悪役令嬢は、欲しいものだけいただきますの!~宝くじより大当たりの転生でしたので、王子も乙女ゲームも必要ありません~
悪役令嬢ものを書きたくなり、試しに冒頭を短編として書いてみました。
設定だけはどんどん膨らんでいますが、連載にするかは迷い中です。
目を覚ますと、天蓋があった。
白い薄布が幾重にも垂れ、金色の飾りが朝の光を弾いている。
天井も遠い。
寝返りを三回打っても端へ届きそうにないベッドには、柔らかな掛布がふんわりとかけられていた。
私はしばらく、それを見上げていた。
天蓋。
これは、天蓋付きベッドというものではないだろうか。
「……当たった?」
掠れた声と一緒に持ち上がったのは、小さな手だった。
指が短い。皺も染みもなく、爪は可愛らしい桜色をしている。
恐る恐る頬へ触れてみる。柔らかい。乾燥していない。目尻に気になるものもなければ、顎の辺りを撫でても、いつの間にか生えている一本だけ妙に太い毛も見つからなかった。
肩も軽い。腰も痛くない。起きた瞬間から身体のどこかが重いという、あの馴染み深い感覚が消えている。
試しに両脚を上げてみた。
軽々と持ち上がった。
「おお……」
「レティ!」
金色の髪を振り乱した男性が駆け寄ってくる。その後ろから、銀に近い淡い髪の女性が、長いドレスの裾をものともせず走ってきた。
二人とも、驚くほど顔が整っている。
男性は二十代半ば。女性は、それより少し若く見えた。
疲れた顔で横になっている誰かを起こし、食事や薬を気にする必要など、どこにもなさそうな若さだった。
「ああ、よかった! 目を覚ましたんだね! どこか痛いところはないかい? 苦しくは? 寒くないか? 暑くないか? パパの顔は分かる?」
「あなた、一度に聞いたらレティが困るでしょう。お水を持ってきてちょうだい。それから先生を。急いで。でも廊下は走らないで。転んだら困るわ」
「は、はい、奥様!」
部屋に控えていた侍女たちが一斉に動く。
指示を出す女性は、私の額へ手を当てた。
「熱は下がっているようね。レティ、お母様よ。分かる?」
お母様。
では、先ほどパパと名乗った美形男性がお父様。
私は自分の小さな手を見て、豪華な部屋を見回し、もう一度二人の顔を見た。
宝くじは買っていなかった。
仕事を辞めたいと思うたび、宝くじが当たればと何度も夢見ていたくせに、ここ何年かは売り場へ寄ってすらいない。
買っていないから当たるはずがない。
それなのに、どうやら私は、一等どころではない何かを引き当てたらしい。
「……レティシア?」
その名前を聞いた瞬間、頭の奥で、白い光が弾けた。
そうだ。
私は死んだ。
前世で最後に何をしていたのかは、どうにも曖昧だった。
劇的な最期ではなかった気がする。
少なくとも、誰かを庇って車に轢かれた覚えも、世界を救って力尽きた記憶もない。
日々の大半は、仕事と家の往復だった。
帰宅しながら明日の献立を考え、寝る前に翌朝がゴミの日か確認する。
休みの日になれば、どこかへ遊びに行きたいとは思うのに、帰ってきた後の疲れや、その夜の食事や片付けを想像し、結局やめてしまう。
仕事に家事に介護。
目の前のことを一つ片づければ、次の用事が待っていた。
宝くじが当たったら仕事を辞めてやる。
そう思っても、売り場へ寄るために帰り道を少し外れることさえ面倒だった。
休日にわざわざ買いに出る気力など、もっとない。
そうして私は、宝くじが当たったら始めるはずの優雅な生活を想像しながら、当たる可能性が完全にゼロの毎日を送っていた。
その人生が終わった後。
私は、妙に空いている場所へ辿り着いたのだ。
◇
「次の方、どうぞ」
呼ばれて顔を上げると、窓口が一つだけ開いていた。
白い空間に、白い机。
向こう側には、白い服を着た人が座っている。
役所にも銀行にも見えたが、番号札を握って待つ人は一人もいない。
案内板もなければ、隣の窓口もない。
「空いてますね」
思わず口にすると、白い服の人は手元の書類から顔を上げた。
「本日は珍しく、空いております」
「待ち時間、ゼロですか?」
「はい。すぐに承れます」
「ラッキー」
どこへ行っても待たされるのが当たり前だった身には、それだけで幸先がいい。
椅子へ座ると、相手は私の名前らしきものが書かれた紙を一枚めくった。
髪は白くも黒くも見え、若いようでも、年を重ねているようでもある。
男性か女性かも分からない。
ただ、この人が人ではなく、神様と呼ばれる存在なのだということだけは、説明されなくても分かった。
「あなたの前世は終了しました」
「やっぱり死んだんですね」
「はい」
「原因を聞いても?」
神様が書類へ視線を落とした。
「詳しくお知りになりたいですか?」
聞けば納得できるかもしれない。
しかし、聞いたところで元へ戻れるわけでもなく、何かの役に立つとも思えない。
「聞いても生き返りませんよね?」
「戻ることはできません」
「じゃあ、いいです」
「切り替えが早いですね」
「四十年以上生きれば、どうにもならないことへ使う体力が勿体なくなります」
「では、次の人生についてお話ししましょう」
机の上へ、何枚もの紙が現れた。
「ご希望の世界、種族、能力などを、可能な範囲で選んでいただけます。剣と魔法の世界、科学技術の進んだ世界、平穏を重視した世界――」
「平穏なところで」
「即答ですね」
「戦争も魔物も疫病も、遠くで聞くだけなら物語ですけど、当事者になるのは嫌なので」
「魔物は存在しますが、人の暮らす地域はおおむね平穏な世界があります」
「それでお願いします」
神様が一枚目の紙へ印をつける。
「次に、特殊な能力についてですが」
「使わなくても暮らせます?」
「もちろんです。魔法を使えない者も珍しくありません」
「では、要りません」
「まだ説明していませんが」
「強い力をもらったら、何かを頼まれそうじゃないですか」
「例えば、類い稀な魔力や、あらゆるものの価値を見抜く鑑定能力、物を大量に収納できる力などもございます」
確かに便利そうではある。
しかし、珍しい力を持っていると知られれば、使ってくれと言われる。
魔法が強ければ戦いへ呼ばれ、鑑定ができれば仕事が集まり、収納能力があれば荷物持ちにされそうだ。
「それを使って働くことになります?」
「使い方によっては」
「要りません」
「世界を救う使命なども」
「その世界、今すぐ滅びます?」
「その予定はありません」
「なら、専門の方にお任せします」
神様は黙って二枚目の紙を裏返した。
「では、どのような人生をご希望ですか?」
待ってました。
私は椅子へ座り直し、両手を机の上で組んだ。
「まず、お金持ち」
「まず」
「はい。少し余裕がある程度ではなく、一生普通に使ってもなくならないくらい」
「ずいぶん率直ですね」
「貧乏から始めて努力で成り上がる人生は、希望していません。もう働きたくないので」
次の人生でまで、朝から晩まで働くつもりはない。
「それと、若くて健康な身体。家事をしなくていい生活。食事、洗濯、掃除をしてくれる人が最初からいるところ」
「使用人を雇える家、ということでしょうか」
「雇うところから始めるのは困ります」
現代で大金を得ても、家へ入れる人を探し、身元を調べ、契約を結び、仕事ぶりを確認しなければならない。
信用できる人かどうかも分からない。財産の管理を任せた相手が不正をしないか、個人情報を漏らされないかという心配も増える。
「お金だけあっても駄目なんです。財産を安全に管理できて、家を守る仕組みがあって、信用できる人が最初からいる生活がいいです」
「注文が具体的ですね」
「小市民として長く生きましたから。急にお金だけ渡されたら、それを守るのも仕事になります」
「なるほど」
「あと、家族は優しい人がいいです。できれば元気な両親で、私が誰かのお世話をしなくてもいい環境」
最後の言葉だけ、少し声が小さくなった。
介護をしたこと自体を、後悔しているわけではない。
ただ、次の人生でくらい、自分のことだけを考えてみたかった。
明日は何を作れば食べてくれるだろう。薬は飲んだだろうか。転ばないだろうか。仕事へ行っている間に何か起きないだろうか。
そんな心配をせず、行きたいと思った日に出かけて、帰宅後の食事も片付けも気にしない。
一度くらい、そんな人生を送ってみたい。
神様はただ、希望を書き留めながら静かに頷いた。
「兄弟姉妹は?」
「相続争いは嫌です」
「では、一人娘で」
「娘で家を継げますか?」
「法律上は可能です」
「では、正式な跡継ぎにしてください」
「結婚についての希望は?」
「今のところ要りません。必要になったら、その時に考えます」
「子供は?」
「欲しくなったら、養子を迎えられますか?」
「制度はあります。ただし、宗教上の慣例が――」
「法律では可能なんですね?」
「はい」
「なら大丈夫です」
神様は、ほんの一瞬だけ何か言いたそうな顔をしたが、結局そのまま筆を動かした。
「ほかにありますか?」
「老後の心配を、しばらくしなくていい年齢から始めたいです」
「転生自体は赤子からとなります。ただし、前世の記憶が戻る時期は選べます」
「では、意思疎通ができる五歳くらいで」
「承りました」
「条件に合う家はありますか?」
「一つございます」
神様が紙の束から、一枚を抜き出した。
「大陸有数の資産を持つ公爵家です。まもなく一人娘が生まれる予定で、その娘が家督を継ぐことも決まっています。両親は健在で、領地の経営も安定しています。先代の頃から仕える忠臣がおり、使用人と護衛の管理体制も整っています」
「そこ!」
思わず身を乗り出した。
「まだ説明の途中ですが」
「借金は?」
「ありません」
「親戚に財産を狙われていたりは?」
「現時点では問題ありません」
「両親が急死する予定は?」
「ありません」
「領地で反乱が起きたり、戦争へ巻き込まれたりは?」
「近い将来にはありません」
「決まり! そこにします!」
神様は、三度ほど目を瞬いた。
「本当に特殊能力は不要ですか?」
「その家に生まれること自体が、もう特殊能力みたいなものでは?」
莫大な資産があり、信頼できる人がいて、働かなくても安定した収入がある。
下手な魔法より、よほど強い。
「では、手続きを進めます」
「お願いします!」
「新しい人生に、幸いがありますように」
神様が書類へ最後の印を押した。
白い光が視界を覆う直前、私は一番大切なことを聞き忘れた気がした。
けれど、何だったのか思い出せないまま、意識は光の中へ溶けていった。
◇
「レティ?」
呼びかけられ、私は天蓋付きベッドの上へ戻ってきた。
目の前では、美しいお母様が心配そうに私を見つめている。お父様は侍女から受け取った水の入った杯を持ち、今にも自分で飲ませようとしていた。
「お水を飲めるかい? 無理なら、パパが口移しで――」
「あなたは下がっていて」
「はい」
お父様は素直に一歩下がった。
強そうに見えるのに、お母様には弱いらしい。
杯を受け取り、自分で飲んでみる。腕は問題なく動く。水も普通に美味しい。
「レティ、どこか痛いところは?」
「ありません」
「私たちが誰か分かる?」
「お父様と、お母様」
二人の顔が一気に明るくなった。
「ああ、レティ!」
「よかった……!」
左右から抱きしめられる。
柔らかい。温かい。若くて元気な両親だ。
神様の説明どおりなら、私は大陸有数の資産を持つ公爵家の一人娘で、正式な跡継ぎ。
だが、念のため確認しておきたい。
大金が絡むことを、ふんわりした理解で済ませてはいけない。
前世の小市民として、それくらいは知っている。
「お父様」
「何だい? 欲しいものがあるのかい? パパの総資産の半分くらいなら、すぐレティの名義に――」
「あなた。既にいくつもの土地と事業をレティ名義にしているでしょう」
「半分もらっても、まだ残るの?」
「もちろんだとも!」
お父様は胸を張った。
「うちに借金は?」
「ないよ」
「領地は赤字?」
「まさか! 昨年も過去最高の収益だったよ!」
「家を継ぐのは?」
「レティに決まっているじゃないか」
「私が女の子でも?」
今度はお母様が、不思議そうに首を傾げた。
「あなたは私たちの一人娘ですもの。ほかに誰が継ぐの?」
素晴らしい。
これだけでも宝くじ一等を何度も当てるよりすごい。
「ご飯は、誰が作るの?」
「料理人だけれど……何か食べたいものがあるの?」
「洗濯と掃除は?」
「使用人がいたします」
「私は?」
「レティが?」
「洗濯したり、掃除したりしなくていいの?」
両親が顔を見合わせた。
お父様はひどく悲しそうな顔をして、私の手を握った。
「レティ。熱で怖い夢でも見たのかい? お前にそんなことをさせる者がいたら、パパが追い出してあげるからね」
家事、完全免除。
上げ膳据え膳。
私は今後、明日の献立を考えながら眠らなくていい。
外出から帰ってきた後の食事も、溜まった洗濯物も、翌朝のゴミ出しも気にしなくていい。
行きたいと思った日に出かけられる。
疲れて戻ってきたら、そのまま寝ても誰にも迷惑をかけない。
「お父様とお母様は、元気?」
「もちろんよ」
「長生きする?」
お母様が目を丸くした後、ふわりと笑った。
「レティがおばあ様になるまで、元気でいるつもりよ」
私が、おばあ様になるまで。
今の私は五歳。老後を心配するには、あまりにも早い。
若い。健康。金持ち。家事なし。介護なし。借金なし。両親健在。一人娘で後継者争いもなし。
次は、最後の大切な確認だ。
「アルフレッドは?」
私が名前を呼ぶと、部屋の隅に控えていた一人の男性が、音もなく前へ出た。
銀髪をきっちりと撫でつけ、銀縁眼鏡をかけた老紳士だった。背筋は真っ直ぐで、年齢を感じさせない。
「お呼びでございますか、レティシア様」
「アルフレッドは、うちに長くいるの?」
「先代公爵閣下の頃より、お仕えしております」
「うちのお金を持って逃げない?」
お父様が吹き出した。
お母様も口元を手で隠している。
だが、アルフレッドだけは一切表情を変えなかった。
「そのような予定はございません」
「お父様とお母様は、アルフレッドを信用してる?」
「命を預けられるほどに」
お父様は迷わず答えた。
アルフレッドは大袈裟に感動することもなく、深く一礼する。
長年仕える忠臣。本当にいた。
現代でどれほど金を積んでも、今日初めて会った相手との間に、代々積み上げた信頼は買えない。
それが、既にここにある。
「アルフレッド」
「はい」
「私はこれから、何をすればいい?」
「まずはお身体を休めていただきます。その後は、ご年齢に応じた教育を受けていただくことになります」
「一日中、勉強?」
「いいえ。お嬢様のご負担にならぬ範囲で」
「大人になったら?」
「領地と公爵家の重要事項について、ご判断いただきます。日常の実務は、わたくしどもがお支えいたします」
「毎日、朝から夜まで働く?」
「そのような事態にならぬよう、使用人と官吏がおります」
そこまで聞いて、私は掛布の上で正座した。
両親とアルフレッドを順番に見る。
「つまり」
「はい」
「よほど悪いことをせず、必要なことだけ勉強して、最低限の責任を果たせば……あとは好きに暮らしていいの?」
お母様は、当然だと言いたそうな顔をしている。
お父様もすぐに頷いた。
「もちろんだとも。どうして、そんなことを聞くんだい?」
「少し、怖い夢を見たの……」
「そうか。もう大丈夫だからね」
ただ一人、アルフレッドだけが、少し考える間を置いた。
やがて銀縁眼鏡を指先で整え、静かに答える。
「おおむね、そのご理解で問題ございません」
勝った。
私は掛布を跳ね飛ばし、ふかふかのベッドの上へ立ち上がった。
「おーっほっほっほっほ!」
突然の高笑いに、部屋中の人が動きを止める。
構うものか。
宝くじは買っていなかった。
それなのに、金だけでなく、若さ、健康、家族、相続権、安定収入、家事をしてくれる人、財産を守る仕組み、代々仕える忠臣まで、全部まとめて当たったのだ。
もう明日の献立を考えなくていい。
ゴミの日に起こされることもない。
誰かのために自分の予定を諦めなくていい。
外出したい日に外出し、疲れたら寝て、面白そうなものを見つけたら、好きなだけ楽しめる。
こんな人生、喜ばずにいられるものか。
「人生、勝ちましたわーーー!!」
「レティが壊れたーーー!!」
お父様が叫んだ。
「先生を呼んで! 早く!」
お母様の声で、侍女が駆け出す。
「大丈夫! 熱は下がってますわ! むしろ人生が上がりましたの!」
「意味が分からないよ、レティ!」
「私にも分からないわ! とにかく先生を!」
両親が慌て、侍女たちが右往左往する中、アルフレッドだけが私を見上げていた。
ほんの少しだけ、口元が緩んでいる。
「アルフレッド!」
「はい、お嬢様」
「私、この世界にある楽しいことを、全部試してみたいですわ!」
「全部、でございますか」
「欲しいものだけいただきますの!」
アルフレッドは、笑わなかった。
呆れもしなかった。
ただ、いつもと変わらない落ち着いた動作で、深く頭を下げた。
「かしこまりました。お嬢様」
最高の人生が、今、始まった。
――はずだった。
その日の午後。
熱が下がったことを医師が確認し、両親がようやく落ち着きを取り戻した頃、公爵家へ王家の紋章を掲げた使者が訪れた。
届けられたのは、国王直筆の一通の書状。
書斎で内容を確認したお父様の顔から、笑みが消えた。
「旦那様」
アルフレッドが静かに尋ねる。
「王家は、何と?」
お父様は書状を握り締めた。
「第一王子殿下と、レティの婚約を打診したいそうだ」
「婚約?」
両親の間でお菓子を食べていた私は、首を傾げた。
せっかく手に入れた最高の人生に、早くも余計なものが混ざろうとしていた。




