過激派ファン
首絞めてます。気を付けてください。起承転結ないです気を付けてください。
ジャンルは分からなかったので適当につけました。
奴に出会ったのは四月だとは名ばかりの、葉桜が生い茂っている暑い日の事だった。特別頭が良いわけでも素行不良な生徒が多いわけでもない、ごくごく普通の高校の美術部は俺にとってそれなりに居心地の良い場所だった。
当たり障りのない関係を築いて、穏やかな環境でキャンバスに筆を滑らせる。
その中で賞を貰ったりする俺はこの環境では特異な存在だっただろうが、それなりに部には溶け込んでいるとは思う。部活も授業も真面目にこなすが適度に力を抜いて、そこそこの人間関係を築く。
外面はそんな風に取り繕っていたが、やはりというべきか自分と周りの描くことに対する感情は別物だったのだろう。
自分にとって、絵は全てだった。それを他人に知られたいとも、理解してほしいとも思っていない。
それは人が嫌いだからでも、芸術を理解できないだろうなんて嘲りを含んでいるからでもない。褒めてもらって肯定してもらえれば嬉しいし、貶されたら腹が立つ。当たり前の感性だ。人であるなら当然の感情であるはずだ。
だから、何が言いたいかと言うと、あいつが来るまで俺は普通の、多少自尊心の高いだけの男だったという事だ。
後輩として部に入った彼は、部に、もっと言えばこの学校に向いていないと最初に思った。空気は読めないし、騒がしい。おまけにサボりは日常茶飯事だった。
当然のように俺はそいつと距離をとったし、比較的おとなしい部員も右に同じだ。
そう、だから――あいつが偶々、ほんの気まぐれで作ったものが一番で、俺の物が二番だったと聞いたときははらわたが煮えくり返る思いだった。怒りを押し殺すように上機嫌な顧問に帰ってきた絵を見たいと言って受け取り、誰もいない部室に小走りで向かう。丁度良く部活のなかった事に感謝しながら、提出した全員分の十数枚の薄い束をばらまけるように広げる。
その中で、ひとつだけ異彩を放つものがあった。異彩を放つという言葉の通りまるで統一感のないような色を使ったそれは、乱雑で、きっと音にしてみたら不協和音の塊だ。でもそれを見たときに、こんなもの、と嗤うことが出来なかった時点で、俺が二番手なのだったと認めるようなものだった。
有り体に言えば、見惚れていた。どうしようもなく惹かれるものがあった。乱雑であるはずなのに、不思議と一つの芸術としてあまりにも完成し過ぎている。主張の強い大きな宝石を溶かして、そのまま固めて一つにしてしまったみたいだ。
絶対に敵わないのだと理解した瞬間、どうしようもないほどの絶望感と憤りを感じてつい、破いてしまおうかと思ったけれど出来なかった。そうすることが出来るほど愚かであったなら、どんなに楽だっただろう。
床に散らばった紙をそのままに、もうとっくに誰もいなくなった部室で絵を描いていた。今までだったら上出来に見えていたものも、あれに比べてしまえば子供の落書きにしか見えなくて頭をかきむしりたくなるが、それを抑えてひたすらに描く。もはや技術の問題ではないのだと、気づかないふりをして手を動かし続ける。だってそれを認めてしまったら、死ぬしかないと思ったから。
自分が必ず一番でなければならないとは思わない。名前も知らないような奴が必死に書き上げたものが一番ならば、称賛して今までの実績に胡坐をかいていたと自身を恥じよう。ただの美しいものが一番であったなら、感服し自分につなげられるものを探そう。だが、あいつは駄目だ。
自分にとって嘲りの対象ですらあったのに、燃えるような嫉妬心に駆られているのに、どうしてもあいつの創り出すものはこの世で一番美しいものだと理解してしまう。ぐるぐると腹の底で蠢く感情をキャンバスに叩きつける。それでもこの気持ちは晴れない。
扉の開く音がして、思わず視線を上げる。もう既に赤みが射しているいる空は、大分時間が経っていたことを訴えている。だがそんなことは、少し外れた鼻歌を歌いながらにやにやとした笑みを浮かべている男の事に比べたら些末な事だった。
腹の底にいた黒々とした蛇がせりあがってくるのを無理やり沈めて笑って見せる。
「どうしたんだ?こんな時間に」
言葉を無視して、俺の手元を、正確には絵を見て、独り言にしては随分大きな声で笑った。
「センパイの絵って、お綺麗な感じですよね」
頭にカっと血が上る、沈めたはずの蛇が出番は今かと待ちわびている。思わず怒鳴りそうになる気持ちを抑えている間に彼は自分の出した絵を見つけると慣れた手つきで折り始める。止める間もなく乱暴に制服のポケットに押しつぶすように入れるとやけに上機嫌な様子でするりと出て行った。
なんだか拍子抜けしてしまったので行き場の失った怒りを持て余しながら、散らかしたものを片付ける。窓の外は、やけに五月蠅かった。
それから季節は過ぎ、美しかった葉桜は散り始め、肌寒い乾燥した風が頬を撫でた。
あれから、劇的に変化したことは無い。ただ彼を見ると相変わらず、名前の付けられない感情が腹の底で渦巻いていたことは事実だった。
あいつは相も変わらず部室で絵を描くこともなく、何故入ったのかわからないまま、人から一線を引かれていた。穏やかな日々、あれは夢だったのではないかと思うものの、それを否定するのはいつだって自分だった。現実では主張の激しいあの絵も頭の中で鮮明に思い出せば、借りてきた猫のように静かだった。
また、あいつが絵を出した。それを聞いたのは一体誰からだっただろうか。
真っ先に、見たいと思った。見ればきっと嫉妬に駆られる、追いつけない才能の差を感じて絶望もする。そんなことはわかっている。それでもどうしても見たいと思った。
どうしようもないほど軽蔑しているのに、羨望の眼差しを向けてしまう。嫌悪を覆い隠すほどの秀麗さに感嘆する。
ところが俺の耳に届くことになったのは想像を裏切るものだった。
おめでとう、君が一等なのだとまたやけに上機嫌な顧問は言う。拍子抜けして、思わず笑ってしまう。やはりあれはまぐれだったのだ。もしかしたら白昼夢だったのかもしれない。それでも安心よりも先に怒りを覚えていることに気づいて困惑する。あれが夢なものかと、まぐれであるわけがないと自分自身が主張している。
だからそう、本当のあいつの描いたものはどんなものかと思って顧問からまた提出した部員の絵を預かる。既に誰もいなくなった部室に入って、あの時と同じように、あの時とは違う震えた指で紙をめくる。そこで見つけた、見つけてしまった。
「は、はは、何が一番だ。何が白昼夢だ」
鮮烈だった。これでどれがあいつのかもわからずに安堵の溜め息をこぼせればよかった。やっぱりまぐれだったのだと。本当に嘲れればよかったのに、口から洩れるのは壊れた機械が軋んでいるみたいな喉が引きつる音だった。
羨ましい、妬ましい、恨めしい、疎ましい――美しい。
最終的に辿り着いたのか、最初からわかっていたのか分からない。ただただ才能に嫉妬する、なによりその才能を理解できてしまうことが酷く苦しい。
敵わないのだと徹底的にわかってしまう。認めよう、天才だ、俺は、ただの凡人には到底及べないところにいるのだと。だからこそ、これが一番では無いことが気に食わない。この芸術を理解できない愚か者が、自分の事を一番にしたのだと思うと、思わず泣いてしまいそうになった。これではまるで道化ではないか。他人の才能を理解する才能など欲しくはなかった。ただ認められたと喜んでいられたときに戻りたい。
俺は、あいつの絵を見てからおかしくなってしまったのだ。
怒りを覚える、それは誰に?酷く苦しくなる、それは何故?
今すぐ窓から飛び降りてしまいたい。こんな苦しみからは一刻も早く解放されたい。タイミングを読んだかの様に扉が開く。いつかの日の再現みたいに最低な男がこちらに近づく。そして笑って見せたのだ。全部わかってるみたいに笑うものだから、引きつった喉が言葉を漏らす。彼と言葉を交わしたのは片手で足りるほどしかないかもしれない。そのうち、きちんと対話になっていたのはどれ程だろうか。それでもなぜか俺はこいつのことを知っている気になっているし、こいつは悪友に会ったみたいに馴れ馴れしく近づいて来る。これでは本当にこの前の再現みたいだ。
「俺はお前の事が憎いよ、いっそその腕をもいでしまいたいほどには」
零れた声は、音だけは淡白なものだった。彼は驚いた様子も無く、こちらとは対照的に冗談でも聞いたみたいにケラケラと笑っていた。
「センパイ、僕が腕を失くしたくらいで描けなくなると思ってるんですか?」
私よりよっぽど道化師じゃないかと思ったが到底笑えなかった。こいつならやりかねないと思ってしまったのだ。
「……なら、目を潰してやろうか」
「はは!腕がないよりは描きやすいと思いますよ」
正直今の心境としては、腕や目よりもこのよく回る舌を抜いてやりたい。そうすればこの気持ちも少しは晴れるだろうか。いや、いっそどこぞの芸術家の様に耳を切り離してやれば多少は静かになるだろうか。
何を言ってもへらへらとしたその表情が何より気に食わないが、そんなことを伝えたところでまたあの頭に響く笑い声を聞かされるだけだと分かっている。ただ、少しの報復のつもりで他の人間には冗談でも絶対に言わない言葉を紡ぐ。もっとも、冗談などではないのだが。
「だったら殺してやろうか。お前の首を絞めて、今すぐに」
こちらとしては一世一代の告白も同然だったのだけれど、彼は愉快な劇か何かと勘違いしているんじゃないだろうかと思うくらい、今までで一番頭の痛くなる音を響かせる。
「だったら、あんたの前に化けて出てきてやるよ」
――だって、センパイ僕の事大好きでしょう?
そういって最後に静かに笑って見せるものだから、衝動的に白い首に手を伸ばした。わかっているように笑う男に腹が立つ。こいつは自分の絵が人を狂わせることを知っている。自分の才能を真に理解している。だからこそ笑って見せたのだと分かってしまったから、俺がこういう行動に出るのはこいつの自業自得だと自分を正当化させる。
「あぁ、そうだ」
無意識のうちに口元が歪む。目の前の男は苦しそうに目元に涙を浮かべているのに、口元は愉快そうに笑っているものだから、やっぱりこいつは化け物か何かなのだろうかと考える。
「俺は、お前の絵が好きだよ。この世で一番」
それこそ愛していると言ってもいいかもしれない。この下賤な男が描くものを尊いと思った。この世で一番、その素晴らしさがわかるのは自分だと自惚れてしまうほどには惚れこんでいる。
「だから、お前の事が憎くて憎くてたまらないよ」
手元に力を込める。首にかける俺の手に爪を立てる姿になんだかよくできた劇を見ているように思えてしまってパッと手を放す。死にたくなるほど殺したくてたまらないのに、それ以上にこいつの作るものが見たいと思ってしまっている。
咳き込んでいる男の首元が赤くなっているのを見て、このまま絞めてやれば殺せたかもしないと頭によぎる。お互い放心したように黙っていると突然、彼が壊れた玩具みたいに笑いだすのだから、やっぱりこいつは可笑しいんじゃないかと思って怪訝な視線を向ける。
「はは、殺す気かよ。ひどいマーキングだ」
「勘違いしてもらっては困る。俺はお前の作るものが好きなだけだ」
「うんうん、それってつまり僕の事が好きってことでしょう?」
何を言ってるんだと思いながら男を見れば、既に男の視線はこちらから外れていて遠くを見ていた。そのことにふと心がざわついて、すぐに当たり前だと出てきた感情を飲み込んだ。興味の対象に入ることが出来ても、きっとそれだけだ。
野卑に輝く蛍光灯を見つめながら、まるで星に語りかけるみたいに独り言のような言葉を吐く。
「だって、僕に絵を描く以外のことは無いからね」
「そう言われればそうだな」
「ははっ、ひどいやつだ。僕の事を好きならフォローするものじゃないんですかぁ」
「お前に描く以外の事が要るのか」
なんだか訂正するのも面倒になって、やや投げやりにそういうと、男はまたケラケラと音響かせる。
この笑い方だけはどうにかならないものかと、一つ溜め息をついた。
ほんとはもっと長くなる予定でしたが終わりが見えなかったのできりました。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。