学園の謎10
王に会った翌日に、昇陽王子から書類が送られてきた。次の遠征先の資料だ。
もう次の遠征かとうんざりしたが、一年の間に遠征に五回行くとすれば、遠征そのものの時間だけでなく、準備期間もそれなりに時間がかかる。学生とは言っても、酷暑期は休みになるし、それぞれ家や領地の行事などにも参加することもあるだろう。少なくとも、両王子はいくつかの国家行事に参加することになるはずだ。
次の遠征先は、盛墨公子の推薦だった。
ちょうど午前中に地理の授業があり、遠征先の情報も得ることができた。地理の授業は公開で見慣れない人間も大勢いて、教師も様々な逸話や冗談を盛り込んで喋るので、なかなか楽しい気楽な授業だった。
遠征先は巴州の禅林だ。盛兄弟の出身地馬州の近隣の州で、禅林は郭伯爵の領地だ。巴州と馬州は瓶淀山を挟んでいる。
禅林はそれほど大きな都市ではないが、近隣から人が集まる町だ。そして、その規模に反して、かなり有名なところだ。
なぜなら、瓶淀山から現れる女主族と接触できる唯一の町だからだ。
瓶淀山は、それほど高い山ではなく、ぽこりと一つだけ盛り上がって存在する。周囲は平野で、農地が広がっている。瓶淀山は険峻ではないが、周囲から独立した高地なので、戦略的には有意な立地にある。だからこそ、女主族はそこを本拠地に選んだのだろう。
彼女たちは主に狩猟と採集で暮らしている。林業にも関わっているようだ。刺繍や縫製などで、いい製品が出てくることもあると聞く。
但し、大々的に展開している商売はないようだ。基本的に自給自足ということなのだろう。
夏瑚は女主族について調べることにして、図書室に出向いて資料を探した。
しかし、読みやすい解説書などはなく、治部の登記資料のようなものしか見つからなかった。
それによると女主族の人口は千人に満たない。ただ、減少はしていないようで、新しく誕生する子供と、外部から流入してくる人がいるようだ。流出する人も多いのだが、それを上回って移住してくる人が存在する。男女比率は、話に聞いていた通り、成人男性はおらず、族長をはじめとして主だった役職者も女性で占められている。
狩猟と採集が主な産業だと聞いていたが、課税対象としてはそれらを加工した保存食や贅沢品が挙げられていて、意外と豊かなようだ。
女主族の領地は瓶淀山に限定されている。そこには外部の人間は一切入ることはできない。
しかし外部と全く接触がないわけではなく、今のところ禅林に唯一女主族の支所があり、そこで商品の売買や、婚姻の斡旋・手続きが行われている。
婚姻の斡旋?
夏瑚はそこで疑問を感じたが、資料にはそれ以上の記載はない。
偉華では、国民は戸籍を一人一人持つことになっている。但し、各領主には人数の把握だけが義務付けられているというのが実情なので、正確さはお察しだ。
婚姻も一応戸籍の記載事項なのだが、一夫一妻制はあくまで基本で、本人たちが承知していれば一夫多妻も一妻多夫も可能なのだ。
由緒正しい血筋も財産もない庶民には、正式な婚姻に対して意味はない。文字通り書類上の問題でしかない。
これが貴族だとか、多額の遺産、家業の継承ということになって初めて正式の婚姻かどうかが問題になる。その際に裁判沙汰になれば国の法は正式な婚姻に全面的に支持するため、身分が高くなればなるほど、正式な婚姻に拘る。
女主族は族長ですら互選制で選び出すので、家系に拘りはないようだ。
それなのに、婚姻の斡旋と手続きを支所で行うのはなぜか?
「その点、引っかかる?」資料を搔き集めて情報を詰め込んだ翌日、舞踏の授業で出くわした碧旋がゆっくりと屈伸を続けながら言う。
「引っかかると言うか、他の地域では役所では手続きしかしないから、不思議で」夏瑚も手首や足首を曲げ伸ばしながら答える。
「男がいないからだな」碧旋の説明は簡潔過ぎてわかりにくいが、女主族の居住地には成人の男性がいないから、普段の生活の中で結婚相手を見つけるのは不可能だと指摘しているのだろう。
王の謁見から初めて碧旋と会ったが、態度には変化はない。王に何か言われたとしても、夏瑚に対して態度を変える理由はなさそうだ。例え、王族として認められたとしても、態度を変える性格ではないだろうし。
夏瑚たちのほうはちょっと思案はしたのだ。侯子ならば同格だった。でも、王族とかかわりがあり、公認されないとしても王は認識しているのだ。臣下としては考慮すべきだろうと。
しかし、当人は気にしないだろうという予想があった。同じ学園生としての建前もあるので、露骨に態度を変えるのはそれはそれでまずいのではとも思われた。
授業を終えると、碧旋がこの後盛墨兄弟と会うので同行しないかと誘ってきた。
次の遠征先を推薦したのが盛墨なので、情報を得ることができそうだ。しかし汗をかいたので、そのままというわけにはいかない。中庭で落ち合うことにして、急いで身支度を整えた。
ついでに劉慎を誘い、約束の中庭に赴くと、東屋の椅子に盛墨兄弟と、碧旋が談笑しながら座っていた。