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苦手な方はご注意ください。

【ハイファンタジー 西洋・中世】

騎士と魔王と物語

作者: 小雨川蛙

 

【結】

 傷だらけで。

 血にまみれて。

 苦痛に顔を歪ませながらも。

 それでも歓喜に満ちた産声をあげた。

 殻を破り、今まさに生まれ落ちたその命を私は何と呼べば良いのだろうか?


 旅の途中で立ち寄った村で私は奇妙なものを目撃した。

 それは土と泥、煤と埃、そして数えきれないほどの傷が刻まれており、流れ出た血のためか肌は褐色の大地を思わせるほどに赤で濁っていた。

 多分、あれは人間なのだろうと私は思った。

 背中は大きく曲がっており、歩く時は猿のに滑稽な姿であったけれど。

 きっと、あれは人間なのだろうと私は理解した。

 その身体は大柄な男よりもさらに二回りは大きかったけれど。

 私は馬を止めてその巨人を見つめていると、巨人はこちらに気づきニコリと笑った。

 どう反応したものかと戸惑っていると村の子供達がやってきて大声で罵った。

「おい、ノロ! 遊んでやるよ!」

 言うと同時に彼らは手に持っていた石をノロと呼ばれた巨人の顔に思い切り石を投げつけた。

 ノロはうめき声をあげると子供達は残酷なほどに無邪気な笑い声と共に石を投げ続け、さらには持っていた棒きれで彼の傷を抉った。

 痛みに呻くノロの傷口から血が噴き出すと「血が出たぞ! きたねえ!」、「近寄んな!」と子供達は離れてまた石を投げ続けた。

 しかし、ノロは逃げることなくその場でうずくまり子供達のなすがままに任せた。

 当然ながらその光景から心地良いものを一切感じることはなく、かと言って事情を何一つ知らない私からすれば不快さよりも先に疑問が湧くばかりで、いずれにせよ留まる必要など皆無なこの場所から離れるために私は馬を再び進めた。

 ノロが何故抵抗をしないのか。

 そして、痛みに呻くノロの顔が何故か嬉しさを纏っているのを不思議に思いながら。


「騎士様はどこからいらっしゃったので?」

 よほど客が珍しいのか宿の主人は饒舌で、私は質問の一つ一つ答えるのに辟易していた。

「なるほど。王都から」

 失言だった。

 さらなる質問攻めになることを察した私がうんざりした気分でいると、先ほどまでノロと共に居た子供達が続々と宿の中に入ってきた。

「どうしたんだい」

 俄かに騒がしくなってしまった店内で主人が顔をしかめて尋ねると子供達は不満そうな顔を隠さずに言った。

「父ちゃんたちがノロを奪っちまったんだ」

「ずるいよな。俺らが先に遊んでいたのに」

 主人はどこか小気味よさそうに笑う。

「あぁ、ウェルドのとこの子牛が狼に食われちまったらしいからな。鬱憤がたまってんだろ」

 どうやら主人とウェルドという村人はあまり仲が良くないらしい。

 主人は散々にウェルドの悪口を言っており、そのウェルドの娘と思わしき少女だけが塞ぎこんだ表情をしていたが、他の子供達は慣れているのか気にした様子もない。

「ノロの奴、鋤で背中を殴られてさ。背中から血を流して呻いてたんだ」

「ずるいよな、父ちゃんたちは。俺らには使わせてくれねえのに」

「そら、お前らガキが農具を壊しちまったら大変だからだろうが。俺も流石にそこはウェルドの肩を持つぜ」

 そんな会話の中、少女が今ようやくと言った様子で私に気づいたようで声をかけた。

「お姉さん、旅人さん?」

 早く部屋に戻れば良かったと後悔したが後の祭り。

 今度は子供達から私は質問を受けるはめになり、挙句の果てには腰に差していた剣を触らせろだのと言い出したが、それは流石に主人が止めた。

「お前達、騎士様が困っているだろ。いい加減離れろ」

「なんだよ。ケチ」

「つまんねえの」

 悪態をつきながら子供達が離れていくと、彼らは玄関の前でくるりと振り返って無邪気に笑って言った。

「お姉さん、またあとで話を聞かせてね」

 その姿はまさに子供そのものだった。

 微笑ましい姿にどこか幸福さえも抱かせる。

 だからこそ、私はあのノロと言う巨人が気になり店主へと尋ねた。

「あぁ、アイツはウスノロのノロです」

 返ってきた言葉は実にあっさりしたもの。

「力加減が分かんねえのか農具は壊しちまうし牛や馬は怖がって逃げちまう。知恵も働かねえのか話しかけてもすぐに言葉が返って来やしねえ。そのくせあの図体のせいで飯は人一倍必要だ。両親はとうに死んで見受けもいねえ。だから村全員で飼っているんですわ」

 飼っている。

 その言葉はあまりにも端的にノロの立場を表していた。

 つまり、ノロは何も出来ない。

 かと言って、共同体である村として放置も出来ない。

 だからこそ、村全員で保護している。

 それだけなのか。

 心中穏やかでないのが表情に出たのか主人は不快そうな声で言った。

「まさか、あんた。あんな扱いをするんならノロを見捨てちまえとでも思っているんじゃねえだろうな?」

 黙りこくる私に主人は尚も続けた。

「俺らはそんな残酷なことはしねえ。ノロは村の一員だ」

 本気でそう信じていそうな顔。

 そして、事実そうなのだろうと思った。

 私は部屋に戻ると言ってその場を後にした。


 夜。

 宿を抜け出すと月星の明かりを頼りにしてノロを探した。

 どうしてそんなことをしたのか、その気持ちをどう表現すれば良いのか私は分からない。

 今にして思えばあまりにも軽率で愚かで自分本位の行動だったと思う。

 ノロはすぐに見つかった。

 彼は村の外れで藁にくるまりながら星を眺めていた。

「おや、あんた」

 私の姿を見たノロはニコリと笑った。

 昼に出来た傷から流れ出た血により肌は先ほどよりも赤くなっており、僅かにでも動くと痛むのか笑顔もやや引きつっている。

「昼にこの村に来た騎士様だねぇ」

「ええ。そうね」

 私が頷くと「うんうん」とノロも頷いた。

「昼は悪かったなぁ。あんたがあんまりにも綺麗で美して見惚れちまった」

「お世辞がうまいのね」

「いや、本音さぁ。昔、母さんに聞いた物語に出てくる英雄かと俺は思ったくらいだぁ」

 主人は話しかけてもすぐに声が返ってこないと言っていたがそんな様子はまるでない。

 彼はしっかりと私と会話が出来ていた。

「あなた、名前は?」

「ノロだ」

「それは本名ではないでしょう?」

 ノロの顔は一瞬虚に落ちた。

「あぁ、確かにそうだ」

 しかし、すぐに元の表情に戻る。

 彼は私から逃れるように空を眺めた。

「痛くないの?」

「痛いさぁ」

 意外にも淀みなく言葉は返ってきた。

「苦しくないの?」

「苦しいさぁ」

 淡々と流れ出すノロの答えは諦めに満ちていた。

「辛くないの?」

 三つ目の問いでノロは言葉に詰まる。

 私はノロの隣に座ると彼が言葉を返すまで無言で待ち続けた。

 何故、ノロの元に来たのか。

 無責任な哀れみか。

 無意味な義憤か。

 それとも、興味本位の戯れか。

 いずれにせよ、ノロは予想通りの言葉をぽつりと呟いた。

「とても辛いさ」

 漏れ出た本心を隠すようにノロは早口で言葉を紡いだ。

「けど、村の皆は俺に役目をくれたんだ。この村に居られるようにって。だから、俺は感謝して生きているんだ」

 子供達が石を投げていた場面を思い出す。

 鋤で殴られたという光景を思い描く。

 数々の傷で痛んだ体を見つめる。

 農夫は畑を耕し牧者は牛や豚を育てる。

 宿屋は旅人をもてなし鍛冶屋は鉄を打つ。

 子供は遊びながら仕事を覚えて成長し、やがてこの村の命を繋いでいく。

 私のように世界を旅をする者などごく少数で、ほとんどの者にとっては世界とは生まれ育ち死ぬ場所なのだ。

 だからこそノロはこの村で生きていた。

 どの役目にも付けず、それでもどうにか生きていこうとした結果がのけ者だった。

 人々はそれを戯れに痛め、蔑み、迫害し、時にその存在に救われる。

 自分より遥か下の者が居るのだと。

 ノロの生き方。

 ノロの処世術は多分間違ってはいない。

 一つの在り方だ。

 だから、これはただの私の無責任な自己満足。

「この村だけが世界じゃない」

 立ち上がった私をノロが見上げた。

「自分を受け入れない世界に無理に馴染もうとしなくても良いと私は思う」

 ノロはしばらく私を見つめていたがやがて声をあげて笑った。

「あんたはやっぱり物語に出てくる英雄だ」

「そんなはずないじゃない」

「いいや、間違いない」

 ノロは立ち上がると私を泣きながら抱きしめて言った。

「あんたは俺を救ってくれた」

 その腕は恐々と私を抱きしめていた。

 強く抱きしめたいのにそれをすれば全てを壊してしまう。

 そう理解して。

 その優しさが心地良かった。

「俺はあんたと同じ世界で生きていたい」

 そう言うとノロはゆっくりと私から離れた。

 そして、次の瞬間。

 私はノロに思い切り殴られ、そのまま意識が失った。


 痛みに呻きながら目が覚めたのは黎明だった。

 ノロが何故私を急に殴ったのか分からないまま身を起こし、痛みで呻きながら回りを見回した時、村の方から火の手が上がっているのに気づいた。

 一瞬、呆然とした私はなんとか立ち上がるとふらふらとした足取りで村へと向かう。

 辿り着いた村は辺りに老若男女問わず血に塗れた死体や千切れた死体が転がり、家々は半壊したり火が放たれたりとあまりにも悲惨な光景だった。

 理解が追い付かないまま私は剣を抜き警戒態勢のまま歩を進めていくと村の中央から子供が泣き叫ぶ声が聞こえた。

 そこには昨日私に無邪気に話しかけていた少女が血と傷に塗れたノロに抱えられ必死に抵抗する姿があった。

「お姉さん!」

 私の姿を見止めた少女が叫んだのとノロが私を見つけたのは同時だった。

 彼は「きたかぁ」と心底嬉しそうに微笑むと少女の首を折り無造作に地面に投げ捨てた。

 剣を握る私の手は震えていた。

 理解が追い付かない。

 一体何が起きている?

 そう固まっている時にノロは右手の人差し指を私に指した。

「あんたは英雄」

 狂気に満ちた声。

「俺は魔物」

 頭の中が冷静さを取り戻していく。

 昨日、ノロは私に何と言っていた?

 痛いほどに激しく脈打つ心臓とは対照的に脳はあまりにもあっさり答えを出した。

『俺はあんたと同じ世界で生きていたい』

 そして、ノロの中で私はどんな世界に生きていた?

『物語に出てくる英雄』

 答えに辿り着いた思考が私を現実に引き戻し、目が改めて自分の前に立つノロの姿を映した。

 村民たちはおそらく必死で抵抗したのだろう。

 ノロの体は真新しい傷で満ちていた。

 それらの痛みでノロの顔は歪んでいた。

 しかし、それでも彼は笑っていた。

 ノロは踵を返して歩き出す。

「まだ死にたくない。まだあんたと同じ世界で生きていたい」

 今すぐに彼を殺さねばならない。

 でなければ間違いなく『物語は続いていく』のだ。

 だが、私の身体は動かなかった。

 痛みの故か。

 あるいは恐怖の故か。

 ゆっくりと歩き去るノロを私は見つめる他無かった。


 傷だらけで。

 血にまみれて。

 苦痛に顔を歪ませながらも。

 それでも歓喜に満ちた産声をあげた。

 殻を破り、今まさに生まれ落ちたその命を私は何と呼べば良いのだろうか?

 彼は自らを魔物と呼んでいた。

 しかし、私には彼はもっと、ずっと恐ろしいものに見えていた。

 つまり、それは。

 浮かんだ答えを私は無理矢理振り払う。

 物語がいつ終わるのかは分からない。

 しかし、今は。

 今、この瞬間は。

 彼の言う英雄は歩き去る恐ろしい者の背中を見送る他なかった。


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