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花に降る睦言

 お願いです。もうそろそろ、機嫌を直してはくれませんか。


 この度の一件では、悪いのは全面的に僕の方です。

 あなたはちっとも悪くない。それは承知しています。

 でも僕だって、言い訳するようですが、悪気はなかったのです。まさかあなたが顔を真っ赤にしてまで拒むようなことだとは、全く考えもしませんでしたから。

 やはり、駄目でしたか?

 とりあえず、どうかこちらを向いてはくれませんか。今のままではどうにも話しづらいですし、僕も弁解するならあなたの円らな瞳を見ながら、そうしたいのです。


 ありがとう。

 では順序立てて話しますから、少しの間耳を貸していてください。


 そもそもの発端は、この花束でしたね。

 さっき話した通りです。あの郵便局の並びのお花屋さんに、帰る途中で捕まったのです。

 改めて弁解しておきますが、この花束はあくまでも頼み込まれて買わされたものでした。初めから僕が自発的に購入しようとしたものではないのです。

 そりゃあ、最終的に買う買わないの判断を下したのは僕ですし、あのお花屋さんのご主人も決して、押し売りをするような人ではありません。

 でも、ご主人が仰ったんです。

 安くしておくから買っていってくれないかと。可愛い奥さんへのお土産に、真っ赤な薔薇の花束はまさに相応しいだろうと。

 あいにくと花が開きかかっていて、明日にはもう売り物にならないような花束だから、安くしておくよと、そう仰ったんです。人助けと思って買っていってはくれないか、と。

 人助けと言われたら、買わないわけにはいかないでしょう。お値段も手ごろでしたし、それにあなたには薔薇の花がとてもよく似合うだろうと、ふと想像してみて思ったのです。


 その時はあなたの機嫌を損ねるようなことなど考えてもいませんでしたとも。

 ただあなたに、花束のお土産ができたらいいなと思っただけです。お花屋さんのご主人も仰ってましたが、あなたは可愛い奥さんです。本当に、銀幕の中へ入り込んでいてもおかしくないくらい、きれいです。

 その上、いつも家で僕の帰りを待っていてくれて、美味しいご飯とちょうどよい湯加減のお風呂とを用意してくれているあなたに、何か感謝を示したくなったのです。感謝を表せたらいいなと思い、お土産として、この薔薇を持ち帰ったのです。

 頼まれて買ったものとは言え、これもなかなかきれいな花束でしょう?

 残念ながら花については明るくありませんが、こんなにきれいに咲いているのに、明日には売り物にならないだなんてもったいないです。

 花束を手に入れた僕はすっかり浮かれてしまいました。すぐに帰って、あなたの喜ぶ顔を見たくて堪らなくて、歩みを速めたのです。それで、その――すっかり失念してしまったわけなんです。昨日のことを。


 昨日、あなたのお母様がいらっしゃって、ご趣味の庭園から花をいくつか摘み取って、うちまで届けてくださったこと、すっかり忘れてしまっていました。

 マリゴールドが我が家の居間にたっぷり活けてあったことも、不思議なほどに頭から抜け落ちていたようでした。

 そのせいで花瓶の空きがないのだということは、まるで思い当たりませんでした。

 この点については弁解のしようもありません。花瓶がなければ花束も活けられませんし、ただ枯らしてしまうだけになってしまいますよね。あなたが一度試してくれたように、湯飲みに活けるというのもよい案だと思ったのですが、この花束もなかなか頭でっかちで、湯飲みが引っ繰り返ってしまうのが困りものです。元はと言えば、僕の責任ですが。

 しかしあなたは実に模範的な妻でした。こんな時でも頭を捻って、よい解決方法はないかと考えてくれましたね。あなたが、花瓶の空きがないにもかかわらず僕が花を買ってきてしまったことについても、あなたのお母様が昨日きれいな花を持ってきてくださって、そのことを僕がうっかり忘れてしまった件についても、腹も立てずにいてくれたのがありがたいと思います。

 それに比べて僕は、あなたの機嫌を損ねるばかりで、情けない限りです。


 ところで、まだ怒っていますか?

 そうですよね。

 ええと。


 率直に聞きたいのですが。

 あなたは今、一番、何に腹を立てているのでしょうか。

 こんなことを聞くのも何とも無神経で、不器用なやり方でしょうが、そこがわかれば僕にも手の施しようがあるかもしれません。

 僕がお花屋さんのご主人に乗せられて、花束を買ってしまったことですか?

 僕が、あなたのお母様が持ってきてくださった花のことを、すっかり忘れてしまっていたからですか?

 それとも――さきほどのお風呂の件、ですか。


 あ、やはりそうでしたか。

 いえ、その、すみません。そんなに怒らないでください。いや、怒っているのではないですよね。照れているんだ、あなたは。

 でも僕の案というのも、なかなかによいものだと思いませんか?

 花が開き始めている薔薇があって、ですが活ける為の花瓶がなくて。このまま放ったらかしにするのも、お金を出したものだからもったいない。かと言って、新たに花瓶を買ってくるほどのものでもない――と、なるとです。

 以前観た、外国映画のことが頭にあったのです。湯船に花びらをいっぱい浮かべて、湯浴みを楽しむ場面があるのです。まあ、うちの湯船は外国の女優さんが収まっているような代物とはまるで違いますが、それでも雰囲気は出るでしょう。

 おあつらえ向きに薔薇の花です。どうせ活ける花瓶もなく、このまま枯らしてしまうくらいなら、贅沢に薔薇のお風呂と洒落込むのも素敵だと思いませんか。

 そしてよい機会ですから、是非一緒に入りませんか。薔薇のお風呂に。


 最初からそのつもりだったのかって?

 まさか。お花屋さんのご主人に頼まれた時は、考えつきもしませんでした。でもこの花束の行き場がなくて、あなたの頭を悩ませているのが心苦しかったので、僕なりに思案をしたのです。考えに考え抜いた末の最善の解決法がこれでした。

 かえって悩ましい、ですか。まあ、確かに。

 僕だって、それは、平然と言っているわけではないんですよ。照れずに済むよう、さらりと申し出たつもりです。

 それに、こう見えてもあなたの機嫌を損ねやしないかとびくびくしているんですから。

 結果的にあなたを酷く照れさせてしまったようですけど、あなたのそういうそぶりを見ていると、こちらまで無性に気恥ずかしくなってきます。ですから、照れるのはお互いに止めておきましょう。僕も善処します。

 夫婦なんですから、たまにはいいでしょう。労いの気持ちも込めて、あなたの背中を流してあげます。お風呂でのんびりと寛ぐのもいいものですよ。

 嫌がられてしまうと、僕は寂しいです。

 駄目ですか?


 今日は僕がわがままを言ったようです。夕飯は後回しでもいいですよ。

 何度も言いますが、照れることはありません。謙遜することだってない。あなたは銀幕の中の麗人のようにきれいです。きっと、薔薇がよく似合います。

 そう思っているのは僕だけ、ですか?

 それなら構いませんよ、僕だけでも。あなたを常に独り占めできて、それはそれは結構なことですから。夫として、この上なく満足です。

 あ。

 もう、困った人だ。お願いですからそっぽを向かないでください。


 じゃあ、外国映画の気分を味わいに行きましょうか、奥様。

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