50話 霞ヶ丘の巨影 ― 決断 ―
空は晴れていた。
だが、その下で進行していたのは、完全な“地下戦争”だった。
霞ヶ丘団地の下から現れた怪獣・ガノブロスは、地上に出たのち再び地中へ潜り、我々の誘導をかいくぐって、街の中心部へと向かっていた。
「現在位置、西へ2.4キロ。進路先に、桜ヶ丘中学校。間に合わない!」
斉藤が声を荒げる。
それを聞いた真壁は、携帯端末を操作しながら眉間にしわを寄せた。
「通学時間帯だ。避難放送は間に合わない可能性がある。斉藤、即時防災通知をかけろ、小野寺、地盤マップのリアルタイム更新を!」
そして、通信機が再び鳴った。
『防衛課、全員その場を保持せよ。後方より本庁職員到着。現場指揮を引き継ぐ。』
西条係長が短く頷いた。
「来たな……」
午前7時54分。
市役所本庁より、黒塗りの軽公用車が1台、団地裏の応急本部に滑り込んできた。
後部座席から降りてきたのは――
浅見誠一郎課長。
防衛課の創設時からのメンバーであり、いまや市内で怪獣対策を指揮する最上位職だ。
年齢は50代前半。
白髪まじりの髪を短く刈り揃え、飄々とした雰囲気に反して、鋭い目つきが印象的だった。
「おはよう。間に合ってよかったな」
その一言で、現場にいた全員が背筋を伸ばす。
浅見課長は周囲を一瞥し、無駄なく指示を出す。
「全方位センサー展開。対象の軌道が地盤の強度差を“読んで”る可能性がある。
地盤工学の応援も呼んである。そっちと連携しろ。あと、発破は最終手段だ。市街地での爆破は避けるぞ」
一瞬で、場の空気が変わった。
ガノブロスの進路を予測するうえで鍵になったのは、「地下空洞の履歴データ」だった。
かつて市内を走っていたガス導管跡や廃線トンネル、埋められた空洞の地盤強度。
課長の一言で、その全データが引き出され、
「怪獣がどこを好んで進むか」が、パターンとして見えてきた。
「なるほど……対象は“やわらかい地盤”に向かってる。なら、こっちに仕掛けを置いてやれば……」
小野寺が頷く。
「誘導ではなく、“落とす”わけですね。最初から封じ込める穴を掘る」
「そうだ。対象の進行方向に、“あえて抜け道”を作る」
午前8時32分。
ガノブロスの進路上にある旧運動公園跡地に、人工クレーターのような巨大な陥没穴が設置された。
深さ8メートル。重機で一晩かけて掘らせた“決戦の場”。
そして、そこへ誘導するための最後のトリガーを、課長が用意していた。
「これを使う。旧防災研究所で保管されていた“低周波誘導装置”。かつて実験だけしてお蔵入りになったが、今なら役に立つ」
それは、都市の地下に存在するあらゆる“共振ポイント”を狙い撃つ、地鳴り誘導装置だった。
起動と同時に、街の地中が低く唸った。
地上では誰にも聞こえないはずの振動が、地中のどこかで生き物を引き寄せる。
そして、その瞬間が来た。
「来た!」
真壁のモニターが点滅する。
「対象、誘導地点に突入……崩れる!」
次の瞬間、旧運動公園の地面が崩落。
巨大な半球状の頭部と前肢を持った怪獣が、地底からせり出すように姿を現し――そのまま、落ちた。
「封鎖開始!」
外周の遮断パネルが展開され、クレーター上部にバリケードが設置される。
中では、ガノブロスが地面を叩きつけて跳ね上がろうとしていた。
だが、そこへ――
「注水!」
大量の高粘度封鎖液が、クレーター内へ流し込まれた。
ガノブロスは跳ね上がるが、粘性の液体に絡め取られ、全身が沈む。
「封鎖完了!」
午前8時49分。
怪獣ガノブロス、討伐完了。
浅見課長は、落ち着いた様子でメモを取っていた。
その後ろで、斉藤がぽつりと呟く。
「……なんか、すげーもん見た気がする」
真壁が苦笑する。
「我々、今まで現場で全部やってきたと思ってたけどな。課長、ずっとこの“奥の手”を持ってたんですね」
小野寺は軽く帽子を直しながら、空を見上げた。
「やっぱり、上司ってのはただの肩書きじゃないんだな……」
西条は、いつもより少しだけ口元を緩めて言った。
「“決断する役目”を持つ者は、最後のカードを持っている。
だからこそ、我々はそのカードを使わせずに済ませる努力を、常にしている」
浅見課長は、そんな会話を黙って聞きながら、振り返った。
「よし。報告書は俺が書く。……今日くらい、お前らは飯食っていいぞ」
その言葉に、思わず誰かが吹き出した。
春の空は、ようやく晴れ渡っていた。
拙作について小説執筆自体が初心者なため、もしよろしければ感想などをいただけると幸いです。




