24話 火曜日の風と、アーチの下で
火曜日の朝は、庁舎が妙に静かだ。月曜にバタバタする分、みんながエンジンをかけきれていない。そんな中、俺はいつもの缶コーヒーに手を伸ばしながら、隣の席の小野寺に聞いた。
「なあ、昨日の件の報告書、もう出したか?」
「とっくに。建設課への通達も完了済み。排水溝の構造図まで送ってあります」
手際がいい。というか、異動してきてからこの数日で、彼女はすっかり防衛課に馴染んでいた。声のトーンも、ちょっと西条化してきてる。
そこへ、庁舎内線が鳴った。観光課からだ。
「はい、防衛課……ええ? 公園の石のアーチに“ぶら下がってる”? 何が、ですか?」
そのまま受話器を置き、俺は立ち上がった。
「小野寺、散歩だ。風通しのいいやつ」
現場は、駅前の観光広場。ちょっとした小さな石造りのアーチがあり、観光客が写真を撮るスポットだ。そこに“何かぶら下がっている”との通報があった。
現地に着くと、すぐにわかった。アーチの最上部、中央に――丸く、膜のような、しかし半透明の“球体”が張りついていた。風でゆらゆら揺れている。気味が悪いのに、どこか滑らかで美しい。
「……クラゲみたいですね」
小野寺が見上げたまま呟いた。
「仮称、“ユランフィロ”。懸垂型風反応獣。構造物の高所に付着し、一定風速を超えると自動的に“振動波”を発する」
俺は双眼鏡で観察しながら続けた。
「共鳴周波数が、だいたい“ガラスを割る”あたりと一致するってのが厄介なんだ。風速7m以上で起動する」
「今日は南からの突風が……午後になると超えますね」
つまりこのままだと、午後にかけて駅前の広場で爆音が鳴り、最悪ガラスが飛び散る。問題は、そのまま取り外せないことだ。球体自体が振動に非常に敏感で、下手に揺らすと即起動する。
「アーチごと共鳴させて“音を打ち消す”のは?」
「それやると、今度は石材が割れる。予算で直すの誰だと思ってんだ」
「観光課、怒りますね」
「俺たちが怒られる。結局」
そこで小野寺が腕を組んで言った。
「これ、空調車使えません? “風をあえて当てて”振動起動させる。で、同時に“柔らかい膜”を使って音を吸収する。ガラスじゃなくて布地の広い面で、音波吸収を狙う」
「……振動を止めるんじゃなく、“やらせて、外で飲む”ってことか」
少し考えたあと、俺は無線で環境課に連絡を入れた。音響実験に使う吸音パネルを数枚。さらに、イベント用の大型天幕を手配。設置は1時間以内。
午後1時、設営完了。アーチの周囲を囲むように、柔らかく膨らんだドーム型のテントが配置された。これで内側に音が反響しない。あとは、風。
「風速6.8……7.1……来た!」
ユランフィロがぷるん、と揺れる。膜のような外皮が波立ち、次の瞬間、内側から低い振動音が鳴り始めた。
だが、その音は――不思議なことに、テントの中だけにこもったまま、外にはほとんど漏れなかった。
「吸った……」
「音を吸った……本当に布で押さえられたな」
3分後、ユランフィロは音を出し切ったのか、萎んでそのままポロリとアーチから落ちた。専用の捕獲ケースに収められ、回収完了。
現場を見ていた観光客は、何が起きたのか分からなかったようで、「なんかイベントですか?」と聞いてきた。俺たちは「メンテナンスです」とだけ答えた。
その夜、防衛課に戻った俺は椅子に深く座り込み、小野寺に声をかけた。
「今日でうちに来てちょうど1週間だったな」
「え、そうでしたっけ?」
「朝イチの自己紹介が、遠い昔みたいに思えるんだが」
「それ、怪獣のせいですね」
「お前も言うようになったな……」
缶コーヒーを開けた。風の音は、もう静かになっていた。
拙作について小説執筆自体が初心者なため、もしよろしければ感想などをいただけると幸いです。




