29話 見えなかった、けれど
午前10時、住民から奇妙な苦情が市役所に寄せられた。
「朝から、町内放送が……聞こえた気がするんですけど」
「でもスピーカーは鳴ってなかったし、他の人は聞いてないって言うし……」
「音、というより、“声”みたいな……いや、何でもないです」
苦情と呼ぶには曖昧すぎる報告だった。だが似たような問い合わせが、同じ町内から4件続いたことで、課内の空気が一変した。
「……斉藤、現地行ってくれ。ひとりでいい」
「え? 私ひとりで?」
「念のためってやつだ。まだ“怪獣”かどうかも分からんからな」
現地は、市の東部にある静かな住宅地。古い電柱と、交換されかけの防災スピーカーが並ぶ。斉藤は町内会長に案内され、聞いた。
「いやね、わしらも歳だから勘違いかもしれんけど……でもあの音、“昔の校歌”に似てる気がしてな」
「校歌、ですか?」
「40年くらい前に廃校になった学校の、最後の卒業式で流れたやつだよ」
記録を調べると、確かにそこには“東青柳小学校”という廃校が存在していた。だが現在は更地になり、区画整理の予定地になっている。
防衛課に戻った斉藤が報告を終えると、真壁が端末を操作しながら言った。
「……この地区、昨夜2時ごろから“ごく小規模な音響変調”が観測されていた。
人間の耳には届くか届かないかの範囲だが、“記憶を再活性化させる”可能性がある」
「……記憶を、呼び戻すってこと?」
「仮称:ノスタリグマ。音響・心理誘導型微振動獣。建物の構造体に微細な振動を送り込み、周囲の人間に“過去の記憶”を思い出させる効果がある」
小野寺が言った。
「怪獣って、“人に被害を与えるもの”ばかりじゃないんですね……でも、なぜ今?」
「“過去にあった場所”に、誰かが立ち入り始めたからかもしれん。土地開発が始まる直前、昔の気配が騒ぎ出した――とでも思っておこうか」
その日の夜、対応は静かに行われた。
防衛課は周辺の地中を走る旧配管に“逆位相音波”を送り、ノスタリグマを“眠らせる”措置を取った。直接的な破壊や駆除ではない。音を通じて、“もうここにはあなたの知っていたものは残っていない”と伝えるような処理だった。
夜明けには、町から“あの声”は完全に消えた。
翌日、市役所には再び苦情が来た。
ただし、内容は違っていた。
「あの場所の音、もう聞こえなくなったんですけど……」
「ちょっと、さみしいですね」
「ほんとにあったのか、分からなくなっちゃって」
斉藤は無言で苦情票を回収し、西条に見せた。
「これって……“対応成功”ですよね?」
「形式上は、そうだな」
「でも、“対応しない方がよかった”って人も、いるんじゃないでしょうか」
「怪獣は、“現実の形”で現れるとは限らない。だが、現れた以上、市民の生活に影響があるなら、俺たちは動かざるを得ない」
「たとえ、誰かの懐かしさごと、封じることになっても?」
西条は少しだけ目を伏せ、そして答えた。
「……ああ。俺たちは、そういうことをする部署だ」
その日の報告書には、怪獣の名称も記録も記されなかった。
「微細振動による心理影響への対応」とだけ、書かれていた。
拙作について小説執筆自体が初心者なため、もしよろしければ感想などをいただけると幸いです。




