54話 水底のざわめき
朝9時、防衛課に一本の報告が届いた。
市内西部、霞川ダムの下流で、「水が異常に濁っている」とダム管理局が連絡してきたのだ。
「濁りって言っても、茶色とかじゃないんですよ。なんか……灰色で、油膜みたいな“膜”が張ってて、動いてる感じがするって……」
この話を聞いた小野寺は、思わずモニターを覗き込んだ。
「水が動いてる……というか、“生きてる”ような感じってこと?」
真壁が資料をめくる。
「ここ、過去に水中でのセンサー異常が出た地点です。何かが“底にいる”可能性が高い」
斉藤が頷く。
「ダムの底って、あまりにも情報が少ないですからね。潜水は無理。音響センサーだけが頼りになります」
西条係長が短く言った。
「現地確認。準備は“水中行動型”で」
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霞川ダムの周辺には、雨上がり特有の湿気が漂っていた。
堤防の下流側にある放水口。その下に広がる水面が、不自然に揺れていた。
「……見てください、あれ。濁ってるっていうより、撹拌されてる。下から何かが動いてる証拠です」
斉藤がセンサーを水際に沈めると、反応は即座に返ってきた。
「中心深度10メートル。大型の熱源あり……ゆっくりと移動しています」
そして数分後、岸の近くで「ぐるん」と渦が巻いた。
「来るぞ……!」
水面が一気に盛り上がり、中央から巨大な背ビレが突き出た。
そして現れたのは、まるで岩と藻をまとったような、泥と粘液に覆われた生物――
仮称:「ヌメリガ」。
底泥潜伏型怪獣。
粘液で体表を覆いながら、湖底やダムの底に潜み、泥とともに水流を操る。
最も厄介なのは、水圧と粘性を利用した“引き込み”。
獲物を水ごと飲み込み、内部で溶解吸収する。
「動きは鈍いが、こちらの動きにも反応している。近づきすぎると“飲まれる”ぞ!」
今回の対処は、遠隔操作型水中デバイス(アクアモール)を使った誘導作戦。
ヌメリガの好む水圧と泥濁を逆手に取り、水中で“より柔らかい環境”を作り出して、そこに誘い込む。
「旧川筋の水溜まりに誘導する。そこは泥が浅い。活動不能にできるはずだ」
真壁が操縦用端末を握り、複数の小型アクアモールを水中に投入した。
「行け……こっちだ、“居心地のいい沼”があるぞ」
ヌメリガはゆっくりと、だが確実に誘導方向へ動き出した。
しかし――
「やばい、加速してる! 吸い込みモードに入った!」
ヌメリガが大口を開け、周囲の水を巻き込んで吸い込もうとしている。
「装置がもたない!」
「ダメだ、間に合わない!」
そのとき、斉藤が叫んだ。
「西側ルートに回せ! 装置じゃなく“自分が囮”になる!」
「おい斉藤、やめ――!」
が、すでに彼は救助ボートを走らせていた。
西側の排水路にヌメリガの注意が向いた瞬間、真壁が再び誘導モードを強化。
「今だ、右に誘導!」
水流が変化し、ヌメリガが進行方向を誤って、旧川筋の浅瀬に突っ込んだ。
「沈んだ!」
そのまま、動かない。
「水流制御弁、閉鎖! 封じ込め完了!」
午後3時、ヌメリガは排水路に完全に固定され、仮設のコンクリート堤で水ごと封鎖された。
「完全排除ではなく、“水と分離”させた。今回はこれが最善だ」
斉藤は泥だらけになった上着を脱ぎながら言う。
真壁が苦笑する。
「無茶はするなって、何回言えば……」
小野寺は水面を見つめていた。
「水の底って、何かが潜んでても、見えないんだよね。だから、出てきたときが一番怖い」
西条が言う。
「見えないものは、見えた瞬間に恐怖に変わる。だからこそ、今ここで止める意味がある」
風が水面を撫で、かすかに波が広がった。
「……にしても、全身ヌルヌルで気持ち悪かったな」
斉藤がぽつりと言い、全員が少し笑った。
拙作について小説執筆自体が初心者なため、もしよろしければ感想などをいただけると幸いです。




