕事の邪魔をするってんなら話は別だ」
「協力、感謝する。そういえば、名前を聞いていなかったな」
「紅野一華。紅茶の紅に野原の野、漢数字の一に華やかの華」
「見かけによらず、可愛らしい名前だな」
「うるせぇ」
歩き出す。彼らの進む先に何が待っているか、まだ誰も知らない。