9 赦し
私は少年の魂が入った魔王に全てを話し、泣いて詫びた。
魔王の中の少年は「あんたは悪くないよ。気にすんな」と笑って許してくれた。
彼のこの言葉がなければ、私の人生はまったく違ったものになっていただろう。もしかすると、良心の呵責に堪えかねて自ら命を絶っていたか、完全に闇に墜ちて冷酷非道な人間になっていたのではないか。
魔王は言った。
「前回の引き分けの際は、次こそ世界の全てを手に入れてやると息巻いておったが、千年も経つと、そこまでの意欲はなくなってな」
「実のところ、世界の全てを手に入れられれば最高ではあるが、まあこのまま森の世界だけでもいいかなと思うようになってしまった」
「もし、この森の世界が脅かされるとき、改めて決着をつけるとしようか」
「その時は、このお主の姿形を使わせてもらうとしよう」
そう言って、私の少年時代の姿形をした魔王は笑った。
……その後のことは、女王も大司教も知ってのとおりだ。
私は魔王を倒した勇者として凱旋した。私の凱旋と同時に、王国中の魔物も大人しくなった。皆が私を勇者だと信じた。
この時、私は「自分は勇者ではない」と言うこともできたはずだが、そうはしなかった。
父上や家令の思惑どおり、私は勇者として振る舞った。結局、私はそこまで強い人間ではなかったのだろう。
北方の魔物を討伐していた東方侯は、わざわざ公爵城まで来てくれて、私を労ってくれた。彼の素直な賞賛の言葉は、私には心苦しかった。
その後、勇者としての功績が後押しになり、私は王女の夫となった。そして、王女が女王に即位した際、私は、女王とともにこの王国の共同君主となった。
私は偽りの功績により、君主の座を得たのだ。
† † †
……ふう、私の罪の話を最後まで聞いてくれてありがとう。この話は、何かの書物にまとめて欲しい。私の死後、公表してくれても構わない。
相変わらず私は弱い人間だ。本当なら生きて断罪されるべきところ、それからも逃れようとしている。
……ふふ、ありがとう。愛しの女王よ。私がどれだけ君のその優しさに救われたか。先に旅立つことをどうか許して欲しい。
そうだ、ひとつ話し忘れていた。魔王の中に入った少年はその後どうなったのか。
実は、彼とは時々会っていたのだよ。彼は、私や宰相になった家令補の夢の中に現れ、彼と魔物の交流や、彼が見聞きした世界の様々な話を聞かせてくれた。
彼が言うには、この世界は大きな球らしい。信じられるかい? どうして我々はその球から落っこちないんだろうね。
私と宰相が特に力を入れてきた救民事業や教育制度の整備は、あの少年との夢の中でのやりとりがきっかけだった。まだまだ途上だが、道筋は立てることが出来たと思っている。少しは贖罪になっただろうか。
おや、あの少年との最後の別れは昨晩済ませたはずだが、また来たようだな。
ほら、そこに立っているのが見えないか? ニッコリ笑っている彼が。長い間ありがとう。私は先に逝く。この世界に飽きたら、あの世においで。そこで宰相と一緒に酒でも飲もう。
……ああ、すまない。流石に疲れたな。少し休むとするよ。
愛しの女王よ、泣かないでおくれ。私は少し眠るだけだ。さあ、手を握ってあげるから、どうか泣かないでおくれ。
そうだ、ちょっと休んだら東方侯と子どもの頃に2人で王宮内を探検したときの話をしてあげよう。ふふ、あれは楽しかったなあ。まさかあんな場所に出るなんて……
……ああ、あの時と同じだ。暗い通路を抜けた先に、温かな光が……
王は、一度大きく目を見開いたかと思うと、静かに、ゆっくりと目を閉じた。その表情は、とても安らかなものだった。
女王が王の体に縋りつき、大司教が沈痛な面持ちで祈りを捧げた。
ほどなくして、王の崩御を知らせる鐘が王国中に鳴り響いた。
† † †
聡明さと慈悲の心を兼ね備え、王国を繁栄に導いた王の死に、多くの国民が哀しんだ。
王の葬儀に当たり、女王は王を「まさに勇者そのものであった」と讃えた。
その真意を王国の多くの者が理解した。様々な噂から、王が魔王を倒した勇者ではないということを誰もが知っていた。
しかし、それを気にする者は誰もいなかった。王は、叡智に富み、優しく、そして勇敢だった。王国の者にとって、彼はまさしく偉大な王であり、勇者であった。
女王は、王の最期の告解と「勇者の印」の詳細なスケッチを王室付の官吏に報告書としてまとめさせた。
女王の判断により、王が父親の死後兼務していた西域公の権威を貶めないよう、西域公が勇者の命を狙っていたことなどは報告書に記載せず、勇者は自らの命と引き換えに魔王を倒したということにした。
「聡明な読み手であれば、それでもなお、多くを理解するでしょう」
女王はそう言って微笑んだ。
まとめられた報告書は、王と宰相の尽力により公爵城を改装して創設された王立第2高等学校の大図書館の書庫奥深くに納められた。
納本に当たっては、この報告書を真に必要とする者のみが手にすることができるよう、条件付けの魔法がかけられた。
魔法使いによると、この種の条件付けは、どこまで効果が出るか分からないということだったが、女王はそれで構わないと言った。
力のある魔法使いにより、同じ条件付けの魔法が何重にも施された。
女王は、報告書の内容を積極的に公表することはなかった。ただし「魔王は再び現れる。そのときは勇者も現れる」という話を王国中に流した。
魔王が「もし、この森の世界が脅かされるとき、改めて決着をつけるとしようか」と言ったという王の言葉を踏まえた対応だった。
月日は流れ、「王は魔王を倒した勇者ではなかった」という噂自体が忘れ去られていった。誰もが敬愛する老王を貶める噂話を子弟に語り継ぐ者は、王国にいなかったのだ。
歌劇の物語は、史実となった。
王国は、発展と衰退を繰り返しながら続いた。技術の進歩に伴い、人は森の世界を脅かし始めた。
そんなある日、永い時を経て、王立第2高等学校のある根暗な学生が、大図書館の書庫奥深くでこの報告書を手にするのだが、それはまた、別のお話。
最後までお読みいただきありがとうございました。少しでも共感していただけたなら幸いです。
この物語から約300年後、「あるモブキャラの半生」の物語へ続くことになります。
また何かお話を思いつきましたら投稿させていただきます。今後ともなにとぞよろしくお願いいたします。