18話 地下街、ぬめる影
金曜日の午後4時過ぎ。
そろそろ週末ムードが庁内に漂い始めたころ、俺たち防衛課のデスクに、一本の内線が入った。
「市営地下街で、床から“何かが”出てきて動いているという通報がありました。現場は青柳ステップモールです」
青柳ステップモール――
駅直結の市営地下商業施設で、ファッション・飲食・バラエティ雑貨などが軒を連ねる、ちょっと昔懐かしい地下街だ。
「“何か”ってのは怪獣か?」
「通報したのはクリーニング店の従業員。“排水溝から人の顔みたいなものが這い出してきた”そうです」
「排水口から顔が……」
「で、“床を這いながら”消えていったと」
「……よし、出動だ」
◆
市営地下街は午後5時を過ぎると人通りが一気に増える。
その時間帯に現場を封鎖するには、交通課や施設課との連携が必須だ。
「出入り口は4つ。まず防火扉を閉じてから、“エスカレーター停止、音楽カット、非常灯点灯”を段階的に実施。パニックは最小限に」
「案内放送は“管路点検”で通します。買い物客の避難誘導も同時進行で」
そして現場に到着すると、確かにそれはいた。
光を鈍く反射する、半透明の“ゼリー状物体”。
床のタイルと同化するように張り付きながら、ゆっくりと、ぬめるように動いていた。
「仮称“フロアグレイズ”。床面貼付型移動体。
特性:粘膜構造による拡散、人体接触に対して無反応、ただし“湿気と排水管を好む”」
「何に見えるかって言われたら、“生きた床ワックス”だな……」
「見た目が地味なだけに、発見が遅れてた可能性があります」
◆
危険性は高くない。
だが、放置しておくと店の床を覆い、配線や配管へ浸透して長期的被害をもたらす。
問題は、その移動ルート。
地下施設に張り巡らされた排水管を通じて、他のビルにも侵入可能性があるというのだ。
「時間をかければ広がる。今ここで止めないと、来週には“市庁舎のトイレ床に顔”が出るぞ」
「やだなそれ……全力で阻止しましょう」
◆
対処法は、“床にくっついていること”を逆手に取ることだった。
「フロアヒーター使えるか? このモール、旧式だけど床暖房ユニットが入ってたはずだ」
「動かせます。建築課が手動で局所加熱できます」
「なら、逃げ道を“熱く”してやれば、奴は冷たい方向に進む。
冷気誘導で、“排気通風口”まで誘導し、吸引で回収する」
作戦名:“ひやり床作戦”。
施設課・建築課と連携し、フロアヒーターを逆操作。
“熱くなる床”と“冷たい通風口”の温度差で、怪獣をじわじわと誘導する作戦だ。
◆
午後6時30分。誘導開始。
フロアの一部がぬるりと波打ち、“それ”が反応を示す。
じわじわと、通気口のある店の奥へ移動を始めた。
「……ゆっくりだな」
「でも確実に進んでます。今、3メートル先」
15分後、フロアグレイズは通気口の直前に到達。
通風機が最大出力で作動すると、ぬめった質量が少しずつ吸引され――
ズズズ……シュゥ……
まるで水滴が排水口へ吸い込まれるように、怪獣は静かに姿を消した。
◆
その後、通気ダクト内に設置された捕獲装置で“ゼリー状構造体”が完全回収された。
サンプルは生物学研究室へ送られ、建築課は地下街排水システムの全面点検を決定。
帰り道、斉藤がつぶやいた。
「ワックスに見えるけど……中に“脳っぽい構造”があったそうです」
「考えてたってことか?」
「たぶん、ずっと“ここにいていいのか”とか、“どうやって出ようか”とか、そんなことを」
「……いや、出てきた時点でアウトなんだよな、それ」
◆
午後8時。
地下街は臨時休業のまま、その日を終えた。
俺たちは庁舎に戻って、書類を片付け、誰もいない事務所で缶コーヒーを開けた。
「湿気と暗がりに集まる奴がいる限り、都市に安心なんてないな」
「防衛課の安心も、缶コーヒーが冷えてることぐらいですね」
「……今日はホット買って帰るか」
拙作について小説執筆自体が初心者なため、もしよろしければ感想などをいただけると幸いです。




