10話 山が動いた日
青柳市の北端には、地元で「金鶏山」と呼ばれる小さな山がある。
標高は280メートルほどで、整備された遊歩道や見晴らしのいい展望台があり、春にはハイキング客でにぎわう、穏やかな場所だ。
それが、ある朝、“数メートル動いた”。
「……山が“ずれた”?」
市役所に入った最初の報告に、俺――西条修一(防衛課・現場統括係長)は一瞬、聞き間違いかと思った。
「地盤じゃなく、地形全体が“ゆっくりと北東方向に移動”してるらしいです。観測衛星のデータで誤差2.8メートル、垂直方向でも約60センチの変動」
「……いやいや、そんなバカな。地すべりってレベルじゃねぇぞ」
だが、現場の航空写真を見た瞬間、その“バカな話”が現実だと分かった。
山肌の一部が、“目”になっていた。
◆
午前8時45分。現地へ急行した防衛課と都市防災センターの合同チームは、山のふもとに設けられた避難指揮所に到着。そこから見上げた金鶏山は――明らかに“何か”に変質していた。
「見ろ、北面の斜面。なだらかだったはずが、今、盛り上がってる。しかも……あれ、呼吸してるぞ」
「確認。地中振動に周期性あり。生体活動による空気圧の変動と一致。
……これは、山全体が“生き物として機能している”と見て間違いありません」
真壁の口調が、やや震えていた。
「仮称“カッサン”。全長想定:220メートル。全高:110メートル。質量:推定不可能。
周辺の植生・岩盤を取り込む構造。内部に生体核を持つ可能性あり」
簡単に言えば、“山としてカモフラージュしてきた超巨大生物”だ。
「……これ、対応可能か?」
「破壊や捕獲は不可能です。全市的な避難、広域遮断、長期封鎖しかない」
大村が即答する。
巨大すぎる。市役所で対応するには、規模が違いすぎる。
「……だが、これ以上動くようなら、山肌が崩れる。土石流、火災、断水……最悪、死者が出る」
「行動を止めるしかない。弱点は?」
「生体としての“中枢”。山体のどこかに心臓、あるいは脳にあたる構造があるはず。そこに“刺激”を与えられれば……」
◆
俺たちは選択した。
山体北西にあった旧観測所跡地――そこがカッサンの“反応中枢”と一致している可能性が高かった。
そこに音響共振器と高周波振動装置を運び込み、“内部に届く刺激”を送り込む作戦だ。
「機材はヘリ搬入になります。もうすぐ到着します」
「作戦名は“金鶏ストップ作戦”でいこう」
「え、ダサっ」
「いいんだよ、名前はどうでも。止められりゃ」
大型振動装置がセットされ、発振準備に入る。山は依然として静かに“呼吸”を続けていた。だが、確実に、その呼吸は徐々に大きくなっている。
「これ以上目を覚まされたら、麓の集落は持たない。やるぞ、全装置発振開始!」
◆
10時32分。共振開始。
山体が、一瞬だけ波打った。
その後、山全体が、わずかに“のけぞる”ように動いた。
「反応確認! 生体中枢部に動揺あり! ……成功です、内部反射波が乱れてます!」
それは、山が“のたうった”ような瞬間だった。
山肌にあった松の木が何本も倒れ、地表からわずかに――赤い液体が染み出した。
「活動レベル低下! 呼吸沈静化! ……停止しました!」
◆
その後、カッサンは動かなかった。
市は“地盤変動による警戒区域設定”という形で金鶏山を長期封鎖とし、観光事業も全面停止。だが、事態は防衛課の対応により市外への拡大を防ぎ、報道にもほとんど載らなかった。
「しかし、220メートルって……もう、山じゃなくて“地形”だぞ」
「たぶん、ずっとそこにいたんですよ。気づかれないように、じっと」
「じゃあ……なぜ今、動いた?」
斉藤の問いに、誰も答えられなかった。
その日の帰り。市役所の屋上で、俺はもう一度、金鶏山を遠くに見た。
まるで何事もなかったかのように、あの山は、静かにそこにある。
……ただ、妙なことが一つだけある。
毎日定点観測していた都市計画課の監視データ――
山の形をトレースしていたセンサーの折れ線が、今日、ほんのわずかに“ずれていた”。
わずか3ミリ。
だが、それは間違いなく、“呼吸”では説明できない動きだった。
もしかして――こっちに向きを変えているのか?
俺は、そっと屋上から降りた。
見てはいけないものが、また、少しこちらを見ている気がしたからだ。
拙作について小説執筆自体が初心者なため、もしよろしければ感想などをいただけると幸いです。