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十一月二十二日日曜日午前十時十一分
「次のニュースです。昨夜遅く、大林組の幹部、吉田敦史さんが何者かに暗殺されました。現場は恐怖に包まれました」
男のキャスターが原稿用紙を読みながらそう告げた。
店の端に置かれたテレビを見ながらコーヒーを飲んだ。奥からマスターが出てきた。
「これからどうするんだ?」
コーヒーを飲み干した。
「奴の出方を見る」
店のドアが開いた。菅原だった。
「取り合えず、野村さんに聞いてくるよ」
黒いコートを持ち、店のドアを開けた。太陽が眩しかった。コートを着て、ラークを出した。携帯電話が震えた。画面に非通知と映っていた。
「もしもし?」
『よぉ死人。ホントに生きてたのか』
「野村さん?」
『驚いたな。まだ覚えてくれてたのか。何年ぶりだ?』
「二年かな」
『ははは。二年か。これから会えるか?』
急に声のトーンが変わった。
「あぁ」
『香港一番で待ってる』
電話が切れた。煙草に火をつけ、平和通りに向かった。
平和通りは人の量は少なかった。煙草を指で弾かせた。香港一番と書かれた暖簾が目に入った。店の中に入った。
店の中はラーメンの匂いがたちこめていた。左右にテーブルが二つずつあり、奥にカウンターがあり、髭を生やした男が座っている。男の隣に座った。
「驚いたな〜。ホントに生きてやがったか」
―この男の名は野村雅人。四十一歳。一九七四年八月十五日生まれ。元警視庁の人間で警視長の位まで上り詰めた男だ。ある事件を境に警察を辞めた。その後は色々職を探すが見つからず、その時に俺は出会った。職を探していた野村に情報屋として働いて貰うことにした。
「生憎、地獄が一杯だったみたいだ」
野村は笑った。
「醤油二つね」
バンダナを巻いた男が頷き、麺を熱湯に入れた。
「ここのラーメン美味いんだよ」
自慢げに話し始めた。
「何で生きてるって分かったんです?」
「さぁな。只、お前は死ぬような奴じゃないと思ってさ」
ラークを取り出した。
「相変わらずヘビースモーカーなのか?」
赤い箱を見つめている。
「死人になったら余計に吸いたくなったのさ」
「体に悪いぞ」
「事が済んだらやめるさ」
茶色いフィルターをくわえ、火をつけた。
「何かあったのか?ホテルの撃ち合いといい高速道路のカーチェイス。全部お前なんだろ?」
煙を吐き出した。
「個人的問題さ」
男が丼を二つ持ってきた。
「お待たせしました」
目の前に黙々湯気が立つラーメンが置かれる。割り箸を割り、胡椒をふりかけた。
「近々取引があるらしい」
ラーメンの麺を啜りながらそい言った。
「確かか?」
チャーシューを口に放り込んだ。
「場所と時間は分からんが、準備してるぞ」
「他には?」
麺を啜った。
「今のところはない。」
黙々とラーメンを食べた。
「最近は何を?」
「変わらんさ。家で妻と話すくらいだ」
ニヤリと笑った。
「ご馳走さん」
「何かあったら連絡する」
「ありがとう」
店を後にした。
当てもなく街をぶらついた。何となく靖国通りのコンビニに入り、朝刊を購入した。一面に昨日の事が載っている。見出しはこうだ。“ヤクザの幹部撃たれる”救急車が二台止まり、警官が慌ただしく動いてる写真が写っていた。
「セブンスターを一個」
聞き覚えのある声がした。もの凄く懐かしい声。レジに髪を肩まで伸ばし、紺色のスーツ、太股を指で突っつくように叩いていた男が立っていた。
男が代金を払い、すぐ横を通っていった。黄來だった。新聞紙をゴミ箱に投げ入れ、黄の後を追った。
桜通りを歩いていると、ふと小さな路地に入っていった。一分後に路地に入った。目の前に真っ黒な銃口が映った。
「理由次第じゃ殺すぞ」
途轍もなく低い声だった。殺気を感じる目、目の下には隈ができ、髭が少し生えている。一ヶ月前の面影は殆どない。
「來……」
「あんた誰だ?」
「俺だよ。木村龍だよ」
「奴は死んだ」
相変わらず冷たい声だった。木村は服をめくった。
「これでもか?」
黄に撃たれた傷を見せた。目を大きく見開いて傷を見ていた。
「あの時撃たれた傷だ。」
真っ黒なトカレフが震えている。
「講大話(嘘だ)!あいつは死んだ!俺がこの手で殺したんだ!」
目にはうっすら涙。木村は微笑んだ。
「また会えて嬉しいよ」
喉の奥が熱い。
「そんな馬鹿な話がある訳ない。俺が……俺が……」
手からトカレフが落ちた。黄をがっちりと抱きしめた。黄は泣いていた。木村も涙を流した。
「對唔住」
「唔好介意(気にするな)。俺もあの立場だったら同じ事をした」
黄が泣き止むと体を離した。
「それにしても……」
黄の姿を改めて見た。
「……変わったな。」
微笑した。
「そう言うあんたもな。涙なんて初めて見た。」
地面落ちたトカレフを拾う。それを後ろの腰に差し込んだ。
「あぁ。そうだな」
赤いラークを出した。
「ボスは元気か?」
「あぁ。……いいのか街歩いてて?いてて?見つかったら殺されるぞ」
「そうかもな。……でもまだ死ぬ訳にはいかないんだ」
ジッポで火をつけた。先端が赤くなった。
「關香梅か」
「それもあるな。そういえば近々取引があるみたいだな」
「あぁ。ロスのマフィアが来るって話だ」
「場所と時間は?」
「花道通りに新しくビルが建つの知ってるか?」
そういえば工事用のフェンスが立ててあり、二階部分が作られてるのを思い出した。
「あぁ」
「そこに明日の十時だ」
「好(分かった)」
「何かあったら連絡する」
「悪いな」
「せめての償いだ」
微笑んだ。二人はその場で別れた。
区役所通りを煙草を吸いながら歩いていた。ゴールデン街の裏に入り、天国と書かれた店を見つける。店の前に止まった。いつも入り口にいる男はいなかった。店の中に入った。
店の中は静かだった。いつもなら女達が来るのだが誰もこない。
「……潰れたか」
煙草を床に落とし、靴の裏で擦りつけた。埃まみれになった通路を歩き、伊藤がいた部屋のドアを開けた。部屋の中は埃が舞い、太陽の光が窓から差し込んでいた。全てが無くなっていた。
「ちょっと何やっての」
突然後ろから声がした。とっさに腰に付けたホルスターからベレッタを抜き、左手で首を握り、顔にベレッタを向けた。
「ちょ……ちょ……」
男だった。
「誰だ?」
「た……ただの不動産屋ですよ」
冷や汗をかきながら必死な顔で言った。ベレッタを戻した。男はそれを確認すると大きく息を吐いた。
「ここは潰れたのか?」
「……はい」
汗を拭っていた。
「そうか」
男をほっといて外に出た。バーに戻ることにした。
ドアを開け、店の中に入った。変な空気が漂っていた。マスターが目で何か言っている。“お客さんだ”と言っていた。テーブル席を見ると一人座っている。テーブルに歩み寄った。
男だ。何処かで見た顔だと思っているが、名前が出てこない。
「俺に何か用か?」
椅子に座った。男は鼻が高く、くっきりした目、髪は長く、紺色のスーツを上下着て、白いシャツに黒いレノマのネクタイをしていた。
「劉からの伝言を頼まれた」
男がスーツの中に手を入れた。金属音。見るとカウンターに座っていた菅原がウィバースタンスでハンマーが起きている黒とステンレスのツートンカラーのARCUS94を握っていた。
この銃はブルガリアで作られた銃で、外見はブローニングハイパワーと似ていて、コルト・ガバメント同様シングルアクションタイプの銃だ。
シングルアクションとは、ハンマーが起きていないと撃てない仕組みの事を言う。弾は9mm×19を使っている。
「落ち着け」
男は平然としていた。慣れている様だ。
「ゆっくり出しな」
菅原は男の頭に標準を合わせている。男はゆっくりスーツから手を出した。手には紙が握られてる。手から乱暴に紙を取った。同時に菅原が銃を下ろす。
「そういえば關とはどうだ?」
“まだ大丈夫だ。”と自分に言い聞かせながら紙を開いた。
「処女って話だがもうやったのか?」
男は楽しんでいた。紙を強く握った。
「やってないなら俺が頂いちまうぜ」
胸ぐらを掴んだ。
「おいおい、俺を誰だと思ってんだ?暴力罪で捕まりてぇのか?」
手を離した。“名前さえ分かれば”と思いながら紙に目を移した。
紙には広東語で何か書かれていた。“ゲームはまだ続いてる様だな”と書かれている。
「劉にこう伝えろ。くたばれ。とな」
男はニヤッと笑いながら立ち上がった。指に銀色に輝く指輪がはめてあった。それで思い出した。
「悪徳警官」
その言葉で男は立ち止まった。
「同じ署で働いてる彼女は元気か?」
笑いながら言った。男がゆっくり振り返った。
「手を出して見ろ。あいつの代わりに俺が殺してやる」
殺気立った声だった。
「そっちの出方次第だな。あんたが邪魔するなら行動に移るまでだ」
「クソ野郎」
吐き捨てる様に言って店を出ていった。
「まったく冷や冷やさせやがって」
マスターが煙草に火をつけた。
「足を洗ってもこんなのに巻き込まれるなんてね」
菅原が腰のホルスターに銃を入れながら言った。
「まだその銃なのか」
カウンター席に移動した。マスターは煙草の煙を吐き出している。
「慣れた銃を使うのはプロの決まりよ」
菅原は煙草をくわえた。店のドアが開いた。男女の一組が入ってきた。
「まだ店は開いてませよ」
男はそれを無視して木村に近づいた。
「木村だな」
男は真っ黒な髪は耳ぐらいまで伸ばし、つり上がった目、身長は木村より少し高く、黒のナローラペルのスーツ、白いシャツで一番上のボタンを外し、グレーのネクタイも結び目を緩くしてあり、ブラウンのコートを着ている。今度はすぐ分かった。
「何ですか?佐藤健一巡査部長」
ラークの箱から一本取り出した。
「昨日の殺し知ってるか?」
「あぁ。ニュースで見た」
火をつけた。入り口にいる女を見た。
髪は長く、真っ白な顔、ぱっちりとした目、鼻は小さく、少し痩せている体、化粧っ気はない。警官に見えると言ったら見えるだろう。顔は見たことない。新人なのかもしれない。
「昨日何してた?」
佐藤の方に目線を戻した。
「昨日はずっとここにいた」
佐藤はマスターと菅原を見た。
「そうか。邪魔したな」
女が不満そうな顔してる。佐藤は何も言わず店を出た。女も店を出る。
「面倒になったな」
灰を灰皿に落とした。
「あぁ」
携帯電話が震えた。画面を見た。非通知と映っている。
「はい」
『いやー、遅くなって悪いな。警察の事情調書が長くてよ』
大林だった。
『まぁ取り合えずありがとよ』
「気にするな。個人的問題だ」
『困ったときは連絡しろ。力になるぜ』
「結構だ」
電話を切った。煙草を灰皿に擦りつけた。椅子から立ち上がり、奥の部屋に入った。
部屋にはベッドが一つだけだった。ベッドの横には銃が入ったバックが置かれている。ベッドに横たわる。すぐに睡魔が襲ってきた。そのまま眠りにつく。
真っ暗な闇。何も見えない。次第に明るくなる。目の前がぼやけていた。誰かがいる。ぼやけていたが、誰かは分かった。關だ。白いウエディングドレスを着ていた。だが、關は泣いていた。何が何だか分からない。
目を開けた。汗で服や額がベタベタになっていた。汗を拭った。嫌な夢だ。腕時計を見た。いつの間にか午後十時を過ぎていた。