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後日談:僕らのシネマトグラフ

 二人で映画を観たのは、久し振りですね。

 平日はいつもあなたを独りぼっちにして、お留守番をさせていますから、お休みの日くらいはこうして出かけなければと思っていたんです。もちろん、あなたと映画が観たかったというのもありますが。

 我が家を守ってくれていることには感謝していますが、一人きりのお留守番は、辛くはないですか。

 いえ、あなたを子供扱いしているわけではありませんよ。独りぼっちでいるのが寂しいのは大人も子供も同じです。僕としてはあなたに、僕がいなくて寂しいと言われた方が嬉しいです。

 すみません。言わせてしまったみたいですね。

 でも今のあなたの恥じ入る表情、拗ねたような物言いも、とてもよいものでしたよ。


 あなたが、初めて映画館に足を運んだのはいつですか。

 僕は学生時代の話になります。

 あなたもよく知っているでしょう、あの怪獣映画です。まだ映画が白黒の時代、それでも大きなスクリーンの中を暴れ回る怪獣はとてつもない迫力でした。圧倒的な力で理不尽に破壊されていく日常と文明。逃げ惑う人々、死に別れる親子――正直に言えば、僕にとっては悪夢のような、背筋がぞっとするほど怖い映画でした。戦争のことを思い出すからでしょうね。

 しかし僕の感想はさておき、あの映画はとても人気が高く、僕が足を運んだ日の映画館も酷い混みようでした。座席はおろか通路やスクリーン前にまで観客がいて、僕は最後まで座って観ることができませんでしたよ。今では考えられませんね。


 ところであなたは、初めての映画館でどんな映画を?

 ああ、吸血鬼の。となると時代は既に総天然色ですね。でもあの映画、あなたには少し恐ろしかったのでは? もしもその時、あなたの隣に僕がいたら、怯えるあなたを宥めながら震える手を握ってあげられただろうと思うと、何だか悔しい気がします。

 ちなみにその映画はどなたと? 

 そうですか、あなたのご学友と――いえ、ほんの少し気になっただけです。女性と聞いて深く安心しました。


 こうして初めて観た映画の話をすると、僕とあなたの年が離れていることをひしひしと痛感します。

 そしてその数年の差のうちに、映画技術の飛躍的な進歩があったことも実感できます。

 あの怪獣映画も次々と続編が作られ、今ではカラー映画として観られるんです。そもそもトーキーが生まれたのだってほんの四十年ほど前だと思えば、この数十年の間にいかほどの革新があったかわかるでしょう。いや、もっと振り返るなら『映画の父』リュミエール兄弟がシネマトグラフを作り出してから――ああ、話が逸れてしまいました、すみません。可愛らしく素敵なご婦人と映画を観た後だというのに、こんな話に終始するようではいけませんね。あなたを退屈させないような話をしなければ。

 そうだ、これをまだ聞いていませんでしたね。

 今日の映画はいかがでしたか。

 歌がとても素晴らしい映画だと聞いていましたが、確かにとてもよかったですね。僕は若い二人が親の目を盗んで会う場面、あそこで二人が歌い上げる曲がとても甘く感じられて、面映さと同時に羨ましさを覚えました。あれは青春時代ならではの恋というものでしょうね。

 あなたは……いえ、答えなくてもわかります。当ててみましょうか。ギターを持たされた後、主人公をじっといとおしむように見つめながら歌う、あの場面でしょう。

 今の表情、当たりですね。

 そうだと思っていたんです。あなたがスクリーンに見入ってうっとりしていたのを隣で鑑賞していましたから。映画も素晴らしいものでしたが、映画を観てうっとりしたり、小さく息を呑んだり、両手を握り合わせてはらはらしたり、ほっとして涙ぐみそうになるのを懸命に堪えるあなたを眺めるのも、やはり素晴らしく心に響くものです。夫婦で映画館へ足を運ぶようになってからというもの、映画の楽しみが一つ増えたようです。

 もしあなたが映画女優だったなら、さぞかし素晴らしい映画が撮れるでしょうね。天真爛漫な振る舞いも、心のままに見せるその表情も、上品で女らしい仕種も――もしあなたの映画が上映されたなら、僕は封切りの直後から毎日でも通いますよ。もっとも、他の客にはあなたを見せたくはないので、映画にならない方がいいのかもしれませんが。

 おや、どうしてそこで怒るんです? からかったわけではないのに。

 ほら、冷たいアイスクリームでも食べて機嫌を直してください。溶けないうちにどうぞ。


 それにしてもこの喫茶店、随分と混み合っているようです。

 きっと皆、テレビに見入っているからでしょうね。

 昔と比べると、映画と同じようにテレビもカラーです。きれいに映りますからね。あなたのご実家にはもうカラーテレビがあるんでしたっけ。あなたのお父様は先見の明があるお方だと常々思います。僕をあなたの夫として認めてくださったことも含めてです。

 そのお義父様は、今の映像技術が将来行き着くところまでご存知なのでしょうか。一度伺ってみたいものです。

 いえ、今日あなたと映画を観て、そしてこの店でテレビを観て、ふと思ったのです。これらの技術は今後どこまで進歩し続けるのか、と。

 かつては白黒が当たり前だった映像に色がつくようになりました。それよりも前、映画はサイレントが当たり前だった時代もあったのです。時代の移り変わりと共に技術は進歩し続けていますが、ではこの後は? また時が流れて数年、数十年後、僕らが観る映画はどのようなものになっているでしょう。

 あなたは、想像がつきますか?


 僕の想像は――そうですね。

 さっきあなたにお話ししたでしょう。あなたを映画女優にした映画を観てみたいと。

 案外とそれがたやすく叶う日がやってくるのではないかと、そう思っているのです。

 リュミエール兄弟がシネマトグラフを生み出してから、半世紀がとうに過ぎました。そろそろあのような素晴らしい発明が、僕らのものになってもいいのではないかと思うのです。だってテレビすら今や個人の物になりつつあるんですよ。家に映画館の設備を置けるようになって、僕らだけの上映会ができるようになるのも遠い未来の話ではないような気がしませんか。もちろん映画を観るだけではなく、撮る方もです。好きな映像を撮って、フィルムを切り貼りして、繋ぎ合わせて――そんなふうに自分で映画を作れる日がやってきたらと思うのです。

 もちろんのことながら、映画には役を演ずる俳優が必要です。それがあなたのような可愛らしい女優であれば言うことなしです。もし僕が映画を撮れるようになったら、そんな未来が訪れたなら、その時はあなたが主演の映画を作らせてくださいね。

 夢のような話だと思いますか?

 でも昔の人からすれば、今の映画だって十分夢のようでしょう。映画に色がつくなんて、もっと昔は映画に声がつくなんて、考えられなかったことなのですから。

 いつか、そんな未来がやってきますよ。僕はそう思いたいんです。

 もし叶ったなら、僕はあなたを映画にします。あなたの振る舞い、表情、仕種の全てを記録に留めておけるような映画にします。もちろんそれらは僕の記憶の中にも残してありますが、できることなら映画館の雰囲気の中で、暗がりの中で光る大きなスクリーンに映るあなたを観てみたいのです。数々の物語を映してきたスクリーン越しに、いつも僕の隣にいてくれるあなたと見つめ合ってみたいのです。他の誰にも見せません。僕と、あなただけの映画です。

 そんな日が本当に、やってくるといいですね。


 さあ、アイスクリームを食べてしまったらこの店を出ましょう。

 家までは手を繋いで帰りましょうか。未来の名女優たるあなたの手を、僕に取らせてください。あなたはきっと照れるでしょうが、でも僕は、あなたの照れてはにかむ顔が好きなのです。

 そう、今のその顔です。

 シネマトグラフが僕らのものになるまでは、僕の目をカメラに、心をスクリーンにして映画を撮り、映し続けることにしましょう。


 今日はとてもいい日でした。

 記憶の中では、とてもいい映画になることでしょう。

 主演はもちろんあなたですよ。僕だけの名女優さん。

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