26話 市役所通り、雨のち泡
昼前から雨が降り始めていた。しとしとではなく、断続的な小ぶりのシャワーのような降り方。だが、今日は朝から庁内が静かだった。
「……天気が悪いと、怪獣も出にくいんですかね?」
斉藤夏希が椅子をくるくる回しながら言った。彼女は若手ながら出動率が高く、最近では現場装備の点検まで率先してこなしている。
「いや、むしろ“雨の日限定”ってタイプもいたはずだ」
真壁俊がノートPCから顔を上げ、手帳をめくる。
「過去記録:第7話“ミストロイド”、第14話“アメヒリス”。雨天時の怪獣出現率、他季節に比べて微増傾向です」
「……じゃあ今日は“そろそろ”ですか?」
西条修一は缶コーヒーを開けながら、机の端に肘をついた。
「お前ら、フラグを建てるのがうまいな」
小野寺理央がひと言ぼやいた、そのときだった。
内線が鳴る。
「市役所通りの交差点、下水マンホールから“泡があふれている”との通報。複数箇所で確認。目撃者の一人が“何かが泡の中で動いていた”と」
静まり返った課内に、缶コーヒーのプシュッという音が重なった。斉藤が立ち上がる。
「じゃ、行きましょうか。“泡の怪獣”、初めてです」
現場は市役所通りの交差点。歩道の側溝から白い泡がボコボコとあふれ、通り全体がぬるぬるしていた。路面清掃車が一台、遠巻きに様子を見ていた。
「泡、漂白剤っぽく見えるけど、においがないですね……」
小野寺がそっと観察しながらメモを取る。その背後で真壁が装置を起動させる。
「界面活性の数値、高い。生物起源の可能性あり。“消泡処理”は逆効果になるかも」
「つまり、泡が“怪獣の本体”ってことか」
斉藤がやや引いた様子で聞いた。
「いや――泡は媒介物。本体はその中に潜む。“仮称:フワリドロ”。
排水管を通じて移動し、一定水量を得ると泡を吐き出す。人目を避ける傾向あり」
西条は現場の構造を見渡す。泡が吹き出しているマンホールは3箇所、いずれも斜面の低い側に集中していた。
「地下の流れに乗ってるなら、最終的にどこに行く?」
「地形的に、ここの先――“市民広場の沈砂槽”が最終的な“溜まり”です」
「じゃあそっちで“合流”を待ってるってわけか。……誘導するぞ」
作戦名は“フォーミングロード”。
泡を嫌う性質を逆用し、人工的に気圧差を作って怪獣を広場側へ追い込む。
斉藤と小野寺が水圧ポンプを操作し、路面側から圧をかける。真壁が広場の排水弁を調整し、“最も流れやすい状態”を作る。そして西条は現地で市民誘導と連絡役に立った。
午後3時12分、広場の沈砂槽内に、音もなく泡が集まり始める。その中心に、うっすらと黒い半球状の物体が見えた。
「来た……!」
西条の無線が鳴った。
「流入完了! 今です!」
小野寺が弁を閉じ、真壁が空調制御装置を作動。気圧で泡を下げ、粘膜状の本体を地下の配管へと“静かに押し戻す”。
10分後、泡は完全に消えた。広場の地面には湿り気だけが残った。
帰り道、斉藤がぽつりとこぼした。
「怪獣って、たまに“そこにいただけ”って感じのやつもいますよね」
「全部が暴れるわけじゃない。けど、“ここにいるとまずい”のは間違いない」
西条はそう言って缶コーヒーを開けた。小野寺はファイルをまとめながら、
「……でも、課の動きは噛み合ってましたね。誰も怒鳴らず、迷わず、音もなく処理が終わる。変な感じにスマートでした」
「“異常を日常で包む”。それがうちの仕事だからな」
この日の報告書は、30分後には提出されていた。泡の写真だけが、不思議な静けさを宿していた。
拙作について小説執筆自体が初心者なため、もしよろしければ感想などをいただけると幸いです。




