1 発端
おお、愛しの女王に大司教……よく来てくれた。
私はもう長くない……いや、分かるのだ。この世を去るときが来たということが。
遠征中の息子に会えないのは残念だが、こればかりは仕方ない。
女王よ、泣かないでおくれ。私は十分に生きた。女王とともに、この国の王として、精一杯努力してきたつもりだ。
最期に、私のワガママを聞いてくれないだろうか。2人に私の罪を聞いて欲しいのだ。
これで私の罪が消えることはないだろう。だが、少しでも心を軽くして、この世を去りたいのだ……
† † †
あの日のことは、今でもはっきりと覚えている。
私が父上である「西域公」に呼び出されたのは、18歳の誕生日。とても暑い日だった。
夏の日差しの中、王国第2の都市にある公爵城内で、日課の剣術の鍛錬を終えた私は、指南役の剣士と一緒に井戸端で水浴びをしていた。
すると、父上の従者がやってきて、父上がすぐに会いたいと言っていると伝えられた。
私は、従者に急かされながら、慌てて着替えると、父上の書斎へ向かった。
「おお、すまんな。我が息子、西方侯よ」
私が書斎に入るなり、父上が執務机の豪奢な椅子に座ったまま笑顔で言った。
西域公である父上は、当時40代前半。いつもギラついた目をしていた。私はそんな父上が苦手だった。
西域公の嫡男である私は、王国の西の外れにある領地に由来する侯爵位を儀礼称号としていて、「西方侯」と呼ばれていた。
父上がこの称号で私を呼ぶときは、とんでもない無茶振りをするのが常だった。
しかも、父上の横には、家令が侍立していた。
家令は、父上と同い年で、公爵領の言わば宰相だ。常に忙しい彼が、単なる親子の会話に立ち会うはずがない。
身構える私に、父上が話し始めた。
「最近、王国各地の魔物が狂暴化してるのは知っているな?」
「はい、承知しております」
私は固い表情のまま答えた。
公爵領をはじめとした王国内の森には、様々な種類の魔物が生息している。そのほとんどは大人しく、人が襲われることは稀だったのだが、魔物が人や町を襲撃するケースが急増していたのだ。
父上は私の返事を聞いて大きく頷いた。
「この問題については、領民が大変苦労しておる。西の諸国との交易にも支障が出始めている。早急に対処せねばならん」
父上が椅子から立ち上がり、私の前まで歩いて来た。
「そこでだ。我が息子、西方侯よ。お前に、この問題の解決をお願いしたい」
「わ、私がですか?」
「そうだ、お前なら出来る。いや、やらねばならぬ!」
父上は、私の両肩をがっしりと掴んで言った。
「あの傲岸不遜な東域公が、嫡男の東方侯を使って魔物の討伐を始めたらしい。このままだと、東方侯に手柄を取られて、王配の座を奪われかねん!」
そういうことか。私は内心でタメ息をついた。
当時、王国には、国王の他、有力な領主が2人いた。王国の西部に広大な領地を有する我が父上である西域公と、王国の東部に広大な領地を有する東域公だ。
当時の国王と西域公と東域公は、曾祖父を同じくする、いわゆる又従兄弟同士だった。
国王には男子がおらず、長子の王女が次期国王、王国史上初の女王になる見込みとなっていた。
そこで問題になったのが、女王の夫、すなわち王配が誰になるのかだった。その候補として名前が挙がっていたのが、西方侯である私と、東方侯の二人というわけだ。
王女と私と東方侯は、いずれも同い年で仲も良かった。
愛しの女王よ、覚えているかな?
何かの式典で皆が王都に集まった日、王宮の中庭で、君と私と彼の3人で花の冠を作って遊んだことを。竜に囚われた君を助ける2人の騎士ごっこをしたことを。
権謀術数の渦巻く王族・貴族の世界で、君と私と彼の良い関係が生涯変わることがなかったのは、私にとって幸せだった。
だが、君も知ってのとおり、それぞれの親である国王と西域公と東域公の仲は最悪だった。
西域公と東域公は、お互いの息子を何とか王配にしようと常日頃争っていたし、国王は、王配候補について終始曖昧な態度をとり、西域公と東域公を争わせて両者の勢力を削ごうとしているのが見え見えだった。
正直なところ、私はこの争いに関わりたくなかったが、そんなことを言おうものなら父上が激怒するのは目に見えていた。
「分かりました、父上。微力ながら魔物狂暴化の解決に取り組みたいと思います」
そんな内心を隠して、私が真面目な表情でそう答えると、父上は満面の笑みで喜んだ。
「さすが我が息子だ! よし、それでは今晩のお前の誕生祝いパーティーで、このことを皆に発表しよう」
「え?!」
父上はそう言うと、引きつる顔の私をよそに、家令と今晩のパーティーの段取りについて打ち合わせを始めた。
続きは明日投稿予定です。