8 戦い
それは、勇者と魔王の戦いというより、単なる子どもの喧嘩だった。
お互いがポカポカと相手を叩き、取っ組み合い、草花の上に転がった。
私や家令補達は、唖然とした様子でその「決戦」を見守った。
その日は、夏にしては涼しく、過ごしやすい天気だった。
草花が咲き誇る中、ピクニックに来た年の近い兄弟が喧嘩しているのを、周りの者が心配そうに見守っている。そんな錯覚に陥りそうだった。
私の少年時代の姿形をした魔王が取っ組み合いの喧嘩をしているのを見て、私は子どもの頃の自分の喧嘩を見ているような気になり、少し恥ずかしく感じた。
しばらくすると、少年と魔王の動きが鈍くなってきた。どうやらお互い疲れてきたようだ。
ぜいぜい肩で息をしながら、少年と魔王が立ち上がり、再びお互いの服を掴んで揉み合ったが、力尽きたようで2人とも草花に倒れ込んだ。
「はあはあ、もうダメ、動けない……」
汗だくの少年が、草花の上に仰向けで大の字に寝転んだまま呟いた。
「わ、ワシも……人間の子どもの体は持久力がないのう。やむを得ん、引き分けじゃ」
私の少年時代の姿形をした魔王が、仰向けに寝転んだままそう宣言した。
勇者と魔王の子どもの喧嘩のような戦い振りに、引き分けという予想外の結末。私は、その場に立ち尽くしてしまった。
その時、私はこう思った。父上は「少年が魔王を倒したら、少年を殺せ」と言っていた。今回は引き分けだ。つまり、少年を殺さなくていいのではないか、と。
父上の命令の趣旨を踏まえれば、そんなわけはないのだが、当時の私は本気でそう思ったのだ。
この少年を助けたい。殺したくない。その一心で、まだ未熟だった私は自らそう思い込もうとしたのだろう。
どうやら家令補も同じ気持ちのようだった。少しホッとした様子で、私の顔を見ていた。
だが、私や家令補がそのように考える可能性について、父上や家令はお見通しだったようだ。
ようやく呼吸が落ち着いた少年が立ち上がり、魔王を助け起こそうとした。
魔王が少年の手を取ろうとしたとき、突然少年が「イテッ」と声を上げ、後ろを振り返った。
私が少年の見る方向に顔を向けると、従者の一人が筒のようなものを口に咥えているのが見えた。吹き矢だった。
少年は草花の上に俯せに倒れ込んだ。
† † †
騎士や他の従者が、吹き矢を持つ従者を取り押さえた。
私と家令補は、少年のもとへ駆け寄った。
私の少年時代の姿形をしたままの魔王が、少年の背中に刺さった矢を引き抜き、その矢を見て呟いた。
「毒矢か。非道な……」
私は少年を仰向けにして上半身を抱き起こした。
「大丈夫か?!」
少年は一瞬笑顔で頷いたが、すぐに苦しそうな顔になった。
家令補が鎮痛の魔法を唱えた。少年の苦悶の表情が少し和らいだ。
「解毒できるか?」
私は家令補に聞いた。家令補は悔しそうに頭を横に振った。
私はどうしていいか分からず、魔王に叫んだ。
「魔王! この子を助けてくれ!!」
魔王が少年の横に跪き、少年の頬を優しくなでた。
「残念だが、この子の体は助からん」
「そ、そんな……」
「だが、この子の魂を現世に留めることは可能だ。ワシに取り込む形になるが」
それを聞いた少年がうっすらと目を開けて言った。
「せっかく人生が楽しいと思えるようになってきたんだ。まだあの世になんか行ってたまるか……」
「よかろう」
魔王が少年の額に手をかざした。少年は穏やかな顔になったかと思うと、目を閉じ、息をしなくなった。
「お、おい、しっかりしろ!」
私は少年の体を揺すって叫んだ。すると、立ち上がった魔王が言った。少年の声だった。
「あれ? 俺が寝てる?」
今度は魔王の声で言った。
「お主の魂がワシの中に入ったのじゃ。多少お互いに混ざるかもしれんが、まあ大丈夫じゃろう」
「え、混ざるなんて嫌だな……まあ、このままあの世に行くよりマシか」
そう言って魔王が少年の声で言った。
私は泣きながら私の少年時代の姿形をしたままの魔王に抱きついた。魔王は「お、おい……」と少年の声で戸惑った後、優しい眼差しになり、私の頭をなでた。
続きは明日投稿予定です。
明日完結予定です。
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