その六
礼似が由美とタエをかばうように前に出る。勇治も礼似の方へ近づいてゆく。その時、
「メンツが同じじゃないのはこっちも一緒さ」と言う言葉と共に店から良平とハルオが出てきた。
良平を見た男達はぎょっとした顔をしたが
「今日は何としてもその女を連れて帰りたいんでな。ためらっている暇はねえんだ」
そう言って礼似に手を伸ばすと、他の男達も、一斉に勇治や良平、ハルオ達に襲いかかって行く。
礼似は由美を勇治は礼似を、良平とハルオはタエをかばう形になった。以前はほとんど丸腰同然だった男らも今日は手にナイフや木刀を手にしている。
しかし礼似は身のこなしが素早く、良平も簡単にかわしてしまう。ハルオもちょろちょろとすばしっこく、勇治も礼似に無様な姿は見せまいと、おおいに善戦した。
おまけにこてつまでもが男達の足にかみついた。
目の前の相手だけでも目いっぱいだった男らにとって、足元の犬にまでは気が廻らなかった。次々とこてつにかみつかれ、悲鳴を上げては礼似達に殴られるありさまだった。
こてつを蹴り飛ばそうとする者もいたが、こてつは見た目に似あわぬ筋肉質な身体で跳ねるように駆け回りかみついた。
結局十分ほどで男らは三々五々逃げ出した。最後まで由美を捕まえようとした一人は勇治に顔を殴りつけられ、その場に延びてしまった。それを見た由美は
「まあ、なんてことするの? かわいそうに」と、男を抱きかかえる。
「かわいそう? こいつはあんたを襲ったんですよ。自業自得だ」
だが由美も譲らない
「だって他の人は逃がしてあげたじゃないですか! 何も気を失うまで殴る必要はないでしょう? 救急車を呼びましょう」
「そいつのためにですか?」勇治はあきれた。
「頭に何か障害が残るかもしれないでしょう? 救急車を呼んでください」
由美は頑として言い張った。
むくれる勇治を横目に礼似は救急車の手配をした。勇治はあらためて礼似に礼を言った。
「すんません二度も助けてもらって。でもこいつら華風の連中じゃないな」
「恥ずかしながらこいつらは麗愛会の連中ね。私の組の顔が何人かいた。伸びてるこいつは知らないけど」礼似は男を見降ろした。
「どの道、俺が自分でまいた種であんたをを巻きこんじまった。聞いたよ、俺、あんたの息子なんだってね」
礼似は慌てた。自分が付いた嘘など由美の事ですっかり忘れていたのだ。
「そ、その話はまた後で」
礼似は話をごまかそうとしたが、勇治は言葉をひったくる。
「いや、言わせてくれ。俺はあんたに謝んなきゃならない。あんたの恩に報いる事が出来ないだけじゃない。長年俺を見守ってくれたあんたを裏切るも同然だが……自分に嘘はつけねえよ。俺……あんたに惚れちまってんだよお!」
礼似は目眩がしてきた。(いつの間にこんな事になってんの?)
「あ、あの、それは……」礼似はしどろもどろだ。
「なんてこと言うんだ!」今度はハルオが叫んだ。
「お前それがようやく会えた実の親に言う言葉か! 頭冷やしやがれ!」
頭に血がのぼったのか、自分がどもっていない事さえ気づかない。
「しかたねえだろ! 本心だ! なんだい、自分はあの家政婦に声もかけられねえくせに!」
意味もなく痛い所を突かれてハルオも言い返す。
「何言ってんだそんなことお前にどうこう言われる筋合いはないぞ!」
ハルオが勇治に殴りかかるのを、良平が慌てて押さえつける。
「さっきだっていいとこ見せようと張り切ってたじゃないか!」
今度は勇治がつかみかかろうとして礼似に抑えられる。
その時後ろでどさりと大きな荷物の落ちるような音がした。
「タエさん!」
由美が慌ててタエのもとへ駆け寄る。あまりのショックにタエが気を失って倒れたのである。
ハルオが喧嘩を投げだしてタエのもとへ駆け寄り、勇治は礼似を見て真っ赤にのぼせあがり、礼似は呆然とし、良平は頭をかき、こてつは呑気そうに大きなあくびを一つした……。
結局救急車は二台呼ばれ(由美がタエの乗る分も呼ぶように主張したため)店先には野次馬があふれ、全員警官に事情を聞かれる羽目となったが、由美が自分に絡んできた男達から皆が守ってくれただけで、気を失った男には偶然勇治の手が当ったのだと言い張ったので事件扱いにはされなかった。
しかも全員が病院に行ってみると運ばれた男は言葉が通じず、金を医者に渡して姿を消してしまったという。
幸いけがはただの打撲で由美は大いに安心したが、礼似は自分の知らない麗愛会の一面を見せつけられた思いだった。
いつの間に国外の人間を利用するようになったのだろう?
少なくとも礼似の知る麗愛会の組長は国外勢力には慎重な態度で臨んでいたはずだ。気質も考え方も大きく違う相手は本当に対等な外交力が必要になる。そのためのこてつ組傘下入りではあるが、各組の力のバランスが落ち着きを見せるまで、軽率な行動は取るべきではないと常から言っていた。
それなのに麗愛会の人間が国外の人物と行動していた。これは組長が方針を覆す何かがあったのだろうか? それとも……。
「気が付いたわ、よかった」由美の声で礼似は我に返った。どうやらタエが目を覚ましたらしい。
医者はただショックを受けただけだと言ったのだが、由美はタエの目が覚めるまで気が気ではなかったらしい。
ホッとしたのか由美はのどが渇いたといい、下のロビーで何か飲む事にした。その場にいた者達がぞろぞろと病室を出ようとすると、タエが礼似を呼びとめた。二人で話がしたいらしい。
それはそうだと礼似はうなずいた。
タエは、礼似がタエの存在に気付かせずに、勇治をハルオ達にかくまわせるため、嘘をついている事を知らなかったのだ。当然詳しい事情を聞きたいに違いない。(礼似自身、すっかり忘れてしまっていたのだが)
しかしタエが礼似に告げた言葉は礼似の予想外だった。
「礼似さん。あの子の気持ちに答えてやることは出来ないかしら?」
礼似はまたしてもめまいに襲われそうになる。(倒れたいのはこっちだわ!)と心で叫びつつ、
「私にその気はないですよ。年だって親子ほども違うし、これでも昔は“美人局の礼似”と呼ばれた女ですよ。こんな女に大事な息子を預ける気ですか?」
タエは薄く笑って言った。
「何もあの子と本気で連れ添ってくれと言ってるわけじゃありませんよ。それでも私はかまわないけれどね。とにかく今、あの子はあなたにのぼせ上がっている。その間あの子の身を守ってもらえないかと思って。勝手なお願いなのはわかってますが」
母は強しとは良く言った物。数分後礼似はしばらくは由美を守りながらではあるが勇治と行動を共にすることを約束させられていた。
「世の母親って息子のためなら詐欺師にだってなれそうだわ」
自分が本物の詐欺師であることは棚に上げ、礼似は毒づきながら病室を後にした。
が、そこで意外な人物とばったり出会った。こてつ組会長である。
さすがの礼似もこれには慌てた。ついさっきまで由美を危険な目にあわせたばかりである。
「会長、申しわけ御座いませんでした」開口一番、礼似はわびの言葉を口にした。
「礼似か、どうした?」
こう問われて礼似はやっと気付いた。会長は大きな花束を手にしている。誰かの見舞いだろうか?
「奥様を連れ去ろうとする者が麗愛会にいました。もちろん奥様は無事ですが、間違いなくうちの者が数人見受けられました」
礼似は頭を下げたまま報告する。どうやらさっきの一件はまだ会長の耳には届いていなかったようだ。
「会長はどなたかのお見舞いにいらしたのでしょうか?」
会長は一瞬顔色を変えたが、すぐに考え深げな表情に変わり
「礼似、お前もついてこい」と言って、病連の奥へと歩いて行く。礼似もあとに従って行った。
とうとう一番奥の病室に着くと、会長は軽くノックをする。「どうぞ」と、中から礼似の聞きなれた声が聞こえた。
先に病室に入った会長に促され、礼似が中へ入るとそのベッドの上には麗愛会の組長が横たわっていた。
礼似は驚いた。組長が入院していたなどと聞いていない。ほんの三日前に組員達の報告を事務所で聞いている姿を見たばかりである。
しかし目の前の組長の顔色はひどく青ざめていた。つくづく今日はなんて日だろうと礼似は呆然としていた。
「会長、すいません。わざわざ」
そう言って組長は身体を起こし、背筋をぴんと伸ばした。さっきの顔色が嘘のように引き締まり、いつもの威厳が戻っている。
「礼似を呼んだのですか?」組長が不思議そうに尋ねた。
「いや、彼女は偶然居合わせただけだ。しかし話を聞かせた方がいいと私が判断した」会長が答える。
「そうかこれも巡り合せか」組長がそっとつぶやいた。
「会長うちの組員達をお願いします。私は麗愛会をたたむ事にしました」組長が真っ直ぐ会長を見据えて言った。
「決心されましたか」
礼似の前に立つ会長の表情は見る事が出来なかったが声は穏やかだった。
組長はすべてを悟ったかのように静かな目をしている。
礼似は驚きながらもたった今自分の組が終わりを告げた事を知った。麗愛会の名は消え、自分達はこてつ組に命を預ける事になったのである。
礼似は会長に一礼した。