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ダフォディルの白い雷

作者: 春葉つづり

チム=レサ様などいない。

それがダフォディルの民の挨拶のようなものだった。


「俺は悪い奴だ、妻も子もほったらかしでこうして酒を見つけては酒ばかり飲んでいる。チム=レサ様のお怒りのいかづちが落ちるかな」


男がぽつり呟いた。連れ合いの男がそれを壊すように笑った。


「いつ落ちるんだろうな」

「チム=レサ様などいないからな。落ちるわけないだろ。こうして、俺らが悪事を働いても、きっと何も天罰など下るわけもないのさ」


連れ合いの男がにやりと笑った。傍らにはこの店の店主が後ろ手に縛られて倒れている。

ダフォディルは貧しい。本来は酒など高級品で、滅多に手に入るものではない。

彼らはそれを強奪し、まんまと酒にありついているのである。


「ターヘル、ムスフィ。味見にしては長すぎるわ。盗るもの盗ったらさっさと引き上げるよ」


 妻子持ちの盗賊、ターヘルと独身の方のムスフィは、アティファに言われて「はいはい」と、ぼろぼろの袋に酒瓶を入れて立ち上がった。

 この店の店主は民を騙し、ぼったくりを行い小金と酒をため込んでいた。アティファたちは、そのような輩から金品などを巻き上げては貧しい民に分配している。

「貧しい」とあれど、ダフォディルは全体的に貧しい。

砂漠と痩せた土地、険しい山岳地帯で構成されているダフォディル。

 せめて、せめて神霊様の加護でもあればと、年寄りは言う。けれども若い連中はもうはなから、神霊様の加護など信じてはいなかった。

 前代の器が身籠った新明歴665年、あれから120年が経った。もはや信仰は薄れ、そのせいで加護が受けられず貧しいと民は嘆き、そうして嘆きは諦めへと変わっていった。


「ですが小姉御ォ」

「もう小姉御はやめて。アティって呼んで」

「アティ姉」


簡略化した名前で呼ばれてアティファは、しばらく黙ったが、まあいいと思ったのだろう、軽くため息をついてから、たいして収穫のない荷物を肩に背負った。


 年齢にすればまだうら若き少女であるアティファを、ターヘルとムスフィは、「小姉御」と呼んだ。ムスフィはまだ若く、5歳の年上で、ターヘルに至ってはアティファより10歳以上も年上なのである。


「……おねえちゃんみたいにはいかないから」


ぽつり、アティファが呟いた。

ターヘルとムスフィが、気まずそうな視線でお互い見合ったあと、ふたりはやさしいまなざしで、彼女を見つめた。

アティファの姉が死霊に憑かれてこの世を去ったのは1年前だった。

彼女は神殿で試練を受けたが、失敗し、死霊は滅され、アティファの姉自身もこの世を去ってしまった。

パル盗賊団は、アティファの姉、イスラの率いる盗賊団だった。当時の盗賊団は人数も多く、女だてらイスラの乾いた男らしい人柄に惹かれてやってくる人間も多かった。つまりは、人から慕われる存在だったのだ。

盗賊団は分裂し、アティファの元に残ったのはムスフィとターヘルだけであった。アティファとこの二人の男であるが、彼女とムスフィとは幼いころから仲が良く、アティファはまるで兄のように慕っていたし、ターヘルとは彼の三歳の娘の子守りをよく引き受けて遊んだ。つまり父と兄のような存在なのであるが彼らはしばし、アティファを「姉御」と呼んでからかった。

 もともとイスラを「大姉御」アティファは「小姉御」と呼ばれていた。

 


 アティファがイスラを思い出すとき、それはゾンルの砂漠に夕日が落ちる瞬間だった。イスラは、真っ赤な髪を短く切りそろえて砂漠吹く風に、さらさらと髪を遊ばせていた。

 砂漠を旅しているには白い肌に赤い髪がよく映えた。

 夕日を見つめイスラは何を考えていたのだろうか。今はもうわからない。

 その後ろ姿を思い出すと、目の前が涙で潤んだが、泣いたところで姉は帰ってくる筈もない。


 姉御肌だったイスラとは違って自分は、どちらかというと内向的であるし、盗賊団の頭に向いているとは思えない。思えないからこそついてきているのがこの二人だけなのだろうと思うと、なんだか悲しくもなるし、姉のようになれないくやしさと、姉への慕情が募るばかりだった。


 三人は旅をしていて、主にダフォディルでも悪名高い商人の店や役人の屋敷を襲う。彼らは、人を人とも思わない奴隷並みの労働を労働者に与えたにも関わらず、賃金を支払わなかったり、また、美しいと噂の街の娘をさらって奴隷として売りさばいたり、そうして儲けた金で高価な酒や隠し財産の金貨をたんまり溜め込んだりしているのである。そういったものを奪い、貧民に財を分配したり、奴隷として捕われた女子供をまだ間に合えば解放したりしている。しかし、結局は金品を奪うなどして犯罪を犯しているのだから、そんなものは何の救いの言い訳にもならなかったが、弱きを助け、強きを挫く亡きイスラの強いこだわりだった。


その遺志を三人は受け継いでいるのである。


ゾンル砂漠の朝は早い。地平線の向こう側から朝日が昇ってくる。

暑くならないうちに移動をし、日が天の上にあるときは、物陰で休む。

けれども朝まで待っていては、今は役割を果たしているのかどうなのか微妙な警備団に捕まる可能性もないことはない。三人は朝を待たずに出立した。


「そういえば、マライカさんとシュラちゃん、どうしてるんだろうね」


 アティファが言ったのは、フィキーに置いてきたターヘルの妻と娘の事だった。ターヘルの妻も元々は、盗賊の一員だったが、子供を身籠ったため盗賊をやめ、フィキーという街に今は住んでいる。


「元気じゃねえの」

「だといいね」


 砂漠の夕はまだ暑い。アティファは日よけのマントを手繰り寄せた。

 

「あ」

「ん?」

「あれ、人じゃないか?」

「えっ」


 最初に気付いたのはムスフィだった。

 ムスフィは、視力が良い。続く砂漠のその先になにかを見つけたというのだ。ターヘルは「岩じゃないか」と相手にしなかったが、アティファは気になって仕方がなかったのか、速足で、人らしきものがある方へ向かった。


ぼろきれで包まれたそれにアティファが触れると、それはほのかに柔らかかった。


「やっぱり人なんだわ」

「まだ生きてる」

「おい、大丈夫か?」

「う……」


 ムスフィがぼろきれに包まれている人物を起き上がらせると、頭を覆う布を取った。途端、うつくしい金髪が夕日に照らされてあざやかに光った。

 

アティファが、ぼろきれに包まれていた人物を覗き込むと、少しだけナトギの力を感じだ。水をあてがう間もなく、金髪の主が目を開けようとする。


「あ……大丈夫、ですか?」


 金髪の主がうっすらと目を開ける。すると、彼は目を見開いて、急に勢いをつけて起き上がった。


「えっ」

「神霊さま!?」


 彼はアティファの肩をグッと掴んで、抱きしめた。そして急に我に返り、取り乱したことを詫びた。


「取り乱したりして申し訳ありませんでした、神霊さま、いえ、神霊さまの候補となられるお方。私です。ツワタユンです」


 言葉を失う三人にツワタユンがうやうやしく言った。


「あなた様を、お迎えにあがりました」


 そう言うツワタユンの金の瞳は揺らがなかった。嘘や冗談を言っているようなふうでもない。ただ、彼の言っていることは、あまりにも突拍子外れていて、とても、「はい、そうですか」と飲み込めるものでもなかった。


「あの……人違いだと、思います」

「いいえ、たぶんですが、あなたは神霊さまです」


 ムスフィとターヘルはぱっちりとお互いを見つめ合ったまま、黙り込んだ。


「たぶんもなにも、この子は、神霊さまじゃあ……」

「いいえ」


 おそらく、と濁しながらも彼の瞳は揺るがない。


「昔から、ナトギの力を感じたりはされませんでしたか?神霊さま」


 ツワタユンの問いに、アティファは、姉を想った。姉は確かに、ナトギに近しいとアティファは思っていたし、ナトギに寄り沿われていた印象がある。

 もし、彼の言う「神霊さま」というのが正しければ、それはきっと自分ではなく姉だ。


「それは……私ではありません」


 アティファは視線を落とした。自分は神霊さまではない。姉ほどにはナトギの力を感じたことはないからだ。


「もし、あなたのいうことが本当なら、それは姉でした。でももう姉は、いないのです」


 そういったアティファの赤い瞳から涙が零れ落ちた。すうっと砂漠に一陣の冷たい風が吹き付けた。だが、それ「だけ」だった。もし、もし姉なら。涙すれば、雨粒のひとつぶも雲から哀れみのように滴り落ちただろう。

 それに比べて自分は、何の力もない。


「神霊さまになられるかもしれないお方。ささ、早く。神殿へお連れします。あなた方も来られると良いでしょう」


 途端に力を得たツワタユンが立ち上がる。

 その時、馬の嘶きがアティファの耳についた。


「賊か」

「賊を賊が襲うなんてありかよ」


 丸裸のツワタユンを自然と守るように、ムスフィとターヘルが剣を抜いて立ち上がった。ぎらりと剣が太陽の光できらめく。

 しかし、四人でなんとかするには数が多すぎたのだ。あっという間に取り囲まれる。

 賊の頭らしき、大柄な男が前に進み出る。


「女がひとりと、綺麗な金髪がひとりか。金髪のほうの髪は切ってかつらにすれば高く売れるぜ」


 下卑た笑いを浮かべて、男が品定めをしながら顎鬚を撫でた。

 ツワタユンが守るようにアティファをそっと影に隠そうとするが、囲まれているので、それも意味をなさない。


「髪……」


 アティファが呟いた。

 自分の長い髪をつまんで、うつむいた。姉のようにきれいな赤髪であれば。


「わたしも、おねえちゃんみたいに髪切りたい」

「だめ、アティ」


 そう言って自分の頭を撫でるイスラの手を思い出した。なだめるように優しく、慈愛に満ちていた。

 姉の瞳がやさしく見つめる。


「アティファはすらりと長い髪がすてきなんだから」

「でもこんな色いやだ!」

「あらあら、いまは色の話じゃないでしょ」

「やだやだ」


 癇癪を起して泣いても、姉は苛々したりしなかった。いつもの盗賊団を率いている姿とは違う姉の姿。母というものがあればこのような優しさなのだろうか。アティファは思った。アティファは母を知らない。むしゃくしゃして姉の胸を叩く、姉は、反撃するでもなく、仕方ないなというほほえみを浮かべている。そんな姉に頼りきりだった。安心して寄りかかっていたのだ。


「私は好きだな。女の子らしくて」


 イスラが言った。そのひとことが胸に沁みた。姉は私の髪が好きなんだ。アティファはまたそのときも、自分の赤茶けた髪をつまんだのだ。


 そうしていると、その髪を首領の男が乱暴に掴んだ。


「いたい!」


 気づいたら、ムスフィとターヘルは砂の上に倒れている。生きているかはアティファには分からなかったが、もしかしたら死んだのではないかと胸がぎゅっと押しつぶされるような思いに掴まれた。


「女だぜ」

「やめなさい。その方は――」

「うるせえ」

「乱暴はやめて」


 ツワワユンは縛られて馬車に入れられようとしている。

 それに比べてアティファは髪を掴まれたままだった。


 いつのまにか砂漠に暗雲が立ち込めている。そうして、一粒、ぽたり、ぽたりと雨粒が、アティファの頬を叩いた。

 

――雨が降っても、助けてはくれないわ。


 冷静に、諦めて暴れはしなかった。そのままムスフィとターヘルの倒れた姿だけがどんどん遠ざかる。悲しかった。兄と父のような存在だった。


「ムスフィ、ターヘル」


 名前を呼んでみても虚しかった。


「おい、雷だぜ」

「珍しい」


 雷なんてどうでもよかった。もうこれでおしまいなのだ。自分はどうして姉のように強くないのだろう、諦めてしまうのだろうと、アティファは自分を恨んだ。

 

「アティファは剣なんて使えなくてもいいんだよ。ナトギに愛されているから」


 嘘つき。おねえちゃんの嘘つき。


 冷たい風がひゅうと頬を撫でた。それから頭上でゴロゴロと言う音がする。


――ああ、なんか。


――どうせなら私に落ちてしまえばいい。そうしてできそこないの自分なんて死んでしまえばいいんだ。


 そう願った瞬間。視界をまぶしい光が覆い、体に激しい衝撃が走った。びりびりするような振動と激しい痛み。


――ああ、死ねるんだ。お姉ちゃん。


 目は見えなかった。ただ盗賊たちが自分の髪を離したのは気が付いた。


「おい……」

「やべえぜ」


 盗賊たちがアティファから離れて、後ずさる。


 彼女は、眩しい光を受けていた。天上の黒い雲が一か所割れ、一筋の光が降りてきて、アティファに降り注いでいる。アティファが体を起こし、目を開いた。

 彼女の様子は一変していた。雷撃を思わせる鮮やかな銀髪がどこまでも伸びている。見開かれた瞳は、ゾンル砂漠の夕陽色。その瞳は物憂げにすべてのものを見つめている。


「なんで見た目が変わったんだ……」


 首領が怯えたように後ずさったが、勇気を振り絞ったのかアティファに触れようとする。しかし、光のある部分に触れると、感電したようにはじき返される。


「いてえ」

「お触れにならないでください」


 いつのまにかツワタユンが進み出た。

 そうしてアティファの側にそっと傅いた。


「ひょっとしたら、あなた様が……神霊さまになられるお方かもしれない……」


 アティファの脳裏に神霊の記憶が乗り移る。


「神霊さま、すぐ神殿へ参りましょう。もしあなた様が神霊さまの器なら、神殿から長くは離れられない身なのです」


 そういってツワタユンがちらりと首領のほうを見やった。

 有無を言わさない表情だった。首領がかわるがわる、ツワタユンとアティファを見やる。神霊の器は、神霊が乗り移ると見た目が変わるという。

 もし本当なら。神霊の器など売り飛ばすなどどうしてできるだろうか。

 アティファを見つめれば、見つめるほど、息を飲むうつくしさだった。

 首領の胸には信仰心などなかった筈なのに、沸いてくるのは、素直なアティファへの賛辞と敬虔な気持ちだった。


「私の馬車でよければ、お使いください――」


 首領が傅いた。

 

 けれどもアティファの表情は浮かなかった。自分に神霊が乗り移ったことはわかった。けれどもそれにふさわしい器だと今でも、思うことが、できなかったのだ――。


 首領は、聞いた。馬車に乗り込む寸前、真っ白い髪を引きずってゆくアティファの、紅いくちびるが動いたそのつぶやきを。


「わたしは、きっと、ちがう」


 チム=レサの器としてきっと自分は不適格だ。その想いを映すことを拒むように、砂漠を渡る雷は止むことがなかった――。



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