62話 水槽の底にいたもの
その日の朝、都市水族館から1本の連絡が防衛課に入った。
「すみません……深海展示エリアの大型水槽が、妙に濁ってきているんです。
ろ過装置は正常なんですが……中の生物が全員“壁側”に寄って、まったく動かないんです」
斉藤が思わず口をはさんだ。
「魚が全員、壁に寄るって……普通、逃げる方向だよな」
「逆に、“中心”に何かがいるってことかもしれません」
芦田が答え、真壁はうなずいた。
「異常反応は、展示水槽の“底”。透明なアクリル床の向こう、メンテナンス用の空洞がある」
「内部潜伏型か……」
西条係長が一言だけそう言い、車両出動を命じた。
都市水族館・深海ゾーン。
水槽の底は、厚さ40センチの透明アクリルでできており、その下は配線や水圧管理用の空洞スペースになっていた。
「これ、ただの濁りじゃないですね。水の粒子自体が変質してる……?」
芦田がセンサーを操作しながら眉をひそめる。
「硫黄っぽい匂いもするな……地下からガスが湧いてる?」
「いや……違う。これは“代謝臭”だ。何か生物が“排出”してる」
真壁が床に耳を当てて言った。
その直後、水槽の底で何かが“ゴン”と叩く音が響いた。
水中ではなく、“床の下”からだった。
「下にいるな……!」
西条が短く指示を出す。
「地下階へ回り込め。ドローン先行」
水族館の裏側。観覧エリアとは打って変わって、無機質な点検通路が続いていた。
その奥、アクリル水槽の下部にある空間の一角に、それはいた。
まるで、ゼラチン質の塊に骨のような芯が埋め込まれているような外見。
形は定まらず、全体が“息を吸うように”膨張・収縮を繰り返していた。
仮称:「イデュロ」。
密閉構造共存型怪獣。
密閉空間内でゆっくり成長し、代謝物で周囲を腐蝕する。
動きは遅いが、周囲の環境を“自己に適した水域”へと変質させる習性を持つ。
「やばい、こいつ水質を“体内仕様”にしてる……!
このままだと展示水槽全体が“異種生態”に変わって、魚が全滅します!」
作戦は、「代謝反応を逆流させて、自滅的に縮退させる」というもの。
「水槽底面に圧力をかけて、奴の代謝系に“逆流”を起こさせる。
そのためには、逆流制御弁と音波刺激が必要です」
芦田が言うと、真壁がうなずいた。
「水圧弁、セット完了。起動タイミングは芦田に任せる」
「……逆流開始、3、2、1!」
管の音がごぼごぼと響き、空洞内の液体が逆流を始めた。
同時に照射した音波でイデュロの収縮リズムが崩れる。
「反応……急激な代謝停止!」
ゼラチン状の体がバサッと音を立てて崩れ落ち、骨のような芯が残った。
その芯も数秒で蒸散し、跡形もなくなった。
「……排除、完了です」
水族館の担当者は泣きそうな顔で防衛課を見送った。
「助かりました……。あのままだったら、私たちの展示、全部……」
「命ある場所を守るのが、我々の仕事です。人でも魚でも」
西条が静かに言うと、芦田がポツリと呟いた。
「水槽って、小さな世界ですよね。
でも、そこが壊れれば、大きなものも壊れる」
斉藤が笑って返す。
「その通り。ちっちゃな世界の崩壊ってのは、意外と早く拡がるんだよな」
小野寺も続けた。
「でも、その前に気づけた。だから大丈夫。今日もちゃんと守ったよ」
展示エリアでは、元気に泳ぐ魚たちの影が、アクリル床の上に揺れていた。
拙作について小説執筆自体が初心者なため、もしよろしければ感想などをいただけると幸いです。




