一晩目
目を覚ますと、ぼんやりとした視界。しばらく寝ていたようだ。少しずつ焦点が合ってくると、そこは鬱蒼とした森の中だった。木漏れ陽があたりをひっそりと照らし、湿った空気に包まれている。少しばかり崖の下で寝てしまったようだが、寝る前まで何をしていたかはぼんやりとしていて思い出せない。
手足が重い。
ゆっくりと腕を持ち上げる。目に入ったのは自分の腕。白く透き通った肌には、それを台無しにしてしまう無数の傷跡や痣。
体をゆっくりと起こす。
節々が痛むので、寝違えてしまったのだろうか。
目に映る自分の体は腕と同じような傷や痣。身につけているものは服と言うにはあまりにもお粗末で、極部を隠すためだけの布切れといったほうが正しいだろう。それよりも首についた首輪が気になってしょうがない。手触りは無機質な金属でそれなりに重い。邪魔なので取りたいという気持ちが、手探りで外そうとする。手前につなぎ目と輪っかが付いているのはわかったが、外せそうにもないのですぐに諦めた。輪っかから伸びる鎖は腕の長さほどで飼い主を離れた犬のリードの如く千切れており、その重さが首をむやみに引っ張る。
「ふぅ。」
と小さなため息が漏れる。森はため息の音を無情にも吸っていく。人の気配のない、どこまでも続いていそうな木々の犇めきからは、風の渦と一緒に揉まれる擦れる葉しかしない。
やっと落ち着いたら、今度は急にのどが渇いてきた。いや、正確には意識から逸れていただけで、のどは元から乾いていたのだろう。
とりあえず、壁に手をかけ、体を支えながらゆっくりと立ち上がる。ここにいても喉は潤すことはできないことぐらいはわかっている。
まわりを見渡す。川や池があれば良いが、そう都合よく見つかりはしないだろう。だが、その中を照らすように遠くに光が見える。
「行くしかないよね。」
この森は何処まで続いているか、この先に水があるかはわからない。喉は乾いているが、まだまだ耐えられる程度である。なら、試しに行ってみるのも悪くは無いだろう。何も無ければ戻ってこれば良い。
そう思って歩き出した。
森を歩き続ける。たまに土に紛れた小石が足の裏を刺す。光の元が近づいてくる。池や湧き水があれば、そこで喉を潤せるだろう。途中から背の丈よりもある草が生え始め、希望も感じた。だが、それと同時に血のような匂いを感じるようになった。もしかしたら、肉食の動物が居るかもしれないが、動物が生活できるなら水もあるはずである。草を掻き分け、進む。頭の中には、水のことしか無かった。
「えっ···。」
ようやく茂みを抜け出せると思ったその時、思わず足が止まった。
二人組の人ともう一人の人が居た。だが、様子がおかしい。全身を黒い服に覆った二人組の前に自分と同じような見た目の少女が転がっていた。
「よし。これで13匹目。隊長、あと少しですね。」
「やっと後1匹か。いい加減帰りたいものだがこいつらちょこまか逃げやがって。このッ。」
「ぁ゙っ」
隊長と呼ばれた黒服が少女を蹴飛ばした。
少女の吐血が舞った。
「隊長、もうあと1匹だけですし帰りませんか。もう疲れましたよ。」
「何甘えたことを言っている。ここまで探し続けたんだからあと少しだろ。」
「どうせ1匹ぐらい居なくなっても問題ないとは思いますけどねぇ。」
「取り敢えず、コイツを連れて帰るぞ。あと1匹も近くにいるはずだ。」
すべてを察した。ここから逃げないとまずい。来た道を音を立てないように急いで引き返す。
焦りと疲れがより喉を乾かす。だが、そんな事を気にして見つかってしまえば、自分も同じ目に逢うだろう。草地を抜け出し、また森の中を走り抜ける。しかし、体はだんだん言うことを聞かなくなってくる。その時だった。
「おえっ。」
鎖が木の枝に引っかかり、そのまま転んでしまった。
「いっった。」
体は軋み、これ以上走る気力もなかった。相変わらず喉は乾いている。
だが、あの二人組に捕まれば、この先どうなるかはわからない。少なくとも良いことがないのは明白である。そう自分に言い聞かせ体を起こし、枝から鎖をはずした。
また一歩ずつ歩き出す。足の裏は、踏んだ小石達によって血だらけになっていた。痛い気持ちを抑えて、歩き続ける。
ようやく目の覚めた場所まで戻ってきた。
取り敢えず腰を下ろす。
だが、ここも安全とは言えないだろう。二人組を見かけた地点からそう離れてはいないはずである。ならば少しでも動くべきだ。しかし、ここに来て避けては通れない道がやって来た。
(ぐぅー)
お腹が低い音を立てる。そういえば、起きてから随分経つが水も食事もしていない。幸い、森の中なので、捜せばきのこぐらいならあるかも知れないが毒がある可能性も高い。食べるのはリスクを伴うだろう。
あたりが暗くなり始める。
どうやら日没のようだ。いつ起きたかはわからないが、疲れたことに変わりはない。眠気が再び体を襲いだした。鬱蒼とした森には自分の吐く息の音だけが闇に飲まれていく。
あの二人組は今も自分のことを探しているのだろうか。あの少女は今頃どうなっているのだろうか。そもそも自分はいったい誰で、ここはどこなのだろうか。なんで、ここに寝ていたのだろうか。
意識がもうろうとしてきた。おそらく脱水だろう。結局水を見つけることはできなかった。それどころか、自分の事さえ忘れてしまった。
「このまま、死ぬのかな。」
そういえば、親の顔も名前も思い出せない。覚えているのはあの二人組と横たわる少女だけだった。振り返ってみてもそれしか思い出せない。
遠くから、誰かの足音がして来たが幻聴だろう。この闇に包まれた森に誰かが来ることはないし、動物も見かけなかった。
(ざくっざくっ)
徐々に足音が近づいてくる。
(ざくっざくっ)
足音が止み、誰かが自分の横に立っているのか、気配を感じる。
敵かもしれないのに、思わず口から漏れてしまった。
「誰か・・・。助けて・・・。」
帰ってくるはずのない、誰にも聞こえるわけのない小さな声が森へと吸い込まれる。
だんだん意識が遠のいていき、誰かに抱き替えられているようにも感じる。
「いいだろう。人の子よ。今はゆっくり休みなさい。」
2018年ごろに少しだけ、なろうで書いていました。
ふと思いついた夢の話と現実を描き続ける予定です。