新星新人画家殺人事件
優介は事務所のドアを開けた。緊張を隠せない優介は奇妙な視線を感じた。それは猫の視線だった。小さい黒い猫が待っていましたとばかりに目をパチクリさせた。
そして気づかれたと奥の部屋に逃げていった。優介のこの事務所のイメージは黒い猫の事務所。黒猫探偵社と成ってしまった。この黒猫探偵社に今日から勤める事になる。優介は気を引き締め初日を迎える。そんな大きい事務所ではないが、心地よい日差しが差している。お客の座るソファーと机、そして黒いロッキングチェアー。机は書類や本、何か解らないメモ書きで散乱していた。そこに優介は何か椅子に伏せっている人を発見した。うら若い制服の女子高生だった。爆睡している。
優介は起こそうか起こすまいか迷ったが、緊張に耐えかねて肩を叩いた。
女の子は「あーよく寝た」と欠伸をして眠たそうな目を開いて此方を見た。「あれハンサムなお兄さんが居る」「何しに来たの」女の子はトロンとして笑顔になった。
優介は今日からお世話になる夏目優介と言いますと挨拶をした。
女の子は、「ああ聞いてる聞いてる今お兄ちゃん留守にしてるの。」「私の名前は美樹、司馬草太の妹。」「現役の女子高生なんだよ。何かあったらお見知り置きを。」と誇らしげに言った。「夏目優介さんって言うのか、お兄さんハンサムだねモテるでしょ。」と興味津々に聞いてきた。優介は「まあそこそこ」と謙遜した。
美樹は、優介の書類を見て「前の仕事は」とチラ見して目をパチクリさせ「うーん。元ホストか」と唸ったが「まあいいや、でこれからヨロシクね」と微笑んだ。
黒猫が音を立てずに美樹の足に絡みついてきた。優介は「よく懐いてますね。」「この探偵社のマスコット的な猫ですか」と聞くと美樹は、「それが3ヶ月前から居着いた迷い猫なの。此処を離れないし飼い主も居ないみたいなのでしばらく預かろうと思っていたんだけど」と心配な顔をした。優介は、ちょうど僕がこの探偵社に勤めることが決まった時期だと思ったが何かの偶然だろうと思った。まさか優介を見張りにきた迷い猫だとはつゆにも思わなかったのだ。
美樹と何気ない話をしているとカランコロンと扉が開く。夢野がいつも通り真っ黒の服を着て突っ立っていた。
美樹は、手慣れた感じで「夢野さんお久しぶりまたお兄ちゃんと喧嘩しにきたの」と笑った。夢野は、今日は、私の紹介した優介君の初めての出社だと思って励ましに来たんですよ。美樹さん目敏いですね。優介君カッコイイからもう目を付けたんじゃないですかと笑った。美樹は、赤くなって夢野さんはっきり言い過ぎと怒ったりした。
暫くするとガタゴトと重たそうな書類の入った段ボール箱を二段に重ねた物を運ぶ長身の男が部屋に入って来た。
その男は着崩した紺のスーツにスラックス無精髭を生やしているが、切れ長のイケメンだった。その男は、夢野を見ると「イカサマ占い師来てたのか」と夢野を詰った。
夢野も夢野で、確証もないのに占いをイカサマと決めつけるなんて探偵としてどうなんでしょうね。占いをインチキと決めつける根拠は、何なんですかと突っぱねた。
その男は、超常現象だなんだで済まされてしまったら推理なんて何でも超常現象だからで片付けられてしまうんだよと憤慨した。
美樹は優介にお兄ちゃんああ見えてインテリなんだよ。早稲田だよ早稲田私なんて三流大入れるかどうかと小声で教えてくれた。
その男司馬草太は、早稲田大学文学部哲学科近代西洋哲学専攻の秀才である。
草太は、近代西欧が世界を制覇したのは、哲学のおかげなんじゃないかと思った。
産業革命などの技術が進歩してもそれを使うのは人間だからだ。なので西洋の哲学の物の考え方を知りたいと思ったのだが西洋哲学の理屈っぽさに碧碧としてしまった。そんな所にサークルを推理研にしてしまったばっかりに推理の世界にハマってしまってこの業界に入ってしまったのだ。だが親は怒りに怒り勘当されてしまった。そこで時々妹の美樹が様子を見に来る事になったのである。
草太は、優介の存在に気が付くと夢野を無視して君が優介君か。「僕の名前は司馬草太。何かあったらお見知り置きを」と挨拶した。
美樹は、此れは、お兄ちゃんの口癖なのと相槌を打った。
草太は、契約書を整えると、ようこそ司馬探偵事務所へと握手を求めた。優介が握手を
すると。草太は、徐に探偵に一番大事なのは何だと思いますか。と質問した。優介が考えあぐねていると、色々あると思いますが私は、直感だと思うんです。人は私のことを「直感探偵司馬草太」と呼ぶと自慢した。
美樹は「フリーズ探偵とも言われるのよね」と馬鹿にした。(推理に没頭するとフリーズ状態に陥る時があるという弱点を抱えていることは、後で知った)司馬草太は直感の強い探偵の様だ。
その草太は、占いは信じないが、夢野には何か有ると直感的に感じているらしかった。
ちなみに黒猫の世話は、今日から優介の仕事の一つになった。草太は、小動物は、何を考えているか解らないので嫌いらしい。まあ考えが解ったらそれは、それで恐いけどと優介は思った。
優介の探偵社での仕事が始まった。事務所の掃除や猫の世話をしたり書類の整理をするのだけれど一つ解ったことがある。パソコンは、あっても草太は使えないのだ。全部優介が打つ事になる。机の横のゴミ箱には、即席麺の空が渦ず高く積まれており料理も出来ないようだ。なので仕事と言っても食事を三食作る事等半分家政婦のようなものだった。草太は推理以外は何も出来ないらしい。しかも仕事は誰も来ないので僕なんか雇ってやっていけるのだろうかと不安になった。聞いてみると、草太は「いいんだいいんだ」「こんなんでも食っていけるんだよ」「名探偵の需要は、其れなりにあるんだ」「それにもう即席麺は飽き飽きなんだ誰が僕の御飯を作るんだよ」と答えた。優介は呆れてしまったが世の中はある一定度名探偵たる者に事件を持って行きたがる人が居る事を後で知った。
家政婦なり料理人でも雇えばいいのに「夢野が面白い男と言うなら面白いのだろう」と雇ってくれて優介は夢野には、感謝してもしきれない思いだった。
今日も暇だ。草太は、黒い椅子をギィギィと鳴らせると唐突に「そうだ今日は、暇だから美術館に行こう」と言い出した。
優介は、事務所空けちゃって大丈夫なんですかと聞いたら、草太は、「何大丈夫さ。携帯もあるし管理人さんも居るしお客さんも大体待っていてくれるから」と気楽に言った。
草太の趣味は、美術鑑賞なのだそうで美樹を誘って三人で美術館に行く事になった。
日本美術名宝展と銘打っている。展覧会場の前で美樹と待ち合わせしたが、時間に十分美樹は遅れて来た。転びそうになりスケッチブックを道に落として慌てて拾う美樹はちゃっかり御洒落をしていた。草太は、「美樹何御洒落して来てるんだよ」「美術館なんか行くのに」と笑った。「うるさいなー」と美樹は怒ったが、優介には、照れ笑いを浮かべた。
優介は、スケッチをするんですかと聞くと、美樹は、恥ずかしそうに「ちょこちょこ趣味で描いてるの」「うちの家は家族揃って美術好きなんだー」と嬉そうだった。
美術館のエントランスを抜ける、平日の昼間なので客は疎らだった。
絵が、一列に展示されている。古い絵だと言うことは、優介にも解った。のだが絵の事は優介には解らない。その展示の中央辺りに立派な袴姿の老人が直立不動で悲しそうな顔をして国宝の松の絵をじっと眺めていた。その目は、自分の人生を見つめている様なやり切れない思いを忘れようと思っている様な、悲しみを帯びていた。
そこに美術館の館長らしい人と数人の紺の作務衣を着た人や画商らしい画集を持った人一人がドタドタとやって来て、「先生此方にいらしていたのですか。」「言ってくれれば案内しましたのに」と言った。
「あの人日本画家の大家、香山山岳山じゃない。」と近くに居た人が囁いた。美樹は、「すごい香山岳山に会えるなんて」と感動一際だった。
談笑している岳山に美樹は、スタスタと近づいて行き「先 生私のスケッチブックを見て貰えませんか」と勇気を振り絞って言った。館長が「何を言っているんだ」と言い聞かせていると弟子の一人が「あ、名探偵の司馬草太じゃないか」と此方を見て言った。館長は、このお嬢さんは、司馬草太さんのお連れさんなのかと怒りを納めた。岳山は「見てあげるよ」と優しく語り掛けた。もうさっきの悲しそうな目は、消えていた。
岳山は、ペラペラスケッチブックを捲り、「良い味が出ているね」「綺麗な絵を描こうとするより自分の味のある絵を描くことを心懸けなさい」とアドバイスしてくれた。
美樹はその後最後にスケッチブックに絵を描いて貰えませんかとお願いした。画商がお嬢さんそれは駄目だよと言うと、岳山は、「ゴメンね、お爺さんはプロだからタダでは描けないんだよ」と謝まった。
館長は、「岳山先生だけじゃないんだよ。先生の一番若い弟子、新進気鋭の期待の星、山岳壁山先生も来ていらっしゃるんだ」と草太に紹介した。
壁山は会釈をすると「そうだ今度僕の個展をやるんだけど君達も良かったら来てくれないか」と誘ってきた。他の弟子は冷ややかな顔をしたが気にも止めて居ない様だった。
草太は「ぜひ行かせて頂きます」と言うと美樹は、新進気鋭の香山壁山の個展なんて楽しみだなと舌舐めずりした。
「先生もう時間が」と弟子の一人が言うと岳山は、「そうか」と絵を見向きもしないで去って行った。それを何想うでもなくニタニタと壁山がほくそ笑むのを優介は、気になってしまった。
その後も優介達は絵を隈無く見たが優介は、どの絵が素晴らしいか全部良く見えて(全部名品なのだが)何が何だか解らなかった。
暫くして香山壁山の個展を見にいった。こじんまりした展覧会だが渋谷の一頭地で客も貴婦人紳士などでごった返しだった。
香山壁山は、品のいい着物を着て客の応対をしている取り巻きがキャキャと喋ってカメラマンに写真を撮られていた。
壁山は、優介達を見つけると「やあ皆さんよく来てくれたね」と挨拶をした。
作品は、大小有り素晴らしく誰が見ても唸の出来だ。自信満々の壁山は、大層立派に見えた。
ある記者は、今度の賞は、壁山で決まりだろうと囁いた。万年の栄光に溢れた会場に怯える人が居る。香山岳山だ。
弟子の晴れ舞台を喜んでいない。嫉妬かいや嫉妬と言うより侮蔑した人を見る目付きで壁山を見つめている。
壁山が「近々新作を描くんですよ」と記者に話してると岳山は、ふと一計を案じた風で顔を上げた。そして近くの客に「儂も近々対策を描かなければならんでの」と吹聴した。
個展は大成功だった。此れで壁山の名言は益々高まるだろう。満面の面持ちでタクシーに乗って帰っていく壁山だった。
新聞に香山壁山死亡アトリエで自殺か?と見出しが載った。しかし遺言はなく新作の絵は、完成されていた。しかし不思議な事に、二枚の松の絵が部屋の障子にくっ付けられていた。その二枚の不自然な絵は、何だろうと言う事になった。自殺の前にこんな奇妙なことをするだろうか。それに自殺する動機も無い。
部屋は、鍵が掛かっていて人は入れないどころか自分を追い詰める為開かない様にしていたみたいでもちろん電話も置いてなかった。
携帯も持ち入れる筈もないし壁山一人以外密室だ。死因の毒は画家が詳しそうな緑青系の毒だった。酷く苦しんだ様で障子は、バリバリに破かれているのでひたすらに二枚の絵が目立っていた。
司馬草太探偵事務所に電話が掛かる。警察からの事件依頼だ。香山壁山は、他殺か自殺か調べて欲しいという事だった。草太は優介と現場に訪れる。壁山は、毒で硬直して無惨に屍を晒していたが指を二枚の松の絵一点を指していた。
草太は「絵の具の毒か。他殺だったら絵の知識が有る人の可能性が高いなぁ」と呟いた。」
壁山は、事実上監禁されたとも言える。誰も気付かなかったんですか」と他の弟子に聴いた。弟子達は少し狼狽えたが壁山とは、皆仲良くなく誰も何も知らないの一点張りだった。壁山のアトリエの鍵を持っている香山岳山は、自分の大作の制作途中で二週間前から籠っていて作品を完成させる迄事件の事は知らなかった様だ。
絵を描いているところは、岳山は人には見せないという事で壁山とは、互い密室に籠っている。
草太は「この茶碗でお茶に毒を入れて飲んだのか」「ワザワザお茶に毒を入れるなんてすごく親しい人が面識のある人しか飲まないだろうな」と頷き二つの松の絵を見て「これは、香山壁山が残したダイイングメッセージだよ」と話した。
優介が「この二枚の絵に何か隠されているんですね」「でも似たような絵だけど何か有るのかな」と腕組みをした。
草太は、「優介。この二枚の絵どちらが上手いと思う?」と謎かけした。
優介は「両方とも筆跡は似ているけど強いて言えばこっちの方が躍動感と言うか重みがあるんだよなぁ」と一方の絵を指さした。草太は「そう一見似ているけど見る人が見れば両者は、別々の作者だと言う事がわかる」「たぶん一方は。壁山のもう一方は犯人の絵だ」「これは壁山が犯人を教える為の。そして他の者が証拠を隠蔽しない様に壁山が考えてやったメッセージだ」と断言した。
草太と優介は香山岳山の家のアトリエに出向く。岳山は満足そうに自分の大作の絵を見ている。「やあ君達か」「久しぶりに良い絵を描けたよ」「こんな絵はなかなか絵はけない」と自負した。
草太は、こんな絵を見つけて来るのは、画商さんも苦労した事でしょうと言った。岳山は、「何を言っているんだ。この絵は、近々作ったばかりの絵だぞ」と怒りだした。草太は多分画商さんが手配した絵でしょう。もし先生が捕まってしまったら稼ぐ宛を無くしてしまうから画商さんも大変だ。と言った。
「そんな大作を作るには徹夜したって二週間は掛かるでしょう。だから先生は密室から出てこなかったと言いたいでしょうが初めから用意して有るなら先生のアリバイは、崩れますよね」
岳山は、慌てて「壁山の絵は完成していたそうじゃないか」「最近まで壁山は生きて絵を描いていたそうじゃないか。私は殺人指示も出来ない」と反論してきた。
草太は、「あらかじめサインと日付が書かせた紙を壁山に作らせて置いて先生が書いた絵を置いて来たんでしょ」それで死んだ日付を偽装したんだ。と推理した。
先生は、部屋を抜け出し会いに行っても弟子達は暗黙の了解で黙ってしまうし、先生にお茶を出されたら壁山もお茶を飲まざるを得なかった事でしょう。それで壁山は毒は、先生の仕業と認識したのでしょう。可哀想に誰も助けてくれない。部屋から出しても貰えない。壁山は、もがき苦しみながらダイイングメッセージを残し息絶えた。先生が絵柄を似せても自分の微妙なクセ(個性)は変えられませんあの片方の松の絵は隠しても香山岳山の絵に他ならない。誰も自分の微妙なクセは変えられないんです。と言った。
岳山は、壁山は、自殺じゃないのかねスランプは画家には良くある事だよと言い逃れした。
草太は「先生が見つめていた国宝の松の絵。確か室町の画家因渓でしたっけ」「知る人が知る幻の天才画家ですよね」
その絵の一幅を歴史鑑定すれば先生の絵だって証明されますよ。多分先生が何らかの事情ですり替えた。そうですよね。隠し通そうとしても知らず知らずのうちに大衆に証拠を晒していたんですよ」と優しく問い詰めた。
部屋がぞよめきたつと、実を言うと私が犯人ですと一人の弟子が声を挙げた。イヤ僕が犯人だ複数の人が名乗り出た。
岳山はもう辞めないかお前達が罪を被る必要はない。「壁山は、絵が上手いって言われて当たり前だよ」「作風を変えて私が描いていたんだもの」と告白した。
「そう香山壁山は、絵は三流だが絵の目利きは、一流の男だった。ある時私の今生の究極の秘密を知られてしまった。私は、昔嫉妬から因渓の絵を燃やしてしまった事があった。日本画の大家になった私が因渓の松を見て絶望してしまったのだ」
これから一生かけてもこの松と同じ位の絵を描けないと悟らされてしまったんだ。そうなんだ完全にマウントを取られてしまったんだんだよ。自分の才能のなさに神をも呪ったよと語った。
そして気が付いた時には絵に火を付けていた。我に返った私は、これがバレたら画家として終わりだと想うと同時に、それ以上にこの世の歴史的重みに耐えられなくなった。
そこで紙をも古め化して、自分で渾身の絵を描いて絵を再現したんだ。だが常人は騙せても見る人が見れば、そう香山壁山には、バレてしまった。
そして壁山は、私を脅して自分の作品を描かせた。私はゴースト画家で居ることに嫌気が差して壁山を殺すことを決意した。
壁山は私に、あんたにこの作品の高みの作品は一生描けないと罵っていたっけ。とぼやいた。そして此れでおしまいだねと。
刑事に連行される岳山は「そうだ」と言って色紙に絵を描いてそれをお嬢ちゃんに渡しておくれ。当分刑務所で絵が描けなくなってしまうからと手渡した。
その紙を見て美樹は優しいお爺さんの絵だねと言った。
完