37話 井戸の底から、乾いた声
午前11時02分。
地域振興課から「町おこしで再整備中の“旧・下谷井戸”で異常が起きている」との通報が入った。
「昨日までは何もなかったのに、今朝になって……井戸の中から“音”がするそうです。
地元の人いわく、“乾いた咳みたいな音”って……」
「……その手の通報、多いなぁ最近」
斉藤が資料を見ながらぼやく。
「でも、現地は観光開放予定エリア。変なもんが出てくる前に確認しないとまずい。
井戸が“口”なら、怪獣の“息”の可能性がある」
西条の判断は早かった。
出動したのはいつもの4名。今回は真壁が井戸内部の観測装置を、斉藤と小野寺が付近の地質・設備管理記録を携行していた。
現地は、山間の旧集落にある石積みの古井戸だった。
数百年前から存在しているが、長らく使われておらず、町おこしの一環で“井戸茶屋”として再整備中だった。
「……確かに聞こえますね。“ケホ、ケホッ”て。まるで風邪引いた人みたい」
斉藤がそっと耳を近づけて言う。
真壁が観測カメラを井戸に下ろす。30秒後、モニターに映ったのは――水がない井戸底に、うずくまる生物のようなものだった。
「仮称:カンガライド。乾燥環境適応型。井戸などの“人為的な深部空間”に長期滞在し、湿度や音に反応して地上に浮上する。
体表は陶器質、音響反射性が高く、“音を吸って跳ね返す”性質を持つ」
「つまり……井戸の中で“音を咳として模倣”してるだけ、ってこと?」
「だが、問題はそこじゃない」
真壁がカメラ映像をズームすると、カンガライドの背面から井戸の壁を削るように“突起”が広がっていた。
「このまま“上昇”してくると、井戸の内壁が圧壊する。
地元住民の避難経路がひとつ潰れる」
対応策は、“井戸の外に出さずに内部で静かに誘導・封鎖する”こと。
そのためには、カンガライドが“ここは住みにくい”と判断する条件を一時的に作り出す必要がある。
「奴は“静かで乾燥した場所”を好む。なら、“音と湿気”で環境を不快にすればいい」
方法はこうだ:
地元の協力を得て、井戸の真横で“古楽器演奏イベント”を実施(あくまで“予定通りのイベント”として)
演奏中、井戸内部に霧状加湿装置を投入し、環境を“多湿・騒音”状態にする
カンガライドが地上浮上を断念し、井戸底から移動するのを確認後、旧排水口へ誘導・隔離
計画は、静かに、しかし着実に進んだ。
午後2時、演奏開始。
霧が井戸に満ち、音が内部に反響する。
すると、咳のような音が突然止まった。
映像には、カンガライドが“背を丸め”、ゆっくりと壁面の旧亀裂へと移動する様子が映る。
完全移動を確認後、旧排水口をコンクリで封鎖。
対応完了。
帰りの車中、小野寺が呟いた。
「……“誰も知らなかったけど、ずっとそこにいた”怪獣って、地味に一番怖いですよね」
「見えてないだけで、共に暮らしてたんでしょうね。音をまねして、気配を消して」
斉藤が続ける。
「誰も気づかないまま、でも“そこにいる”。防衛課って、そういうものに向き合う部署なのかも」
西条は静かに缶コーヒーを開け、いつもより少し深く一口飲んだ。
「……俺たちは“異物”を排除してるんじゃない。ただ、“境界線”を維持してるだけだ」
拙作について小説執筆自体が初心者なため、もしよろしければ感想などをいただけると幸いです。




