謎の刺客
十月二十七日火曜日午前八時三十四分
木村は煙草を捨て、銀色の車。キャデラックのCTSに乗り込んだ。
「傷付けるなよ」
男が言った。
「分かってるよ」
車を動かした。
木村は昨日の夜の事を思い出した。昨日はホテルに行き、激しいセックスを繰り広げた。イライラがすぐ消えた。その後、シャワーを浴び、眠った。朝になると、ベッドで寝ている高橋をそのままにしてホテルを出た。
車は花道通りを明治通りに向けて走らせた。明治通りに出ると、交通量が多くなった。東新宿駅方面に進み、住宅街に入った。
住宅街に入ると林から貰った紙に書かれた住所を頼りに家を探した。
車を止めた。目当ての家に着いた。とても豪華な家だ。一人で住んでるとは思えない。
車を降りた。ドアの前まできた。チャイムを鳴らそうと指を伸ばした。だが、押さなかった。その前に身だしなみを確認した。黒の上下のスーツ、白いワイシャツ、紺色のネクタイ。チャイムを鳴らした。ほとんど待つ事はなかった。
「請」
綺麗な広東語だった。木村はドアノブを回し、中に入った。
玄関は綺麗に整理されていた。足下には、これから履くと思われる黒のヒールの靴が一足だけだった。右は木製の靴入れがある。その上には金魚が入った水槽が置いてある。正面にはリビングに繋がってると思われる通路があった。壁は白かった。
奥から足音が聞こえてきた。女が現れた。化粧は濃くも薄くもなく、くっきりとした二重、黒く長い髪、足が細く、黒のパンツスーツを着ていて、肩からはショルダーバックを下げていた。
「對唔住」
女は広東語で謝ってきた。急いで靴を履いた。
「いえ、気にしないで下さい」
俺も広東語で返した。ドアを開け、外に出た。
「あの〜あなたが木村龍さんですか?」
「係」
「あ、私關香梅です。關と呼んで下さい」
―この女こそ、林の女であり、婚約者の關香梅。二十四歳。一九九一年三月二十日生まれ。雑誌の編集長らしい。詳しい事は分からない。
木村は後部座席のドアを開けた。
「では、關さん」
關が乗り込むとドアを閉め、運転席のドアを開け、乗り込んだ。
車は明治通りを左折して職安通りに入っていた。
「あの〜林さんから聞きました。殺し屋……なんですよ?」
「唔同(違います)」
きっぱり言った。
「でも何人も殺したと」
「もし殺し屋ならこんな事はしませんよ」
「あなたは優秀だからだと言ってました」
「……」
もう何も言わなかった。“余計な事を言ってくれたぜ”と思った。
信号が赤になった。車を止めた。バックミラーを通して關を見た。暗い表情だった。
「對唔住。編集の仕事をしてるもんで」
信号機を見つめながら言った。
「いえ、気にしなくていいですよ。そもそも私が謝るべきですよ」
青になった。車を動かした。車は税務署通りを走り、神田川に架かる淀橋を渡った。
「そこ右に曲がって下さい」
曲がるとオフィスビルがずらりと並んでいた。
「そこです」
關が指をさした。十五階建てのビルが立っていた。地下駐車場に入った。エレベーターに近い所に止めた。ドアを開けた。關が出てきた。關がエレベーターの方に歩いていった。後を追う。同時にセンサーで鍵をかけた。
エレベーターに入り、八のボタンを押した。動き出した。エレベーターは一階一階スムーズに上がっていた。八階に着いた。エレベーターを降りた。降りると右の通路を歩いた。
歩いていると前から男が近づいてきた。
「お早う御座います」
そう言って横を通り過ぎていった。
目の前にドアが見えた。それを開け、中に入った。中は強化ガラスで仕切られたデスクがずらり並んでいてた。
關は一番奥のデスクに座った。デスクの上はパソコンに企画書の様なものに白いマグカップなどが乗っていた。
「お迎えは何時に」
關は腕時計を見た。
「八時に」
「分かりました。何か有りましたらここに電話を」
電話番号が書かれた紙を渡した。
「分かりました」
木村はドアに向かった。關の方を振り返った。女と話している声が聞こえた。
「編集長。新しい彼ですか?」
女はニヤニヤした顔で關に聞いていた。
「そんなんじゃないの」
びっくりするほど日本語が上手かった。
「またまた!」
木村はドアを開けた。
駐車場に着くと携帯電話が震えた。画面には伊藤の電話番号が表示していた。
「何だ?」
車のドアを開けた。
『周りに人は?』
「ちょっと待て」
周りを確認した。誰もいなかった。念のために車の中に入った。
「大丈夫だ」
『情報を入手したぜ。こいつは思ったより厄介だ』
「それで情報は?」
『会って話す。三十分後にいつもの所で会おう』
「分かった」
電話を切り、エンジンをかけた。
靖国通りの桜通りの二階建ての喫茶店の二階の隅の席に座っていた。そこでコーヒーを飲んでいた。腕時計を見た。午前九時五十七分。
階段から伊藤が現れた。向かえの席に座った。
「珍しいな。お前がこの場所に呼ぶなんて」
「悪いな」
コーヒーを一口飲んだ。
「情報は?」
「あぁ。実は……」
銃声。窓ガラスに穴が開き、伊藤の頭が弾けた。血と脳味噌が飛び散る。
すぐに床に伏せた。目の前に目を開け、木村をずっと見ながら死んでいる伊藤が倒れていた。涙がこみ上げてきた。それをぐっと堪えた。“すまない”と心で呟きながらゆっくり移動した。
また銃声。頭上を掠めて壁に当たった。一気に非常ドアに向かい、ドアをぶち破った。
非常階段を下り、路地に出た。路地を走り抜け、車を止めた区役所通りを目指した。
キャデラックに乗り込み、キーを差し込んだ。頭に何か突きつけられた。ガチリと鈍い音がした。すぐに分かった。
「ハンマーは起きてますよ」
広東語だった。バックミラーを見た。後部座席に男が一人いた。冷酷な目、無表情、ブラウンのキルトジャケット、白いシャツ、紺色のジーンズ、手にはH&KUSPを持っている。俺を殺して外に出ても、誰も怪しまないだろう。少なくとも素人には見えない。
「らしいな」
ハンドルを握った。小さな紙を渡された。
「ここに行け」
「その前に聞きたい事がある。何故を俺を狙う」
「……それはお前がブツを盗んだからだ」
“またかよ”と思った。取り合えずこの場を抜け出さなければ。
エンジンをかけた。思いっきりアクセルを踏み込んだ。タイヤが勢いよく回転して、アスファルトを擦った。
区役所通りを時速100kで走った。
「おい!スピードを落とせ!」
男は銃を突きつけてきた。木村は笑った。
「どうせ死ぬんだ。死なせてくれ」
ゆっくりシートベルトをした。車をどんどん追い越した。
「殺すぞ!スピードを落とせ!」
「分かったよ」
ハンドルをきった。ガードレールを突き破った。人が逃げっていく。電信柱に突っ込んだ。目の前が真っ暗になった。
どのくらい気絶していたのだろう。短時間だったかもしれない。次第に光が見えてきた。
目の前に人が車を囲んで中を覗いていた。横を見た。男がフロントガラスを突き破っていた。頭にはガラスの破片が皮膚に刺さっていて、所々皮が剥けて肉が見えている。ダッシュボードには血が小さな池を作っていた。
ドアを蹴り開けた。人々が心配そうに見てきた。
「大丈夫?今救急車呼ぶから」
中年の女が携帯電話を出した。
「そいつは死んでる」
そう言って人をかき分けてゴールデン街に向かった。
天国に入った。みんな真っ青になっていた。俺は伊藤の部屋に入った。
伊藤はいつも陽気だが、利口な奴だ。自分にもしもの事があった時の為に何か残している筈だ。
木村はデスクの引き出し、ベッドのマットの中、クローゼットの中、床の中、あらゆる所を探したが何も出てこなかった。
椅子に座った。段々イライラしてきた。目の前のデスクの上に置かれた本や酒のボトルを吹き飛ばした。
また椅子に座った。ラークを取り出した。フィルターをくわえ、火をつける時だった。ふと下にまき散らした中にキーホルダーが目に入った。
キーホルダーを取った。思い出した。伊藤に初めて情報を頼んだ時に伊藤は自分にもしもの事があったらこれを使えと言っていた。
木村はキーホルダーの真っ黒の固体の真ん中を押した。すると、後ろの壁が動き出した。壁からテープの山と金庫が出てきた。
木村はテープの山を見た。山と言っても綺麗に並べてはある。
昨日の日付が書かれたテープを取った。それをコンポに入れ、再生ボタンを押した。
『……これを聞いてる頃は俺は死んでいるんだろうな。笑っちまうな。それはともかく、黒幕は劉偉だ。目的は分からんが、倉庫のブツをねこばばしたのは奴だ。吉田もグルだ。あいつの事だ。多分、頭を取りたいんだろうな。ここからよく聞いてくれ。どうゆう訳か奴ら林の女を狙ってる様だ。後の事は本人に聞いた方がいいだろう。なお、このテープは自動的に消滅する。……じゃあな』
テープが破裂した。木村は椅子から立ち上がり、ドアを開けた。
店を出て、ゴールデン街の出口に向かって走った。区役所通りに出ると目の前に止まっているタクシーに目をつけた。腰からパラ・オーディナンスを抜き出し、運転席のガラスを突っついた。運転手は真っ青な顔になりすぐに両手を上げた。
「降りろ」
低い声で言った。運転手はすぐにドアを開けた。運転手を腕で吹き飛ばし、タクシーに乗り込んだ。アクセルを踏んで職安通りに目指してスピードを上げた。
木村はアクセルを目一杯踏み込んだ。赤い棒が100kと白い文字で書かれた所で止まっていた。目指すは關のいるオフィス。
ビルの前でブレーキを踏み込んだ。間一髪他の車にはぶつからなかった。ドアを勢いよく開け、ビルの中に入った。
ビルの中に入り、エレベーターに乗り込んだ。八のボタンを押し、エレベーターが動き出した。とても遅く感じた。
八階に着くと、ドアが完全に開く前に隙間から出た。通路を走った。
ドアを開けた。周りの人が一斉にこっちを見た。息を切らしながら關のデスクに向かった。關が心配そうに見てきた。
「どうしたの?」
「時間が無い。ここから出なければ」
關の腕を掴んで椅子から立たせた。
「ちょっと。何処に行くのよ」
それを気にせず、周りに目を配った。従業員が不安そうな顔で見ていた。突然、前に警備員が来た。
「ちょっとあんた。何してるですか」
話を無視して横を無理矢理通った。警備員が肩を掴んだ。
「警察呼ぶぞ!」
段々苛立ってきた木村は腕を払い、透かさず右足で警備員の胸の部分を蹴った。後ろに吹き飛んだ。警備員は床でうずくまっていた。
非常階段のドアが見えた。“何も無ければいいんだが”と思っていた矢先だった。
入り口から四人組の男が入ってきた。内二人は黒いバックを持っていた。先頭の男は独特の奴だった。赤い丸サングラスにカウボーイハットで、頬に傷があり、真っ黒なスーツを着ていた。
目が合った。とっさに關を吹き飛ばした。關は床に倒れ込んだ。
もう一度四人を見た。今度はアサルトライフルのコルトM733を持っていた。血の気が引いた。地面に伏せた。けたたましい銃声が鳴り出した。
銃弾は正確に木村の方に飛んできた。急いで、デスクの影に隠れた。
パラ・オーディナンスを取り出した。安全装置を外し、がむしゃらに撃った。当たらなくても、時間稼ぎがしたかった。
關のいる所に体制を引くしていった。關は目をぐっと閉じて耳を押さえていた。
「唔好行開呀(離れるなよ)」
關は言い終わる前から頷いて、木村のスーツを掴んでいる。
デスクの下から覗いた。従業員の足が邪魔だったが四人の位置は大体分かった。
「合図したら、あそこに走れ」
小さい声で、非常階段のドアに指をさし言った。關は頷いた。
木村はもう一度覗いた。四人はじわりじわりとこっちに向かっている。一番右の男の爪先に標準を合わせた。
振り返り、合図を送った。關は走った。走った同時に撃った。靴の爪先が破裂した。
男は倒れた。透かさず木村は立ち上がり、左のデスクに移った。
右のデスクが銃弾が打ち込まれた。銃弾は物の見事にデスクを穴だらけにした。
デスクを影にして、寝そべって、体を左に傾けた。両手で構え、男に銃弾を撃ち込んだ。肉片と血が飛び散った。赤い丸サングラスの男にも撃った。だが、男はすぐに物陰に隠れ、銃弾は壁や、デスクに置かれたパソコンに当たった。
また立ち上がり、非常階段のドアに向かって走った。
ドアを開けると、關が階段に座って耳を押さえていた。
「こっちだ!」
關の腕を掴んで階段を下りた。
下に下りると、静かだった。どうやらまだ奴ら上らしい。正面の自動ドアに急ぎ足で行った。
すると、警官が三人来た。チャイムが鳴った。
振り向くと、エレベーターから男が三人降りてきた。急いで外に出た。
銃声。自動ドアのガラスが割れた。警官が腰に付けたホルスターから支給品のグロック19を抜いた。
木村は關を抱き抱え、茂みにダイブした。
また銃声。多分、あの警官達は死んだだろう。
前からふくめんパトカーが四台、けたたましいサイレンを鳴らして来た。
振り向くと赤い丸サングラスの男がこっちを見ながらマガジンを取り替えていた。
「行くぞ」
そう言って關の手首を掴んで走った。また銃声が鳴り出した。