13話 噴水の主、はじめての外出
青柳市中央公園には、半世紀の歴史を誇る大きな噴水広場がある。
夏には子どもたちが水遊びをし、冬にはライトアップイベントの中心にもなる、地元市民にとって憩いの象徴だ。
そんな噴水の水が、勝手に歩き出したと連絡が入ったのは、火曜の午前9時だった。
「噴水が……出たまま動いてます!」
「水の柱が立ち上がって、そのまま地面を滑るように……!」
斉藤が受けた通報を要約すると、“歩く水柱”が市内をうろついているということになる。
「なんだそりゃ。水道局のPRロボットか?」
「いえ、水道局も否定済みです。あと、近くのコンビニの監視映像がこれです」
映像には、まさに“二本足で歩くように地面を蹴りながら進む水の塊”が映っていた。
高さおよそ2メートル、光を反射してキラキラしているが、見ていて妙に落ち着かない。
「……怪獣、確定だな」
◆
現場に着くと、すでに市民のスマホ撮影が始まりかけていた。
「動画撮るの禁止! SNSも禁止! あれ、普通じゃないから!」
交通課・広報班が必死に声を張り上げる中、防衛課チームは噴水広場の東端、木立の影にうずくまるように佇む“それ”を確認した。
全体は透明で、かすかに青みがかっている。水でできた人型、というよりは、“水のかたまりが歩いている”に近い。
「仮称“アクワリオ”。構成:高密度液状構造体。動力源不明、動作は緩慢」
「広場から滑って歩いて来て……今は休憩中、って感じですね」
「なんで歩いたんだ?」
「……そもそも、なんで噴水に住んでたんでしょうね?」
真壁の分析によると、アクワリオは公園の噴水槽の底に、十数年間にわたり“沈殿していた”可能性があるという。
人間に無害で、ただ存在していた。
しかし、最近になって――なぜか**“外に出てみた”**。
「もし好奇心で出てきただけなら、いまはまだ危険性は低い。問題は……どこへ行くつもりかだ」
「このまま住宅街へ入ったら? 子どもが触ったら?」
「……止めるしかないな」
◆
だが、水でできた相手には、実弾もスタン弾も通じない。
蒸発させるには火力が足りないし、冷却も効かない。むしろ氷結すると破裂して危ない。
「じゃあ……どうやって?」
「“水に戻した”らどうだ? “噴水の水そのものに”」
つまり、「外に出たアクワリオを“本来の場に戻す”」ことを目標にする。
誘導作戦を決定。使うのは――水の音と、水のにおいだ。
「音響班、人工の噴水音出せるか?」
「できます! 市役所の環境音素材から抽出できます」
「においは……ミネラル水と塩素水を混ぜた“プールっぽい”香りでいこう」
◆
スピーカーと香料発生装置を備えた移動車両を、噴水広場へ向けてゆっくり走らせる。
アクワリオは……気づいた。
ぴたりと動きを止め、そして、ゆっくりと追いかけ始める。
その様子は、まるで散歩中の子犬のように……可愛くも、ちょっと不気味だった。
「来てる……今、噴水の正面……!」
「一気に水位上げろ! 槽の中央に水流を集中!」
噴水の水が高く吹き上がり、その中心にアクワリオが吸い込まれるように進んでいく――
そして、音もなく、するりと溶けるように、槽の中へ沈んだ。
「……戻った?」
「熱源ゼロ、動作反応なし。構造分解も見られず。……おそらく、再吸収されました」
◆
アクワリオは、それきり出てこなかった。
噴水は定期点検という名目で数日間封鎖され、その間に槽の底は特別コーティングされた。
「なんだったんですかね、あれ」
「……たぶん、“歩いてみたかった”だけだ」
「なんかこう……ちょっとだけ親近感ありますね」
俺と斉藤は、遠くから静かに噴水を見ていた。
噴水の水は、きらきらと光っている。
何もなかったように、優しく、涼しげに。
だが――俺は見た。
その水の中に、ほんの一瞬だけ、“人の形”のようなものが浮かんだ気がしたのだ。
「……また、外出したくなったら、どうする?」
「……その時は、“誘導ルート”をちゃんと整備してやろう」
アクワリオは、人に迷惑をかけたわけじゃない。ただ、ちょっと見てみたかっただけかもしれない。
けれど、怪獣は怪獣だ。
油断すれば、事故になる。
俺たちはそれを忘れないように、今日もまた、報告書を書く。
拙作について小説執筆自体が初心者なため、もしよろしければ感想などをいただけると幸いです。




