9話 音のない通学路
その日、防衛課に最初の通報が入ったのは午前7時45分。
登校中の中学生から、こんな連絡が寄せられた。
「通学路で音が消えるんです。自転車の音も、自分の足音も。耳がおかしくなったみたいで、気持ち悪いです」
……耳の異常? 最初はそう思った。
だが、同じエリアで“複数の生徒”が同様の訴えをし始めたとき、防衛課はすぐに動いた。
「現場は第四中学校西の通学路、住宅街の中ですね」
「今のところ、怪獣らしきものの“目撃”は?」
「ありません。ただ……みんな、“誰もいないのに、音が吸い込まれてる感じがする”って」
「……見えないタイプ、か」
◆
俺、西条修一(青柳市防衛課・現場統括係長)は、音響分析班の担当とともに通学路へと急行した。
時間は午前8時18分。現地ではすでに警察と学校側が通学路を封鎖し、迂回ルートが敷かれていた。
音響班の三谷がマイク付きの測定器を通路に向けると、機器の針が――妙な動きをした。
「通常、無音の状態でも空気振動はわずかにあります。ところがここ、完全にゼロです。これは“吸音”というより、“消音”です」
現場は幅4メートルの生活道路。両脇に低い民家が並び、電柱が等間隔に立っているだけの、ありふれた通学路だ。
その中央に、ひとつだけ異質なものがあった。
「……あれ、マンホール?」
舗装されたアスファルトの中に、ポツンとひとつだけ浮くように存在する銀色の金属蓋。だが通常のマンホールとは明らかに違う。表面に模様がない。番号もない。周囲の舗装も、少しだけ沈んでいる。
そして、その真上だけ――音が、一切、しない。
「仮称“シジマ”。性質:静寂吸収型、定在型、捕食目的は不明」
分析担当の真壁が、静かに言った。
珍しく、やや緊張した声だった。
「音があるものに反応し、それを“奪う”ようです。通る人の足音、自転車のブレーキ音、呼吸の音――すべてが、ここに吸収されています」
「……音だけ?」
「今のところは、音だけです。ただ、音を“奪われた”生徒のうち2人が、その後、一時的に言葉を失ったそうです。声を出そうとしても、出なかったと」
「……まずいな。それ、吸収が脳に影響し始めてる可能性あるぞ」
◆
“見えない系”は厄介だ。直接的な攻撃力はなくとも、生活に潜り込み、人の感覚や機能に干渉してくる。
「どうやって処理する?」
「相手は“音”に反応する。ならば、“音をおびき寄せて固定し、その後、感知機能を破壊する”。これしかない」
「具体的には?」
「実験段階だった“共振型スピーカー”を試します。特定の周波数を使って相手を刺激、興奮させ、活性化したところで中和波をぶつける。鼓膜ではなく、構造そのものに負荷をかける」
「なるほど。やるか」
学校から離れた場所にスピーカー車を移動し、音響班が周波数を操作。
市が開発中だった“獣害対策用音響装置”を改造した試作品だ。
「再生、開始!」
低くうなるような不協和音が流れると、マンホール……いや、“シジマ”の中心にある何かが、かすかに“ぴしり”と音を立てた。
それは、まるで鼓膜が割れるような、乾いた小さな亀裂音。
同時に、周囲で測定されていた空気振動が、一気に戻る。
「音、戻りました!」
「成功……?」
俺たちが確認に近づいたとき――シジマは、もう、そこになかった。
マンホールのような金属板は、まるで最初から“存在しなかった”かのように、ただの舗装された道路に戻っていた。
◆
午後。通学路の封鎖は解除された。子どもたちの健康被害は確認されず、症状が出た生徒も徐々に回復傾向にある。
「結局、あれ……何だったんでしょうね」
斉藤が缶コーヒーを飲みながら言った。
俺は、自分の靴音がアスファルトにカツンと響くのを確認してから、答えた。
「さあな。ただ……“誰かがそこにいることを確かめるために音を奪う”っていう存在だったとしたら……怖いな」
「……え、どういう意味ですか?」
「音があってはじめて、人は“自分が存在している”って感じられるんだよ。足音とか、声とか、呼吸とか。
でもそれを全部吸われたら……存在してても、“いない”みたいになるだろ?」
斉藤はしばらく黙っていたが、やがてぽつりと言った。
「じゃあ、あれ……“静かに人を消す”タイプだったってことですか?」
「消すまではいってない。たぶん、まだ“試してた”だけだ」
俺たちは並んで歩く。
さっきまで何でもなかった通学路。そのど真ん中を――無言で、ゆっくり通り抜ける。
……そのとき、風も吹いていないのに、背中をすっと冷たいものが撫でたような感覚があった。
思わず、振り返る。だが、誰もいない。
いや――
音が、少しだけ。
また、薄く、抜けたような気がした。
拙作について小説執筆自体が初心者なため、もしよろしければ感想などをいただけると幸いです。