表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
こてつ物語1  作者: 貫雪
8/13

その八

 さて、礼似がタエと話をしていた頃、勇治は「トイレ」と言って、ほかの病棟へと足を運んでいた。

 この病院に来てからずっと気になっていた場所だ。礼似達の話も気にはなったが、それ以上に気に留めずにはいられなかった。

 勇治はとある大部屋の入り口から中を覗いた。見舞客はいないようだ。

 ホッとしていた所に後ろから声を掛けられた

「お兄ちゃん?」勇治の妹良子だ。


「久しぶりね。家を出てからお父さんにも連絡してないんだって?」

 少し非難めいた口ぶりだ。勇治にしてみれば とても顔を上げる気にはならなかったが、不信がられても困るので

「忙しくてさ」とだけ答えた.。

 やむを得ず勇治は良子のベッドのわきの椅子に腰かけた。父親がいなくて助かった。父はいつも忙しくして良子の見舞いにもなかなか行けない事を気に病んでいたが、今の勇治には都合よい。

 礼似が自分の母と言うことは父親は昔礼似と……。

 こんな状況で父親と顔など合わせられたものではなかった。


 それに勇治としては今度良子に会う時は、今後の入院費を気にやまずに済むだけの大金を携えて、颯爽とやってくるはずだったが、実際には逃亡の末一文無しで人にかくまわれる身となってしまった。

 地道に働くばかりで母にも良子にも楽をさせられない父に不満もあったが、自分の方が情けない状態で良子に面会する羽目になり、勇治としては面目丸つぶれである。

「顔色が良くなったな」勇治は当りさわりのない言葉をかけた。

「でしょう? 来週一時退院の許可を貰えたの。久しぶりに家に帰れるわ」

 勇治の心情など知らずに良子は嬉しそうだ。

「お正月以来ね。年末のガラス拭きは楽しかったなあ」

 勇治も思い出した。正月前に良子と二人で居間のガラスを磨いたのだ。良子は洗剤のわずかな臭いに負けてすぐに休んでしまったが。

「私はお母さんみたいになれないね。家事、まるで習ってないもの」

 良子は寂しげにつぶやく。勇治は切なかった。

 若い盛りの少女がガラスを磨くことに憧れるとは。本当なら遊びにおしゃれにと忙しく過ごす年頃なのに

「お前の出来る事をすればいいんだよ。でも勉強も根を詰めると身体に響くぞ」

 勇治は手近にあったノートを広げながら言った。

 教科書や参考書の要点がぎっしりと書きこまれている。熱心に学んでいるのだろう。


「お父さんにも言われたな。兄弟そろって結果が出ないと気が済まない。せっかちな自分に似て困ったもんだって」

「父さんにせっかちな所なんてないだろ?」良子の意外な言葉に勇治は反論した。

「それが若い頃はとってもせっかちで沢山失敗してるんだって。二人揃って悪いとこばかり似て困るって」


 勇治は意外だった。自分が父に似ていると思ったことも無かった。

 考えてみれば父は自分の母より、再婚した母との時間の方がずっと長かったはずだ。情熱的な恋の後に母との穏やかな時間を過ごしたわけである。

 ついつい忙しい二人の姿ばかりに目を奪われたが二人の幸せな時間もあっただろう。

 父が自分に似ているなら、自分の情熱も一時のもので、いずれ穏やかな世界を望む日が来るのだろうか? そんなことを考える勇治に良子がぽつりと言った。

「お母さん、幸せだったんだろうな。お父さんと一緒になって、いろんなお仕事もして、お兄ちゃんや私を育てて。私もそうなりたいな」

 自分が父の事に思いを巡らせる間に良子は母に思いを巡らせたらしい。

 考えると父を親と考えても男として見たことはない。若い父の青春を考えると別の顔が見えてくる。

 良子も同じように一人の女性としての母を思い浮かべているのだろうか? もしかすると誰かに想いを寄せているのだろうか。たとえ入院ばかりの日々でも良子なりの充実した日々があるのかもしれない。


 俺は家族の事を大きく誤解していたんじゃないのか?


「母さんには母さんの幸せがあった。良子もお前だけの幸せがあるさ。相談したい事が出来たらいつでも言えよ。大したことは言えないが」勇治は真面目に言った。



 勇治は病室を出る頃には心のどこかが穏やかになっている事に気付いた。

 少なくとも大金をせしめて妹を幸せにしようと言う気はすっかり消えていた。自分がやることはそんな事ではない気がした。

 父へのおかしな嫉妬心が返って家族の別の姿を見せてくれた。

 心の熱が程良く覚めた気がした。


 その頃御子は礼似から連絡を受けていた。自分に顔を見せず電話で言って来たのは心を読まれて、一層のショックを受ける事を避けたのだろうと思った。


 そう、元の真柴の組員は御子も少女の頃から良く知っていた人間だった。組を裏切ったとはいえ同じ釜の飯を食ったのと同じような仲で、麗愛会の甘い言葉にのせられていなければ、今でも同じ組で生きて行けたはずである。

 宿題を教えてもらった少女の頃。二十歳になってやっと組長の許可が得られて水杯を交わした日。殺されたであろう二人もそこにいた。

 御子は心の内側に悔しさと言う黒い影が自分を侵食していく気がした。とても冷静ではいられなかった。


 残念ながら二人とも翌日には遺体で発見された。TVニュースが暴力団同士の抗争と言うお決まりのセリフで事件を伝えていた。もちろん真柴の組員達は騒然としている。組長は何と言ってくるのだろうかと誰もがかたずをのんで組長の支持を待った。

 しかし組長は「うちは無関係だ」といった。

 さすがにこれには御子も声をあげた。

「無関係は無いでしょう! 二人とも元はうちにいたんだから! 悔しくない訳無いじゃないですか。いいように引っこ抜かれた組員を無駄に殺されて黙ってられないわ!」

 ほかの組員も当然騒ぎ立てる。組の面子としても、個人の心情としても我慢出来なかった。


 組長は御子を真っ直ぐ見た。とっさに御子は視線をそらしたが

「御子、来なさい」

 と、一言言うと席を立った。御子は後をついて行く。ふと懐かしい思いがよぎる。

 そうだここへ来たばかりの頃は父親代わりの組長に「来なさい」と言われてお説教されたものだ。まるで子供に戻った扱いね。御子は一瞬の感慨にふけりながらも、組長の部屋へと入る。

 この部屋でこうして向かい合うのもあの頃と同じ。


 その時御子は感じ取った。組長はわざとあの頃の事を思い出させようとしている。あの頃の私はこんな時にどうしていたんだろう? 黙って説教を聞いていただろうか? それとも……


 そんな事を考えていると組長が御子に聞いてきた。

「お前は二人とも無駄に殺されたと言った。本当にそう思うか?」

「無駄は言い過ぎかもしれないけれど、殺される必要はなかったじゃないですか。それも、元うちの組員をよその組織の下で使わせて、役に立たなかったら命まで取るなんてやり方、許すわけにいかないでしょう?」

 御子はそういいながら組長の様子に違和感を感じていた。本来ならこういうことに一番怒りを表す組長が、無関係をきめこむなんて不自然だ。なぜこんな冷たい態度を取るのだろう?


 御子は組長の真意を知りたい思いに駆られる。自分は心が読める。しかし……


 御子は戸惑う。人の心なんて読んでもいい事なんて無い。

 自分の期待通りの感情が読めるとは限らない。人は良い部分も汚い部分もある。うかつに心に踏み込めば、汚い心も受け止めなければならなくなる。読んでしまえばいたたまれなくなることも多い。相手も恥ずかしいだろう。

 尊敬する人なら、なおさら本音なんて見たくはない。今まで一瞬の真実のためにどれほどの失望を味わって来ただろう。

 そんな御子を見透かしたように組長が言う

「私の心を読みなさい」

「それはしたくありません」ことわる御子に組長は

「昔とは逆だな」とほほ笑んだ。

 御子は思い出した。そう、子供の頃組長にこの部屋で食ってかかったのだ。


「なぜ、そこまで人の心を覗いてはいけないの? 全部を見るんじゃない。知りたい所を少しだけ、みんなの役に立つ所だけ見たいだけなのに」


 あの頃はなんて単純だったのだろう。自分さえうまくやればこの力は人の役に立つ、自分の武器になる力だと信じ切っていた。


 あれから紆余曲折。御子は人の心を読むことの恐ろしさに脅えるようになる。

 可能な限りそんな事態は避けて来た。なのに、よりにも寄ってこんな状況で心を読めとは。組長の真意など自分に直接話せば済む事なのに。と、戸惑う御子に組長は、

「勇気を出しなさい」と、促した。

 御子は半ばやけになり組長の目を捕らえた。


 その心の中は暗い怒りに満ちていた。そこから過去の映像が飛び込んでくる。組長は真柴を出て麗愛会へ行った者達と話していた。


「どうしても行くか」組長が無念を押し殺しているのが伝わる

「すいません。良平さんがあそこまでして下さったんですが……ダメでした。俺達が重ねた借金は麗愛会が絡んだものばかりでしたから、もうどうしようもない状況で」

「そうなるように最初から仕組まれていたんだろう。うちが苦しくなるように周到に計算した末の結果。分かっていながらどうする事も出来なかった」

「いえ、金が絡まなかったやつらが無事だったんですから。むしろこてつ組さんのおかげで麗愛会の勢力は大きくそがれたし、俺達も向こうへ行っても二度と真柴に手を出させないつもりです」

 その言葉に組長は意を決した。


「その気持ちがあるのならお前達、華風組と麗愛会の仲立ちをしてくれ」その言葉には皆が驚いた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ