1話 河原に怪獣、炭火焼きのにおい
朝九時、青柳市役所・防衛課の窓際で、缶コーヒーを片手に空を見ていた俺は、やけに鳥が騒がしいことに気づいた。鳩どもが電線から一斉に飛び立ち、北の空へ逃げていく。ああ、またか。
「警戒レベル2に移行。北部地区で地表振動を観測。午前八時四十二分、怪獣出現の兆候あり」
館内放送が流れると同時に、事務室のあちこちで椅子が引かれる音がした。誰もが慌てず、だが急いで立ち上がる。職員たちがスーツの上に蛍光オレンジの防衛ジャケットを羽織り、無言のまま出動準備に入る。
「今日、弁当持ってきたのになぁ……」
机の引き出しに仕舞った鮭弁当を恨めしげに見ながら、俺――防衛課の現場統括係長・西条修一もジャケットを羽織った。五年目にしてやっと座れた係長ポスト。だが、その椅子はほとんど温められることがない。
「西条さん、車出しますね。今日の相手、でかそうですよ」
そう言って鍵を手にするのは新人の斉藤。ピチピチの25歳、体育大出身、怪獣対応経験はまだ3体目。若さのせいか、ちょっと楽しんでる節がある。
目的地は市の北端、河川敷。防衛課の現場班4名が1号車に乗り込み、市道を突っ走る。道を譲る市民の車がちらほら見える。もう、みんな慣れてしまったのだ。
「河川敷のバーベキュー場が焼けてるって、消防から連絡ありました」
「まさか……また、あの“焼き系”か?」
「未確認ですが、炭のにおいがすごいらしいです」
現場に着いたとき、すでに煙がもうもうと上がっていた。遠くに、黒光りする大きな影。バーベキュー場を中心に直径100メートルほどが煤け、焦げ臭さとともに“肉が焼けたような匂い”が漂う。
「目視確認、体長約12メートル、全身が炭化した甲殻で覆われてるな。『カロリザウルス』と仮称する」
そう呟いたとき、奴はガチャンと両前脚で地面を叩き、火の粉をまき散らした。甲殻の間から、火が灯ったような赤い光が漏れている。やはり、体内で燃焼してやがる。
「熱源センサー車、まだ来てません!」
「こっちで目測する。距離120メートル、風向き西。よし、放水班、第一線、展開!」
防衛課の技術班が持ち出した特装放水車――実際は消防団と共同開発した高圧冷却砲搭載トラックが、ずるりと前進。放水が開始されると、怪獣は甲高い金属音を上げた。熱が下がって装甲が収縮するのか、ボディにヒビが入る。
「よし、裂けたところ狙え! 斉藤、あのヒビ、見えるか?」
「見えてます!」
斉藤が担いでいたのは、通称“釘打ち銃”と呼ばれる、特殊な金属製スタン弾を撃ち込むエアキャノンだ。建機技術から転用した無骨なやつで、反動もでかい。が、奴の胸部を撃ち抜いた弾が命中すると、装甲がバキッと砕け、中から赤熱した肉が露出した。
その瞬間、奴はのたうち回った。地面に火の粉がまき散らされ、近くの草むらが燃え始める。消防も加勢に入り、冷却と鎮火を同時に進める。
「修一さん、やばい! 奴、燃料吐き出そうとしてる!」
「逆噴射か……! 斉藤、連射でいけ! こっちは風上に回る!」
奴の腹部が膨れ、ガスが充満しているのが見えた。斉藤が連射ボタンを押し、エアキャノンがパスン、パスンと音を立ててスタン弾を撃ち込む。風上から放水車が一斉に冷水を浴びせた。
そして――。
「ボンッ」という抑えられた音とともに、奴の体から白煙が噴き上がった。だが、爆発は起きなかった。冷却とスタン弾で、燃料の発火が抑えられたのだ。
ほどなくして、怪獣は動かなくなった。
防衛課のメンバーたちは、はぁ……と長いため息をついた。あたりには、炭火焼きのような香ばしさと、油の焦げた臭いが残る。
「……弁当、持ってこなくてよかったかもな」
呟いた俺に、斉藤が肩をすくめた。
「僕、しばらく焼肉食えそうにないです」
午後三時、市役所に戻るころにはもう、怪獣は解体班の手に渡っていた。肉片は学術機関へ、装甲片は装甲材の素材に回収される。
「今日もお疲れさまでしたー」
市民課の女子職員が、ねぎらいの言葉と缶コーヒーをくれる。俺は黙って受け取り、窓際の席に腰を落ち着けた。
空は、また何事もなかったかのように、青く広がっている。