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11・食ってみな、飛ぶぞ

朝だ。

起床してすぐに、柔らかいベッドに身を包まれる心地良さを感じる。そして、視界にはベッドの天蓋が広がっていた。

ここはどこだ? と一瞬迷ったが、私はモクレン様の屋敷にいるのだと思い出した。



ゲストルームを見回すと、ベッドを始めどれもこれも豪華である。


ペールカルム伯爵家の馬小屋で寝起きしていたときとは真逆の待遇だ。


ベッドから降りて、姿見に向かう。

昨日、ホオノキ様に洗髪と手入れをして頂いた私の黒い髪は、艶を持ってまとまっている。


しかも、毒によって色素沈着した赤い髪の房も、昨日まではちぢれてうねっていたのに、今は黒髪と同じ様になっていた。


それに、死神の肌と呼ばれた皮膚も、今日はいつもより血色が良い気がする。これは、入浴で血行が良くなったことと、ホオノキ様にご用意して頂いた化粧水や乳液のお蔭なのだろうか。



昨日までとは違う自分の姿を鏡で見ながら、伸び放題の髪を後ろでくくり、お借りした肌触りの滑らかな寝間着から、着用してきた黒い服に着替える。


黒い服は、レンゲ様が開発された洗濯魔動機によって洗濯と乾燥をされたため、返り血などの汚れは全て綺麗になっていた。



ここまでしてもらったからには、労働力の足しになるべく家事をせねば。

部屋から出て、労働の指示を仰ぐためモクレン様を探す。


すると、食堂に人の気配を察知したのでそちらへ向かう。




「モクレン様……」




食堂の台所にて、黒いシャツと白いスラックスの上から黄色のエプロンをしたモクレン様が、大きなフライパンを手に立っていた。


そのフライパンには、細いベーコン四枚と卵二個が焼かれており、油と塩が熱された香ばしい匂いがする。



そんな匂いに空腹を覚えた私に気が付いたのか、モクレン様は私を見てゆったりと笑った。




「あ、おはよ〜ツミキちゃん」


「……えっ!?」




モクレン様は、今。


私に、おはようと挨拶をされたのか?


しかも、ご自分から、ユーフォルビア一族の、私へ?




「……モクレン様、あの、今……なんと」


「え!? あの、お、おはようって……言った、よ?」




おはようと言われたのは、生まれて初めてである。

そのことに戸惑っていると、モクレン様も同じ様に戸惑われてしまった。



今まで、挨拶と言うのは私が申し上げる立場であり、そこに返事など無いのが当然であった。


それに、ご挨拶をすればユーフォルビア一族が話しかけるなと怒鳴られ、何も申し上げないでいると無視をするなと怒鳴られる。そんな日々だったのだ。



けれど今、モクレン様は私へ笑顔で『おはよう』と仰った。



…………なぜだろう。

食堂の窓から差す朝日に照らされたモクレン様の白金はっきん色の髪が、いつもより眩しく見えるのは、気の所為なのだろうか。




「……私は今、生まれて初めて誰かに『おはよう』と言われました。……すると、……こう……胸が良い意味でざわざわするような、今なら何でも出来てしまうような、そんな高揚感があります。こんな感覚は初めてで……言葉で表現することが出来ません」




私が悩んでいると、モクレン様は「う〜ん」と少し悩んだあと、良い具合に焼けた二組のベーコンエッグをそれぞれ皿に乗せてから、「それはきっと……」と仰った。




「嬉しいってことなんじゃない?」


「嬉しい、ですか? その単語の意味は存じておりますが……心無きユーフォルビア一族の私に、嬉しい……と思う能力があるのでしょうか」


「ん〜、俺は心の専門家じゃねえからよく分かんないんだけどさ。……ツミキちゃんが今感じてることは、俺が嬉しいな〜って感じる時に起こることと同じなんよ。……だから、心の有無は別として、今のツミキちゃんは嬉しいっていう状態なんだよ」


「嬉しいという状態……ですか」


「そ。えっと、例えるなら……雷属性の攻撃を食らって『麻痺状態』とかになるでしょ? それと一緒で、挨拶をされたツミキちゃんは『嬉しい状態』なんだよ。きっと」


「……なるほど」




確かに、モクレン様のご説明の通りで考えると、私の身に起こったことが簡単に腑に落ちた。


しかも、モクレン様は瞬時にそれをお答えされたのだ。


モクレン様の言語化の能力はかなり高いと予想出来る。

もしかしたら、国一番の天才と呼ばれるロスベール公爵以上の可能性がある。



…………何故だろう。ロスベール公爵の顔を思い出すと、『嬉しい状態』が萎んだ気がした。



そんな私を見て、モクレン様は



「お腹空いた? 取り敢えず朝ご飯にしよっか。ツミキちゃんは朝ご飯はパン派? ご飯派? それに、ベーコンエッグにはソース派? それか塩かコショウ? もしくは最近発明された穀醤こくびしお? あ、これは流行りの言い方だと醤油ね」



不思議な質問をした。



朝ご飯は何派? と聞かれても、私の人生に朝ご飯などは存在しない。




「申し訳ございません。私は朝ご飯なる食事を摂取したことがありません。ペールカルム伯爵家で管理されていた頃は、厨房のゴミ箱に捨てられた食材や川で獲った魚などを摂取しておりました」




私がそう言うと、モクレン様は「え」と驚かれたあと、眉間に皺を寄せて



「やっぱりか。胸糞悪ぃな」



と呟いた。


だが、すぐに表情を変えて



「⋯⋯!! ごめんね、ツミキちゃんに怒ったわけじゃないんだ」



と笑顔で仰る。



モクレン様は、私が彼に怒られたと誤解したのではとご心配されたのだろう。


つくづく、不思議なお方である。



そんなモクレン様は、ベーコンエッグを乗せた皿二枚をテーブルに置いてから



「取り敢えず今日はパンにしとくか。ちなみに、うちは焼いた卵にはソース派だから、まずはソースから体験してみよう!」



と、かまどの蓋を開けてよく焼けている丸いパンを二つ取り出した。


パンの焼ける甘く香ばしい香りが食堂に広がり、余計に空腹が酷くなる。




「さ、ツミキちゃん。そこ座って」


「恐れ入ります」




お礼を申し上げたあと、席に着いた。


木製の椅子の背には柔らかいクッションが置いてある。


ベッドと言いお湯と言いクッションと言い、この屋敷には柔らかいものが多いなあと思った。




◇◇◇




「焼きたてのパンは、外がカリカリで中がふわっとしております……! そして、もちもちとしてほのかに甘い! この世には、こんな美味しいものがあったのですね……」




丸いパンにかじりつくと、柔らかくも弾力のある食感とほのかな甘みに私の頭は溶けた気がした。


私が食してきたパンと言うのは、冷えていて固く、ただ小麦を固形にして焼いただけの味気無いものだったから。



驚く私へ、モクレン様は


「しかも、そこにバターを乗せて食ってみ? 飛ぶよ」


と仰られると、バターを切り分け私のパンの上に塗って下さった。



私は「ありがとうございます」と申し上げてから、蕩けたバターが塗られ光沢を増したパンにかじりつく。




「!!!!!!! 意識が……飛びそうです。『飛ぶぞ』と言うのは、比喩表現では無かったのですね」




モクレン様はそう言って、ナイフとフォーク両手に丁寧な所作でベーコンエッグを切り分けられ、そっと口運んだ。


一切の音を立てずにお召し上がりになる姿は、とても気品があった。


モクレン様はホオノキ様との会話で『知性も品格もそんな才能はねぇ』と仰っていたが、そんなことは無いと思う。



私も、モクレン様のように音を立てないよう、ナイフとフォークでベーコンエッグを切り分けた。


少しだけとろみが残る黄身は艷やかで、白味も澄んでおり、ベーコンも良い具合に焼けているが焦げは一切無い。


そんなベーコンエッグを小さく切り分け、そっと口に運ぶ。


勿論、モクレン様が調合なさったソースを付けて、だ。



すると。




「!!!!! 卵の甘みとベーコンの塩の風味に、野菜や果物の芳醇な風味を残した甘くほんのり酸っぱ辛いソースの味が足され……まさに『飛ぶぞ』と言った具合です」


「やったっ!! 嬉しい!! ツミキちゃんが喜んでくれて嬉しいよ〜!! マジ作りがいがあるわ〜!」




モクレン様は蕩けたような笑顔で声を弾ませた。


これはもしかして、モクレン様は『嬉しい状態』なのだろうか。


だとしたら、その『嬉しい状態』を目の当たりにすると、私にも『嬉しい状態』が移った気がした。



嬉しい状態と言うのは、人から人へ移るのだろうか。



私は、モクレン様との美味しい朝食に『嬉しい状態』になりながら、同時に『飛ぶぞ状態』にもなっていた。




「……モクレン様。昨夜のシチューに今回の朝食を頂きましたこのご恩は、マグノリア地方の魔獣を一匹残らず駆逐することでお返しいたします」


「いやいや。ご恩とか、そんなん考えなくて良いって。そんなら俺も、ツミキちゃんに命救われた恩を精一杯返していくからさ。……まあ、持ちつ持たれつが人の渡世とせいってもんよ」


「持ちつ持たれつ……ですか」




モクレン様は朝日を斜光に浴びながら、首を傾けて微笑んだ。

朝日に照らされ輝く白金はっきん色の髪は、どんな金細工よりも眩しかった。


それに、よく見たらモクレン様の睫毛は髪と同じ白金色をしている。


夜明けの空のような紫色の瞳を囲う白金の睫毛を見ていると、この方は金と紫色の宝石と白磁で出来た美術品なのでは? とさえ思った。



そんなモクレン様は



「どしたのツミキちゃん、そんなに見惚れちゃってさぁ。ま、俺は美男子だからねえ。好きなだけ見てちょ〜だいよ」



と得意げな雰囲気でニヤリとする。




「はい。モクレン様は美男子です。……貴方の紫色に輝く瞳を飾る、キラキラした白金色の睫毛を見ていると、まるで美術品のようだと思いました」


「ぇ゙ッ!? ……び、美男子のくだり……ツッコミ待ちのボケ的な冗談で言ったんだけど……」


「? そうでしたか。申し訳ございません。心無き私には冗談と言うものが理解できませんでした。……恐れながら申し上げますと、そもそも会話の能力が無いのです。試みたことはありますが、ロスベール公爵を激怒させる結果に終わりました」




ロスベール公爵からは、『会話の一つもまともに出来ないなど、なんとつまらん女だ。まだ犬や猫の方が愛嬌がある』と言われてきた。


ならば会話に挑戦しようと『それでは、私でなく犬や猫にお話下さった方が時間を有意義にお使い頂けるかと存じます』と答えたら、ロスベール公爵は顔を真っ赤にして怒ったので、私に会話の才能は無いのだろう。




「そんならさ、これから俺と雑談しようよ」


「え」




昔のことを思い出していると、モクレン様の柔らかい声で今に引き戻された。




「これから毎日飯食いながら、俺と雑談しよ? ……話題なんて何だって良い。勉強になるとか品格だとか俺を良い気分にさせるとか、そんなんどうでも良いから、ね?」




ご飯を食べながら、モクレン様と雑談をする。


今のような時間がずっと続くのだと思ったら、胸の奥と背筋が柔らかくなった。




「かしこまりました。どうぞよろしくお願いいたします」




そう答えたあとパンを齧った。


最初に食べた一口より、飛びそうに美味しかった。





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