碧旋の素性4
劉慎は諜報担当の従者を呼び、しばらく言葉を交わした後、夏瑚に向き直った。
「前華州公については、何か知っているか?」劉慎の言葉に、夏瑚は頭を振る。そもそも華州という地名が聞き馴染みのないものだ。
劉慎はとりあえず自分の知識を夏瑚に伝える。
華州と言う地名は、偉華の別名、古い名であり、いわば国全体を指す。始祖が建国前にそう呼んでいた時期があったらしい。あまり一般的な呼称ではなく、正直なところ平民は知らないだろう。
古文調の詩文を書く人間などはたまに使ったりする。
だから華州公というのは、一種の名誉職であり、何時でも存在する爵位ではない。王族の一人に授けられることがある称号なのだ。
名誉職なので、領地はない。華州が偉華全体を示すのだから、領地としての意味はないのだ。
臣下に下っていない王族は、基本的に名誉職以外には就くことはない。
名誉職は、組織の首位という表向きの看板であることが多い。実務は二番手が握っているというものだ。騎士団だったり、学校だったりと様々だ。
「華州公は、王族の首位なんだよ」「王族の首位って…陛下では?」
夏瑚のもっともな疑問に、劉慎は丁寧に説明した。
「王」は国の首位である。それは王族の首位とは違うと言うのだ。商会の会頭が夏財であるが、夏家の家長は別の人物であるような感じなのだろうか。家業から引退したご隠居が一族の長老だったりするような場合が当てはまりそうだ。
「王后陛下ではないのですか?」「今現在はそうだ」扶奏は「前華州公」と言った。「現華州公は、どうなのです?」前代がいれば、現代もいるはずだ。
「華州公は一代限りの称号だから、現華州公はいない。正確に言えば、王后陛下が保持されている。それゆえ、故華州公というべきなんだろうな。ただ、嫡子はいらっしゃる」
嫡子はいる、碧旋はご落胤と言われた、ということは、碧旋は正室の子供ではないということか。「あれ、碧旋は雷男爵のご子息なのでは?」「そうだよ」「でも、前華州公の子供?」
劉慎は大きく溜息をついた。「そこからか」と苦笑いした。
苦笑したものの、夏瑚の混乱もわかる。実際、よくわからないところがあるのだ。
雷男爵は、もともと士爵の第二子だった。嫡子ではあったが、第二子なので、当然後継ぎでもない。士爵は男爵の下の地位で、田爵と並ぶ。田爵と違って、官職について一定の実績を上げたものが得られる地位だ。その地位には土地は付随していない。年金が与えられることになっている。そして、一代限りの地位だった。
長子でも平民になってしまう立場だ。しかし一般の庶民よりは金もあれば教養もある。長子はやはり後継ぎとして遇され、多くは父に倣って官職に就く者が多い。父の縁故が役に立つことが多いので、士爵は田爵よりも実質世襲としやすい地位だった。そして第二子は他の名家と同じく、女性化して縁を繋ぐために有力な家へ嫁ぐことが期待されていた。
成人する前から、雷男爵は有名だった。
武術の腕の見事さは、現役の騎士を打ち負かすほどだった。そして、その冴え冴えとした美貌と相まって、「氷の騎士」と二つ名がついたほどだった。
美貌だったが、冷静沈着で、時には苛烈とも噂される性格からも、一心に鍛錬する様子を見ても、男性に向いていると思われた。
しかし第二子だったので、男性化を警戒する長子との関係が問題だった。雷男爵の評判が立つほど、長子は苛立ち、あたりがきつくなっていく。
美貌と優秀さに目をつけた高位貴族から、未成年の内から婚約の申し込みがあったそうだ。下位貴族や裕福な平民からも引く手あまただったそうだ。
半面、騎士団の鍛錬に参加したり、騎士見習いの試合に合格したりしていたので、雷男爵が女性になるのか、成人してから誰と婚姻するのか、貴族たちの間では注目されていたらしい。
多くの貴族たちには何がどうなったのか、よくわからなかったらしい。一部の高位貴族には事情を察した者がいたらしいが、皆沈黙を守った。雷男爵は数年、姿を消した。実家の士爵家は沈黙を守り、行方を調べた人もいたようだが、無駄に終わった。
数年後、王宮に現れた雷男爵は、武人らしい出で立ちで膝をつき、男爵位を拝領した。
「雷男爵の下にはそのとき、子供が一人いたという話だ。数年の間に子供をもうけていたということで辻褄が合う。男爵は通常の爵位を受けていたので、男性だと思われていたし、それで特に疑問にも思われていなかったんだが」
前華州公と雷男爵の子供、ということはあり得るのだろうか。それとも、前華州公の子供を引き取って雷男爵の子供として育ててきたのだろうか?雷男爵の子供なのに、前華州公の子供だと誤解されているということはないだろうか。
「前華州公は男性ですか?」現在の王家の首位は王后陛下だと言うならば、王家の首位としての前華州公の地位は男性でなくとも構わないはずだ。
「男性だよ。現王の弟にあたる方だ」
夏瑚はまた首を傾げる。さっきからわからないことばかりだ。「王家の首位って、一族の長老ということですよね?年長者がおなりになるのではないのですか?」
「そういう場合が多いと思うが、一族によるとしか。特殊な任務や性質を受け継ごうとする一族や、長老や長の考えに左右されるな。ふさわしい人間を選ぶこともあるのだ」