裏切り者と婚約者
十月二十六日月曜日午前十時五分
朝刊を読みながら、コーヒーを飲んでいた。テーブルにはベーコンとスクランブルエッグとサラダが乗っていた皿とライスがまだ少し乗った皿が置いてあった。
新聞には“林組に宣戦布告?”とデカデカと書いてあった。どうやら昨日襲ってきた奴等は大林組の組員らしい。
大林組とは、太田しのぶが死んでその跡目を幹部だった大林和久が継いで影で何かいろいろやってるらしい。
コートのポケットの中に入った携帯電話が小刻みに振るえた。だがすぐに止まった。これは林組の召集の合図だ。
コーヒー飲み干し、青色の椅子から立ち上がった。
自動ドアを抜け、靖国通りに出た。道には多くの人で溢れていた。サラリーマンが鞄を持って西武新宿駅に向かっている。スカートを短くし、セーラー服を着た女子高生。学生服のボタンを全部あけて、耳にピアスをつけ粋がった奴等がぞろぞろと歩いている。粋がれるのも今の内だ。この街で生きるには難しい。その内足下を失い、どん底の人生が待っている。
ドン・キホーテの横のセントラルロードに入った。店の立て看板を出したり、ドアの鍵を外したり、店の窓を拭いたりしているのが目に入る。
俺は花道通りに向けて歩きながら、ラークを取り出し、火をつけた。
煙草を吸いながら歩いていると新宿コマ劇場が見えてきた。コマ劇場と新宿ロフトの間を抜けて、花道通りに出た。を抜けて、花道通りに出た。花道通りを横断し、クイーンズタウンホテルの前を通り過ぎた辺りで大きなビルが見えてきた。
林株式会社と書いてあった。ここは表向きの仕事としてやっている。林はこのビルに地下を作り、そこでいろいろ話の場などとして活用している。
煙草を投げ捨て、中に入った。中は普通な会社と変わらない。正面に美人な日本人がいる受付があり、右にエレベーターが二機あり、左には階段がある。
俺はエレベーターに乗った。各フロアに行くボタンがあり、一の番号を二回押した。これは地下に行く方法なのだ。エレベーターが動きだした。止まった。トビラが開くと、白い壁の通路が出てきた。
通路を歩くと、T字路の通路になった。正面にはドアがあり、左右にもドアがある。そして、正面のドアの上にはカメラが取り付けられている。これで誰が来たか確認しドアを開ける仕組みになっている。
カシャという音が聞こえた。ドアが開いたのだ。中に入った。ドアの前には男が立っていた。
男はとても整った顔をしていて、髪をワックスで固めている。黒いスーツを着て、赤いネクタイを締めていた。
「みんなもう揃ってるぜ」
―この男は黄來。歳は俺と同じ二十五で。一九九○年八月十一日生まれ。香港の九龍で生まれ、十九の時に林と知り会いこの道に入ってきたらしい。こいつは俺の掛け替えのないダチの一人だ。
「情報は?」
歩きながら話した。
「まだ無い。奪われたのはヤクと銃だ」
「戦争でもする気なのか?」
「さぁな」
黄がドアを開けた。話し声が聞こえてきた。
中の部屋はシンプルだった。正面に木製の長テーブルがあり、椅子が八つあり、左にはドアがあり、林の書斎がある。
「やぁ、龍君」
正面にいた優しそうな白い口髭をしたおじさんが言った。
―この男は林組の幹部でナンバー二の王超。年齢は四十五歳。一九七○年二月十七日生まれ。林とは呉の時からの知り合いで、よくしてもらってるらしい。
「王さん」
「よぉ、龍」
その三つ椅子を開いて頬に傷があり、太い葉巻を吹かした男が言った。
―この男も幹部であり、ナンバー三の陳堅。三十四歳。一九八一年六月三日生まれ。林との関係は命の恩人という感じだろう。跡目を継いだ林は反対派の奴等に襲撃に合う。その時に陳は林を庇って青龍刀で斬られた。それが頬の傷だ。その日から林とは固い絆で結ばれている。
「陳さん」
そう言って空いてる椅子に座った。ドアが開いた。顎に髭を生やし、グレーのスーツを着た男が現れた。
―この男こそ林組のボスである林迎明だ。三十八歳。一九七七年一月二十五日生まれ。両親を交通事故で亡くし、親戚にたらい回しされた挙げ句捨てられた。そこをたまたま呉が見つけ、育てた。香港では無くもない話だ。
「集まったか?」
みんなは黙っていた。
「集まった訳は言うまでもない」
「あっちまで探りに?」
王が呟く様に言った。林は頷いた。
「どんな事をしてもいい。見つけてここに連れて来い」
そう言うとみんな立ち上がり、ドアに向かって歩いた。
「龍」
振り向くと林が指で合図してきた。木村は林に近い椅子に座った。
「何です?」
林は暗い表情だった。
「余り言いたくはないが、どうやら身内の奴が私の座を狙った犯行らしいんだ」
「まさか」
「私もそう思うのだが、この時期なんでな。念の為に身内も調べてくれないか?」
「……分かりました」
少し間をおいて返事をした。身内を調べるのは気が進まない。
「それと、これはお願いなんだが。香港に行ってる間にある女を見てほしいんだ」
「女ですか?」
「実は…今年のクリスマスに結婚すんだ」
林は照れくさそうにポケットから写真を取り出した。
「この女と」
写真を渡された。写真には林と女が香港の維多利亜湾を背景に撮られていた。
「關香梅だ」
写真を返した。
「この女を見ててくれ」
「俺でよければ」
林はほっとした顔をした。
「お前で良かったよ。じゃ明日から頼むぞ。ここに朝の九時に行ってくれ」
住所が書かれた小さな紙を渡された。
「分かりました」
紙を受け取って、椅子から立ち上がった。
「頼んだぞ」
「はい」
ドアを抜けた。黄が待っていた。
「何て言われたんだ?」
「別に」
エレベーターに乗った。黄が地下一階のボタンを押した。
「送ってくよ」
「悪いな」
トビラが開いた。駐車場に出た。黄が手前の日産のスカイラインと書かれた車のドアを開けた。
「家でいいのか?」
「あぁ」
車に乗り込んだ。
靖国通りの歌舞伎町一番街の前で車が止まった。
「情報が入ったら連絡してくれ」
「好」
車を降り、歌舞伎町一番街のアーチを潜った。
一番街を歩いていると“食”と書かれた焼鳥屋の前に来た。ここが俺のねぐらだ。
二階建ての作りで、一階は焼鳥屋で二階が俺の家だ。家を探してる時、ここの店長と知り合い、店に落書きをする奴がいるとの事で、ようはそいつを追い払えってくれるなら住ませてやると言われた。
店の横に階段があり、そこから二階に行ける。俺はその階段を上がり、二階に行った。
ドアの鍵を開け、中に入った。正面のリビングのテーブルの上には空になった酒のボトルや灰皿から溢れ返った煙草の吸い殻の山、カップラーメンなどが散乱していた。右にドアがある。ここが寝室になっている。取り合えず、片づける事にした。空のボトルをゴミ袋に入れ、煙草をコンビニの袋に入れた。
ある程度綺麗になったので、コートを椅子にかけ、寝室に向かった。
寝室はベッド一つだけだった。ベッドに腰をおろした。腰に付けたホルスターを取った。ベッドのマットをめくった。中に茶色のホルスターが銃を収めた状態で出てきた。
ホルスターを取った。替わりにもう一つのホルスターをマットの下に置いた。マットを元に戻し、ホルスターから銃を取り出した。パラ・オーディナンスP14だ。
弾は.45ACPを使っており、コルト・ガバメントと形が似ているが、全くのオリジナルの銃だ。
安全装置が掛かっているか確認し、ホルスターに戻した。
「いや。特に気になる事は無かったぜ」
男は車の底に潜り、調節しながら言った。木村はタイヤの上に座りながら聞いていた。
「ほんとか?」
男は顔に油を付けながら出てきた。
「あぁ」
タオルで顔を拭いた。木村はため息をつきながらラークを取り出した。
「おい」
見上げた。男は眉間にしわを寄せながら立っていた。
「ここは禁煙だ」
男は壁に指をさした。その先には禁煙のマークが貼ってあった。木村はタイヤから立ち上がり、外に出た。
「邪魔したな」
木村は茶色いフィルターをくわえながら言った。
区役所通りを歩き、ゴールデン街の裏通りに入った。まだ昼だが人の量はまずまずだった。青いネオンで天国と映った二階建ての売春宿に入った。
「お早う御座います。木村さん」
入り口にいた男が笑顔で言った。木村は微笑みながら手を振った。
通路を歩いていると目の前から肌を露出した服を着た女達が猫の様な声で来た。
「お早う御座います。木村さん!」
何人かの女が腕を組んできた。
「今度あたしの所に来てよ木村さん!」
「ちょっとずるいわよ!」
「そうよそうよ!あたしの所に来てよ木村さん!」
忽ち女同士で口論になった。人気者は辛いな。
「分かった分かった。順番に君たちの所に行くよ。先ず最初に君だ」
適当に正面にいた女に指をさした。
「もうそれぐらいにしてやれよ」
後ろから男が微笑みながら来た。
―この男は天国のオーナーで伊藤建。二十五歳。一九九○年十一月二十四日生まれ。こいつとは街のガイドをやっている時に知り合い、それから俺の数少ない友人の一人だ。
「は〜い」
女達が通路を歩いていった。
「まぁ、入れよ」
伊藤がドアを開けた。木村は部屋の中に入った。
部屋の中は白い壁で木製の大きなデスクが窓際にあった。木村は目の前の椅子に座った。
「で、今日は遊びに来たのか?いろいろいるぞ。アメリカ人?フランス人?ロシア人?タイ人?中国人?日本人?」
伊藤はニヤニヤしながら言った。
「そんなんじゃない」
伊藤がデスクの上に置かれた酒のボトルを持った。
「冗談だよ」
グラスに酒を入れた。
「最近、劉の様子がおかしい」
「劉?劉偉の事か?」
伊藤が一口飲んだ。
「あぁ。頻繁に大林組の幹部の吉田敦史と会ってるみたいだぜ」
「いや、大林組とは最近もめてな。それで劉が行ってるんだ」
伊藤はへぇーと言う様な顔で見た。
「だが、念のために調べてくれ」
伊藤はショートホープを一本取り出した。
「お前は?」
「俺は明日から林さんの女のお守りなんだよ」
「女がいたなんて初耳だな。どんな女なんだ?可愛いのか?」
伊藤が顔を近づけてきた。女の話になるといつもこうだ。
「情報頼むぜ」
伊藤が何か言う前に立ち上がった。
「へいへい」
ふてくされていた。ドアノブを回した。
「気をつけろよ。昨日からこの街の雰囲気が変わった」
「いつもの事だろ」
部屋を出た。
俺はねぐらに戻り、寝ていた。さすがに昼からずっと歩いていると疲れるものだ。
「木村さん」
暗闇の中から声が聞こえきた。
「起きて下さい」
目を開けた。若い男が俺の体を揺すっていた。
「何だよ?」
目を擦りながら言った。腕時計を見た。七時二十九分。
「何か物騒な連中が下に来てますよ」
その言葉で少し目が覚めた。起き上がり、窓から下を見た。黒く派手なスーツ。髪をつんつんにした男達。一目で分かった。大林組の連中だ。“面倒な事にならなければいいが”と思いながらコートを着た。
階段を下りた。男達が一斉に中村を見た。
「何の用だ?」
「若頭が呼んでます」
ラークを取り出した。
「呼ばれる用な覚えはない」
火をつけた。脇腹に何か当てられた。銃だ。コンパクトなオートマチックのS&WM5906だ。コンパクトの割に装弾数が十四発も入る銃なのだ。
「一緒に来て貰いますよ」
煙草の煙を正面にいた男に吹きかけた。
「こんな水鉄砲で脅そうってのか?」
笑いながら言った。左にいた男が近づいてきた。透かさず腹にパンチを食らった。
「連れてこい」
両端に男達に腕をがっちりと組まれながら歩いた。
靖国通りに黒いベンツが止まっていた。その車に入った。両端に二人が乗り、前に一人乗り、車が動き出した。車は靖国通りを区役所通りに向けて走り、区役所通りに入り、風林会館を横切り、ビルが立ち並ぶ歌舞伎町二丁目に来た。車が止まった。右にいた男が降りた。
「降りろ」
木村は車を降りた。雑居ビルの中に入った。正面のエレベーターに乗った。窮屈だった。エレベーターを降り、事務所の中に入った。入ると、正面に男が堂々とデスクの上に足を置き、葉巻を吹かしていた。
―この男が大林組の幹部、吉田敦史。三十七歳。一九七八年一月十五日生まれ。空手の達人らしく。昔、かちこみにあったが素手で全員半殺しにしたという噂が広まった。所詮、噂だ。
「連れてきました」
「おう」
デスクの前まで行った。
「何の用だ?用が無いなら帰るぜ」
吉田が睨んできた。正にヤクザだ。
「まぁ、座れ」
木村は目の前の椅子に座った。
「ブツは何処だ?」
葉巻をガラスの灰皿に擦りつけた。
「何の事だ?」
「とぼけるな。倉庫のブツの事だ」
「そりゃこっちのセリフだ!俺が知りたいぐらいだ」
吉田はデスクの引き出しから何か取り出した。写真だ。
「こいつらを知ってるだろ?」
写真には楓林閣で襲ってきた男達だった。
「こいつらは昨日の十一時頃、楓林閣に来ていた呉を拉致るために行った。だが戻ってこなかった。全員死んでたんだよ。一人を除いてな」
手に汗が滲んできた。
「何故お前は生きてる?そもそも何で、倉庫を担当している呉がお前と一緒に飲んでる?」
「誰からそんな事を?」
吉田は写真を引き出しにしまった。
「それは問題じゃない。だろ?」
拳を強く握った。
「話を戻そう。ブツは何処だ?」
「知らん」
「早く見つかった方がお互いの為じゃないか?」
木村は立ち上がった。後ろのドアに向かった。吉田が笑顔で手を振っていた。
「また会おうぜ」
ドアを勢いよく閉めた。
吉田はグラスに酒を入れた。
「これでいいんだろ?」
奥の部屋から眼鏡をかけ、目が鋭く、紺色のスーツを着て、ズボンのポケットに手を入れながら入ってきた。
「上出来だ」
―この男は林の右腕であり、蛇頭を仕切っている劉偉。三十九歳。一九七六年八月七日生まれ。頭の回転が早く、広東語以外に日本語と英語ができる。
「あんたの計画は本当に大丈夫なのか?」
吉田は劉に酒の入ったグラスを渡した。
「心配するな。言っただろ?悪くない話だと」
「あぁ。あんたに任せるよ」
木村は花道通りを考えながら歩いていた。
まず、そもそも呉は何故俺を誘った?奴とはそれほど仲が良い訳でもないのに。次に何故俺があそこにいた事を知ってるのか。あの時間は誰も人を見ていない。次に吉田の言葉だ。奴は拉致するために行かせたと言うが、明らかに殺す気で行かせた筈だ。何故なら男が入ってきた時の目だ。冷酷な目だった。拉致る奴の目じゃない。
ラークを取り出し、火をつけた。胸の中にあるイライラを徐々に消していった。
「大丈夫?」
振り向いた。高橋絵里だった。
「何ともない」
「ねぇ、この後用ある?」
煙草の煙を深く吸い込んだ。
「いいよ。丁度何かしたかったんだ」
「じゃ、決まりね」
高橋が笑顔で腕を絡ませた。どうやら今日は高橋と夜を過ごす様だな。